ちゃんとした文章を、定期的に書いていく宣言

ここ数年、そして特に、ここ数日、数週間。
自分の好きなものがどんどん奪われていく感覚に襲われています。


月に、多い時で5回ほど行くお店が風営法で摘発されたり、
埼玉県営公園での水着撮影会に規制ルールが設けられたり、
AV新法はより強い規制をする方向に傾いているという噂が流れていたり。

参考:県営水上公園における水着撮影会の開催許可条件等について



漫画についても、はじめの一歩の作者である森川ジョージさんが規制についての発信を頻繁にしています。


僕は、自分の好きなものがだいぶ一般の人たちよりも偏っているような気はしています。
でも、実はそうではないと最近気付いたんです。

みんな、言わないだけで、本当は好きだったり、好きではなくとも見ていたりするんですよね。

だから、自分のひとりよがりではなく、やっぱり守っていかないとと思いました。


最近、権力が暴走しているようにしか僕は思えないのです。
自民党の裏金問題も、まぁ確かにダメでしょう。
でも、自民党だけではなく、全ての政治政党が利権にまみれていると思います。
その暴走は、政治家だけでなく、その政治家と仲の良い人たち(言論人や思想の偏ったNPO団体など)も享受出来てしまっていて、特権化していると思うのです。

なので、特権を持っていない人たちは、どんどん規制をされたり、職を奪われたり、偏見を持たれるような扱いを受けたりする傾向が強くなっていっているのです。


考えてみてください。
AV新法というのは、大前提として「AVは悪」というもとに作られています。
そんな法律が設けられている職業を、人は偏見なしで見れるでしょうか?

風営法で営業停止させられたお店があるとします。
果たしてそのお店は、行っても大丈夫と誰もが思える場所でいられるでしょうか?そこで働く女の子たちは、白い目で見られることはないでしょうか?


法律は、秩序を保つために必要です。
しかし、そこで働く人の声を聞かずに3ヶ月足らずで作られた規制法は、果たして誰のためのものでしょうか?
昭和23年に作られた風営法は、2024年の今、果たして本当に時代や現実に即したものとなっているでしょうか?なれるでしょうか?


消去法でしか、政治家を選べない時代。
僕の好きなものを守ってくれる政治家は、誰一人見つかりません。
「表現の自由」を謳っている政治家もいますが、
選挙が終わったあとに、果たしてどれだけその為に活動をしているでしょうか?


誰もいないなら、自分でやるしかない。
自分が、いつバッターボックスに立ってもいいように、準備しておかなければいけないと思いました。


今、奪われたり、強い規制がかけられそうな職業は、
その仕事がなければ、生きることも、輝くことも、未来に希望を見出すこともできなかった人たちが沢山います。
それは、社会不適合者だからという意味ではありません。
人は誰しも、向き不向きが必ずあって、合うものがそこにあっただけ。つまりただの相性の問題なのです。
相性のいい仕事に巡りあえるのは、奇跡に近いです。
奇跡は、そう何度も起こらないからこそ、奇跡なのです。
それを台無しにしてまで、誰かの職業を奪うようなことはあってはならなにのです。


自分に出来ることもせずに、ただただ指をくわえてみているのはもうこりごりだ。


その為にも、ここにちゃんとした文章を書いていこうと思います。宣言終わり!

読んでみて少しでも「いいな」とか「会ってみたいな」と思ったらぜひ会いに来てください!!