見出し画像

㋐からはじまり㋜でおわる 第二章 アマテラスは麻氐良須(アサクラ)   川崎一水

㋐からはじまり㋜でおわる         川崎一水

第二章            アマテラスとは何者か
 
㈡ アマテラス(麻氐良須)はなぜアサクラ(麻氐良須)になったか

 アマテラスは〝大和〟の王の称号であるといわれる。初代の名は天照国照彦火明櫛玉饒速日と呼ばれた。そして彼の本名は〝大年〟であったといわれる。アマテラス以外の名も称号であったと思われるが、〝いろいろなところで名を変えた〟ともいわれる。つまり彼はいろいろなところに居たし、それぞれの場所で違う名で呼ばれたのであった。アマテラスが〝ヤマト〟の称号なら、クニテラスとヒコホアカリとクシタマとニギハヤヒとはどこの称号かなのか。

 そして武内宿禰によれば「最後のアマテラスはB.C.4世紀の人である」という。古事記にあるように「田んぼの畔」がありそれをスサノヲが壊した。つまりその時代に水田があったということである。稲は日本の16,500年前の土器に見つかっている。その時代には陸稲があった。その後弥生時代になって水田耕作が行われるようになるまでは、焼き畑栽培ないしは自然栽培の陸稲がありそれを収穫ないし採取していたのが縄文時代である。その縄文時代は今や世界的に注目されていて、南米を含むアメリカ大陸の原住民であるインデイアンとも呼ばれた人々は縄文土器に似た土器を使っていた。最近の説では日本列島の縄文人が太平洋沿岸を陸つたいに移動したのだといわれる。

 当然の説とも考えられる。なぜなら16,500年前に土器があったのは日本列島だけであり、他の地域ではまだ石器時代であった。ワインなどの酒を造るには土器がなければできない。樽でも酒は造られるが石器時代に樽はない。人類が発生したのはアフリカといわれる。確かにそうかもしれないが、氷期には作物は取れず狩猟もままならず、氷期に人が狩猟採取によって生きていけたのは暖かいところである。日本列島は海に囲まれ、氷に閉ざされることはなかった。日本列島の沿岸はアメリカの沿岸よりも長いといわれる。つまり海岸線の長さではアメリカよりも日本列島のほうが長く、それだけ沿岸漁業が盛んで、それだけ水産資源が豊富であったということになる。作物も山が多く取れた。火山や温泉があり氷期でも暖かい場所があった。

 じつは日本の文明の発祥は古くは16,500年に遡るのではないかともいわれるが、すくなくとも12,500年前には日本列島に文明ができていたのではないかといわれる。12,500年前に事実として起こったのは氷期の終了であり、そのことにより海は広がり、海岸線はさらに広がり、温かくなったことにより狩猟や採取による収穫物もたくさん採れるようになった。これらのことにより縄文時代の生活はとても豊かなものとなっていった。そのため縄文時代には争い戦いがなかったともいわれる。戦いで亡くなったことのわかる人骨は縄文時代には見られないことからそういわれる。

 またこの時代には船が作られ、それは葦船のようなものではなく木造の帆船であったともいわれる。木造船を作るための石器も出土している。この時代は暖かくなったことにより食料も増えその調達も容易になり、それによる人口増加も十分に考えられる。人口が増加すれば住むところが不足し、それにより人は移動することとなる。これらのことにより日本列島から他の地域に拡散していったのではないかといわれる。この12,500年前に起こった氷期の終息という事実は他の地域でも同様のことはあったはずであるが、元の人口が大陸では少なかったと思われる。海のない場所の氷期における状況はシベリアを見ればわかる。人はたくさんは生きていけない。そのため温暖な時代になっても元の人口が少なければ文明ができることはない。一般に言われるメソポタミアのオリエント文明もチグリス河とユーフラテス河の沿岸に発生したのであり陸地の奥や山岳地帯には文明は生まれない。

 世界で最も古い文明は一般にメソポタミアといわれる。約5500年前のB.C.3,500年ころにできたシュメール文明といわれてきたが、最近では6,500年前のトルコのギョベクリテペが祭祀跡として発見され、これが最も古い文明ではないかともいわれ始めたが、日本列島の縄文時代にはそのころにはすでに大型の甕のような土器が作られており、それよりもはるかに古い少なくとも12,500年前の日本列島には土器を作る文明があった。

 古い伝承では12,000年前に大津波が起こり、それにより文明が滅び、生き残った人々が世界に拡散散りじりになり文明が拡散したのであるともいわれる。聖書に書かれたいわゆる「ノアの箱舟」の話である。しかし実際に大津波は起こったかもしれないが、縄文海進による海の増加によって海面下に沈没した陸地が多かったのも事実である。日本の古い伝承では、12,500年前の氷期が終ったことにより日本列島から人々は世界に拡散していったといわれ、そのことにより世界に文明ができたという。それらの説を証明することはまだできないが、年代の計算は一応つじつまが合うことにはなる。

 最後のアマテラスがB.C.4世紀の人であるなら、大年はいつの時代の人か。そもそもなぜ大年はこんなにたくさんの名を持つのか?いろいろな場所で名を変えたということはいろいろな場所で王となったのか?疑問が多い。アマテラスという称号はヤマトの王の称号であるという。それならば他の称号はどこの王の称号なのか?それ以前にヤマトとはどこなのか?まずヤマトについて明らかにしなければならない。


この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?