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【文明論之概略】

激動の時代、明治
福沢諭吉の叫びが聞こえた、そんな1冊

<主題>
アジアに続々と進出していた、欧米列強の植民地にならないために、
・文明を進める事、そのために
・自国独立する事、それにより
・物事の良し悪し、緩急が決まる、だから
・目的を決めずして、1つの面だけで、良い悪いも優先事項も決まらない

結論→分かりやすい例・理由→平易な文章で再度結論
終始こういった構造で、たたみかけるリズムがあり、なぜどうして?と思いながら読み進んでいきます。最初の内は難しく、何度か閉じそうになりましたが、大事な事は繰り返し書かれているので、後の説明や例を先に読むことで、大体の内容がわかるようになってきました。

ですが、ここでは主題というよりも、現代の私達が改めて学べることを中心に記載しています。一生に一度は触れてみたい、そんなスルメ本。

次はほんの一例です。面白い!と思ったら最後まで読んで頂けると嬉しいです!

独立とは独立すべき勢力を指していうことなり。偶然に独立したる形を見ていうにあらず。(中略)これを譬えば(例えば)、いまだ風雨に逢わざる家屋の如し。その果たして風雨に堪ゆべきや否やは、かつて風雨に逢わざれば証すべからず。風雨の来ると否とは外の事なり。家屋の堅牢なると否とは内の事なり。風雨の来たらざるを見て、家屋の堅牢なるを証すべからず。風なく雨なくして家屋の在するは勿論、如何なる大風大雨に遭うも、屹立動かざるものこそ、真に堅牢なる家屋というべけれ。

P.300

ここから先は、刺さった表現や秀逸な例を引用しています。大体の意味も記載しましたが、ほぼ現代文通りに読める場合は、割愛しています。
また、今に繋がる学びも合わせて記載しました。(学びがありすぎると感じたことがnoteを始めるきっかけ)
興味を持たれた方は是非原書にチャレンジしてみてください!

ただ世に多き者は、知愚の中間にいて世間と相移り、罪もなく功もなく、互いに相雷同して一生を終える者なり。
昨日の奇説は今日の常談なり。
勇を振るって我思う所の説を吐くべし。

P.23-24(文脈に合わせて中略有り)

【学び】
恥ずかしがらずに、自分の意見を言ってみよう!

国体に従いその政治を守り、これに適するものを選びて、取るべきを取り捨べきを捨て、始めて調和の宜しきを得べきなりと。

P.29

(西洋文明を取り入れる、と言っても)
日本の国体に合わせて取捨選択すべき、と。
【学び】
何かをマネしたい時、そのままマネするのも一手だけど、悪い所を省いて、色々な物事の良い所を取り入れれば、もっと良いものができそう!

文明には外に見(あら)わるる事物と内に存する精神と二様の区別あり。ある人はただ文明の外形のみを論じて、文明の精神をば捨てて問わざるものの如し。
けだしその精神とは何ぞや。人民の気風、即ちこれなり。
この気風は売るべきものにあらず、買うべきものにあらず、また人力を以て遽に(にわかに)作るべきものにもあらず。

P.29-31(文脈に合わせて中略有り)

文明には目で見える物(外側)と見えない精神(内側)の2面ある。
1面だけ(外側だけ)で議論するものではない。
精神とは、人民の気風の事であり、売買したり作れるものではない。
【学び】
物事の2面性!

欧羅巴(ヨーロッパ)の文明を求るには、難を先にして易を後にし、先ず人心を改革して次いで政令に及ぼし、終に有形の物に至るべし。
この順序を倒(さかしま)にすれば、事は易きに似たれども、その路忽ち(たちまち)閉塞し、あたかも障壁の前にたつが如くして、寸歩を進めること能わず、あるいはその壁前に躊躇するか、あるいは寸を進めんとしてかえって激して尺を退くることあるべし。

P.33

ヨーロッパの文明を取り入れる時は難しい事を先にやり、簡単な事は後にする。つまり人の心の改革が先で、政治・物作りは後で行うべし。
順序を逆にすることで、物事が簡単に進むように思うけれども、そのうち壁にぶつかり一歩も進めなくなる。
【学び】
簡単な事だけやっていても、目的は達成できない!

国体とは何物を指すや。
国体とは、一種族の人民相集りて憂楽を共にし、他国人に対して自他の別を作り、自ら互いに視ること他国人を視るよりも厚くし、自ら互いに力を尽くすこと他国人の為にするよりも努め、一政府の下にいて自ら支配し、他の政府の制御を受くるを好まず、禍福共に自ら担当して独立する者をいうなり。西洋の語にナショナリティと名る(なづくる)もの、これなり。およそ世界中に国を立つるものあればまた各その体あり。

P.41

国体とは何か。
国体とは、人が集まって苦楽を共にし、他国の人よりも自国の人を厚く接し、より一層尽力し、他国の支配を受けるでなく、独立する事である。いわゆるナショナリティとはこの事で、世界に国があるだけナショナリティがある。
【学び】
他国より自国とは、当時の時代背景あってこその表現とも思うが、国ごとに政府がある以上、やはり自国あってこその平等ではなかろうか。平等とは良い響きだけれども、自分の国を大切にしよう!

