見出し画像

素鵞社   出雲大社奥宮

 令和五年五月、久方ぶりに出雲に行った。出雲に行くのが何度目になるかははっきりとはわからないが、たぶん十度目くらいか。このたびは出雲の伝承を裏付けするために「素鵞社」に参拝した。


 「素鵞社」は、曾我社ではなく、蘇我社でもなく、素戔嗚社でもない。


 「素鵞社」の「素鵞」は、「須賀之八耳」の「須賀」からとったものと思われる。つまり、本来は「須賀社」であったはず。


 なぜなら、出雲の初代王の名が「須賀之八耳」であるからである。「須賀八箇耳」とも「菅之八箇耳」とも書かれる。


 出雲の王はスサノヲとよく言われるが、古事記に書かれたスサノヲは海を統治したはず。出雲の王の称号は「大名持」であり、副王の称号は「少名彦」であったといわれる。記紀では「大名持」ではなく「大己貴オオナムチ」とか「大穴牟遅オオナムジ」とか書かれる。


 記紀はヤマト側の人が編纂した書物であるため出雲の王は貶められた記述となっている。全国の風土記のうち出雲国風土記のみが完本で残っているが、その記述と記紀の記述は表と裏の関係であった。つまり、それぞれ負けた側と勝った側の記録であった。 


 本来「須賀之八耳」を祀る「素鵞社(すがしゃ)」を作るつもりの出雲側の意図と「素戔嗚(すさのを)」を祀りたいヤマト側の意図との折衷案としてこの名になったともいわれる。


 出雲では、出雲国の王は「菅之」でもある「富家」と「神門臣家」といわれる。しかし、出雲は負けた側である。出雲国造は大和側の人であった。「千家家」と「北島家」である。


 ヤマト側である千家家の人は出雲国風土記が出雲側の人の記述になっているのにはいい気分はしなかったのではないか。「訂正出雲国風土記」という書物を書いている。今ある島根県立古代出雲歴史博物館に現在展示されている。


 ヤマト側の人はではなぜ「素鵞社」を造ることにしたのか?


 その「素鵞社」という名にある。「素鵞社」は「すがしゃ」であったにもかかわらず、「そがしゃ」とも読める。素戔嗚を祀る神社を造りたかったヤマト側の人はその表記を「そがしゃ」と読み、素戔嗚を祀る「素戔社」のようにした。


 そして、現在、「素鵞社」は素戔嗚を祀る「そがしゃ」となっている。なぜヤマト側の人たちは素戔嗚を祀りたかったのか?



 ヤマト側の人たちのルーツは天照といわれるが、実は出雲でもあった。神武天皇の后は出雲の姫であったが、そのことではない。神武天皇の父は九州のウガヤフキアエズであったが、祖父は九州のニニギでもあり、出雲のニギハヤヒでもあった。


 なぜなら、ニギハヤヒの本当の名は「天照国照彦火明櫛玉饒速日」であった。つまり、出雲の王である国照彦素戔嗚でもあり、ヤマトの王である天照彦火明でもあったからである。


 しかし、後の崇神天皇の東征以後、それまでのヤマトの王であった天照は伊勢に出され、祟らないように祀られ、新たな大和の神を祀った。新たな大和の王は鏡を祀った。今までの神は勾玉であった。そして、出雲の王の剣は「出雲武雄神」であった。「アメノムラクモノツルギ」とも呼ばれる。ヤマトの王の剣は「フツノミタマノツルギ」と呼ばれる。素戔嗚が八岐大蛇を退治したときに使った剣であり、「八雲叢雲十握剣」とも呼ばれる。つまり、それは物部の剣であった。


 崇神天皇以前の時代のヤマトは今は物部とも呼ばれ、大和ではなかった。大和の元は大倭であった。大倭は倭国であった。東征しヤマトに入土した倭国は倭から大倭国(おおわ)となり、大和国(おおわ)となったのであった。そして今は大和(ヤマト)と読まれる。


 今では、出雲は出雲ではなく物部にされてしまっているのであった。物部は出雲ではなく、ヤマトの王であり、九州の大倭の兄弟であったにもかかわらず。


 大倭の祖はニニギであった。ヤマトの祖はニギハヤヒであった。ふたりは弟と兄であった。九州の「大倭(やまと)は「ヤマト」と合体し、「大和(ヤマト)」となり、それまでの「ヤマト」の名は「物部」となったのであった。今では出雲まで物部にされてしまっているのであった。


 もとの出雲には鉄の剣はなかった。そこにやってきた素戔嗚は「フツノミタマノツルギ」を持っていた。「フツノミタマノツルギ」は「芾之御魂」を宿していた。八岐大蛇を退治して、出雲と合体した素戔嗚は初代天皇家を起こした。その時からその剣は「八雲叢雲十握剣」となり、ヤマトでは「アメノムラクモノツルギ」と呼ばれた。そしてその剣は後に、「クサナギノツルギ」とも呼ばれるようになったのであった。 


 そして「素鵞社」は出雲大社の裏に祀られる。ここには出雲の初代王大名持「須賀之八耳」が祀られる。


  初代大名持 富之菅八箇耳(須賀之八耳)

  二代大名持 神門臣八島士之身(八島篠)

  三代大名持 富之兄八島士之身(八島手)

  四代大名持 神門臣布葉之文字巧為

  五代大名持 富之深淵之水遣花

  六代大名持 神門臣八束水臣津野(国引主) 

  七代大名持 富之天冬衣

  八代大名持 神門臣八千矛(大国主)

  九代大名持 富之鳥鳴海(八代少名彦事代主八重波身津長男)


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?