#034 春と修羅

こんばんは。四野葉です。桜がきれいです。今やっと見ごろとなっています。桜には毎年心を奪われてしまいます。街の風景を彩っている様子も好きだし、儚く散っていく様も好きです。最初から最後まで余すことなく楽しめるのが桜とトッポの魅力だと思います。

桜と私は対照的です。桜は華やかに咲き誇っていますが、私の心象はというと桜のようにはいきません。疲れがたまっているんでしょうか。憂鬱です。最近の口癖は鬱です。もちろんわかってます。クソほど気持ち悪いしどうでもいいと。わかってるなら書くなよと言いたいのもわかります。でもそれも、私にとってはクソほどどうでもいいのです。こんなクソのキャッチボールとはきみが悪いです。
疲れをどうにかしたいけどどうにかするための時間が少ないのです。どうにかしようと考えている間にどうにもできていない時間だけが過ぎ去っていくのです。それがまたストレスとなっていくのです。
何で生きることはこんなにも辛いんでしょうか。小学校の頃は死ぬことが怖かったのに今となっては生きることのが怖いというのを見たことがあります。まさにそうです。
しかし憂鬱な時こそ捗るものがあります。執筆です。ただいま、小説の第二策を製作中です。今は物語の構成とかをメモに整理している段階で、それが終わったら書き始めます。自分の書きたいものを書こうと思い、いろいろ考えた結果、滅茶苦茶鬱展開のお話になりました。自分でも笑えてきます。でも私的にはそれがしっくりくるんです。もし完成して公開するとなった時は【閲覧注意】とタイトルに入れる必要がありそうです。
どういうお話かというと詳しくは言えませんが自殺も苦しみから逃れる手段の一つだよってことを伝えようとしています。あるひとにはバットエンド、あるひとにはハッピーエンドに見えるかもしれません。貴方はどちらの感情を抱くでしょうか。

今日はここいらで。最近投稿してなくてすいませんでした。いろいろと忙しかったもので頻度が下がってしまいました。今日のタイトルは宮沢賢治の春と修羅をお借りしています。ありがとうございます。
ではまた後日。

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