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心がやさぐれていた理由に気づけた話

今日は心がやさぐれていた。


妻からお小言をいただくことは日常であり、最近はわりとご機嫌に受け流していたのだけど、今日はなんだか引っかかる。


反論したくなる。


そして反論が言葉として出てしまう。
(気持ちマイルドにしているつもりですけどね)


それから、娘が悪気なく、パパちゃんとしてよね
みたいなことを言ってきた。


それは娘が散らかしっぱなしにしてたから
ちゃんと準備できなかったんだよって言ったら
その通りなんだけど、娘はショックを受けていた。


いつもだったら、ほんとだね、ごめんねって言葉がでてくるのに、今日はなんだかやさぐれている。


どうしてだろうって思った時に、これは自分を大事にしてないせいなのかと思った。


自分が満たされていないから、家族にも優しくできなのかもしれない。


子供にだったら、自販機のジュース(120円)と店舗のフルーツジュース(400円)があったとしたら、好きな方を飲ませてあげる。


そしたら、そりゃ店舗の方を子供は選ぶ。


でもね、自分の場合は100円のコーヒーで済ませてしまうんですよね。


本当はフルーツジュースが飲みたかったとしても。


そんなこんなで自分が満たされてなかったのかなと思った。


でも違ったんです。
風呂に入りながらぼんやり考えていた時に、理由がわかりました。


そういえば忘れてたーーーーー。


というのはね、ここ最近習慣にしていることがあったんですよ。


それは、

ありがとう
ついてる
あいしてます

ってぶつぶつ言葉にして唱えること。


全ては言葉から始まるなんて言葉もあるように、この言葉の習慣を始めてから、気持ちが穏やかになるし、ツキも本当に巡ってくることを実感していたんですよね。


それが、この土日に関しては


忘れていた。


だからか、そういえば言葉の習慣を始める前は、普通にトゲトゲした感情があったなと思い至る。


ここ最近こんなやさぐれた感情にならなかったのは、言葉の習慣で心が穏やかだったからかもしれない。


思い出したので、すぐさま言葉の習慣を再開する。


ありがとう
ついてる
あいしてます


たったそれだけのことで、心が穏やかになるのだと、今回のことで気づけました。


自分を大事にして、満たすことも大事なんだろうけど、もっと手軽にできる言葉の習慣で整えてみることが、より簡単にいつでもどこでもできることなのですよね。


あぶないあぶない。


心が穏やかになったとか、ツキが巡ってきてるだとか、自分がいい状態になると安心してしまい、習慣を忘れてしまうことがある。


今回のことでそこに気づけたことはよかった。


とにかく愚直に日々つづけることが大事なこと。


このnoteも毎日毎日の積み重ね。


良い習慣も毎日の積み重ね。


これかも安心して慢心することなく、日々続けていこうと思う。

読んでくださるだけで幸せです。 サポートいただけるほど、何か心に残るものが書けていたのだとしたのならこんなに嬉しいことはありません。