日本にては開闢の初より国体を改めることなし。この時に当て日本人の義務は、ただこの国体を保つの一箇条のみ。人民の智力を進めざるべからず。智力発生の道に於て第一着の急須は、古習の惑溺を一掃して西洋に行わるる文明の精神を取るにあり。
実の効用をば忘れて、ただその物をを重んじ、これを装いこれを飾り、これを愛しこれを眷顧し、甚だしきは他の不便利を問わずしてひたすらこれを保護せんとするに至ることあり。これ即ち惑溺にて、世に虚飾なるものの起るの由縁なり。

P.45-49(文脈に合わせて中略あり)

日本は神話の時代より国体が変わったことがない(外国の支配下にあったことがない)。今の日本人の義務は国体を保つ事、その一点のみ。そのために人民の智力を発展させなければならない。発展させるに於いて、最重要は古く悪い習慣を捨てて、西洋の文明を取り入れる事である。
実際の効用を忘れて、ただ昔からあるだけでその事を重んじたり、飾りたてたり、酷くは他に悪影響があるにも関わらず、古い習慣を保護しようとする事である。これが惑溺であり、世の中に虚飾がある理由。
【学び】
昔からやっている、というだけでどういう理由で続けているのか分からない、或いは、今では意味のない事であれば悪習は見直そう!

人民愚に還れば、政治の力は次第に衰弱を致さん。政治の力、衰弱すれば、国、その国にあらず。国、その国にあらざれば、国の体あるべからず。

P.53

【学び】
学問のすゝめ

禁ずることいよいよ密なれば、その行わるることもまたいよいよ甚し。

P.69

【学び】
禁止が多いということは、禁止される行為が多いという事

文明は譬えば鹿の如く、政治等は射者の如し。射者固より(もとより)一人にあらず、その射法もまた人々、流を異にすべし。ただその目処とする所は、鹿を射てこれを獲るにあるのみ。鹿をさえ獲れば、立ってこれを射るも、坐してこれをいるも、あるいは時宜に由り赤手を以てこれを捕るも、妨げあることなし。特り(ひとり)一家の射法に拘泥して、中たる(あたる)べき矢を射ず、獲べき鹿を失うは、田猟に拙なるものというべし。

P.73

【学び】
文明を鹿に、政治を狩人へ例え、目的を果たす事が大事であり、手段に拘って目的を見失っては狩人失格!

智徳の運動は、あたかも大風の如く、また河流の如し。大風、北より南に吹き、河水、西より東に流れ、その緩急方向は、高き処より眺めて明かにこれを見るべしといえども、退て家の内に入れば風なきが如く、土堤(どて)の際を見れば水流れざるが如し。あるいは甚しくこれを妨ぐるものあれば、全くその方向を変じて逆に流るることもあり。然りといえども、その逆に流るるは、これを防ぐるものありて然るものなれば、局所の逆流を見て河流の方向を憶断し難し。必ずその所見を高遠にせざるべからず。

P.77

智徳の運動は、風や河のようで、高いところから見ればどちら側に流れているか見えるが、建物に入れば風はやむし、流れを妨げるものがあれば逆流もする。この逆流だけを見て、流れを判断するのは難しい。高い位置で物事を見定める必要がある。
【学び】
右か左か、白か黒か、今見えているものだけを見て判断するのではなく、一歩考えを進めて、一段上から物事を見てみよう!(難しそうだけども)

人の心の変化を察するは、人力の及ぶ所にあらず。
答えて曰く、決して然らず。
天下の人心を一体に視做して、久しき時限の間に広く比較して、その事跡に顕わるるものを証するの法、即ちこれなり。

P.81

人の心の変化を知るのは、人力では無理だという。
果たしてそうか、
世の中の人心を一つに、広く並べて比べれば、無理ではないと言おう。
【学び】
統計を取ろう!

事物の働には、必ずその原因なかるべからず。近因と遠因との二様に区別し、近因は見易くして遠因は弁じ難し。近因の数は多くして遠因の数は少なし。近因はややもすれば混雑して人の耳目を惑わすことあれども、遠因は一度びこれを探りうれば確実にして動くことなし。

P.84-85(文脈に合わせて中略あり)

物事には必ず原因があり、これを近因と遠因に分ける。近因はわかりやすく数も多いが、遠因は分かりにくく、数は少ない。近因によって惑わされることはあるが、一度遠因が分かれば、確実である。
(例えでは、落馬して腰を打ち、半身付随になった人がいるとする。半身付随の原因を落馬とするのが近因で、遠因は、長年の飲酒による不養生、とある)
【学び】
QC手法でいう所の、なぜなぜ分析で、真因を見つけよう!という事

戦の勝敗は将帥にも因らず、ただ人民一般の気力にあるのみ。
方今日本の政府にて事務の挙がらざるを以て長官の不才に帰し、専ら人才を得んとして、此を登用し彼を抜擢してこれを試れども事務の実に変わることなし。
政府の失策を行う由縁は、常にこの多勢に無勢なるものに窘め(くるしめ)られるばなり。長官は無勢なり、衆論は多勢なり、これ如何ともすべからず。
以て衆論の方向を改めしめんことを勉むべきのみ。

P.96-98(文脈に合わせて中略あり)

戦における勝敗は将軍ではなく、人民の気力で決まる。
今の日本政府の成果が挙がらないのを、今の政治家のせいにして、外から良い人を登用したからといって、事態は変わらない。
政府が失策をする理由は、多勢に無勢だからによる。政治家は無勢で、民衆は多勢であり、これは如何ともし難い。
だから、民衆を良い方向へ導くことに努力するべき。
【学び】
物事が上手くいかないのをリーダーのせいにするでなく、チーム全員の底上げをしよう!

寡は衆に敵せざるものなり。然りといえども、この議論の衆寡強弱は、ただ才知同等なる人物の間に行わるるのみ。天下の人を一体に為してこれを見れば、その議論の力は人の数の多寡に由らずして智徳の量の多寡に由て強弱あるものなり。その量を以て人数の不足を補い、遂に衆論の名を得たるものなり。

P.100-102(文脈に合わせて中略あり)

少数の意見は集団に叶わない、けれども同じ智力の人同士の間に言えることで、これまでの歴史を見ても、議論の力は人数に関係なく、智力の量によるものである。智力の量で人数不足を補うことで、遂には衆論になる。
【学び】
相手が大勢だからと言って、諦めない!

改革の乱を好む者は智力ありて銭なき人なり。
(改革に由て所損ある者なれば、決してこれを好むの理なし)
何処より発したるとも知れず、ふと新奇なる説を唱え出して何時となく世間に流布し、その説に応ずる者は必ず智力逞しき(たくましき)人物にて、周囲の人はこれがために説かれこれがために劫され(おびやかされ)、何心なく雷同する者もあり、止むを得ずして従う者もありて、次第に人数も増し、遂にこの説を認めて国の衆論と為し、天下の勢を圧倒して鬼神の如き政府をも覆したることなり。

P.109-110(文脈に合わせて中略、入替あり)

改革を好む人は智力があって、お金のない人である。
(改革により損するような人は、決して改革を好まない)
どこからともなく、新進気鋭の説を唱え、いつとなく世の中に蔓延し、この新説に賛同する人は必ず智力がたくましい人で、周りの人もこのために説得され、あるいは脅かされて、なんともなく同調する人もあり、止むを得ず従う人もあり、段々と人数が増えて、遂にこの説が認められ国の世論となり、天下の形勢を逆転し、鬼神の如き政府をも倒してしまった。(徳川から薩長、明治へ)
【学び】
失うもの(お金、地位)がある人に改革はできない。
だからこその学問のすゝめ、世論。

人の議論は集て趣を変ずることあり。性質臆病なる者にても、三人相集まれば、暗夜に山路を通行して恐るることなし。
曹達と塩酸とを各別に離せば、何(いずれ)も激烈なる物にて、あるいは金類をも熔解するの力あれども、これを合すれば尋常の食塩と為て厨下の日用に共すべし。

P.113(文脈に合わせて中略あり)

【学び】
個々の意見と群集心理では違いがあることに気をつけよう!

日本の人は仲間を結て事を行うに当り、その人々持前の智力に比して不似合なる拙を尽す者なり。ただ黙座して事の成行を観るのみ。日本人が無議の習慣に制せられて、安ずべからざるの穏便に安んじ、開くべきの口を開かず、発すべきの議論を発せざるを驚くのみ。
士民の愚鈍澹泊は、政府の専制には便利なれども、この士民を頼て外国の交際は甚だ覚束なし。けだしその気象なくまたその勇力なきは、天然の欠点にあらず、習慣に由て失うたるものなれば、これを快復するの法もまた習慣に由らざれば叶うべからず。習慣を変ずること大切なりというべし。

P.114-118(文脈に合わせて中略あり)

日本の人は仲間同士で集まると、本来あるはずの智力に比べて不釣合いな智力になる。ただ黙って成行きを観るのみで、議論を交わさない。この習慣のせいで、我慢すべきでない事でも穏便に処し、言うべき事を言わないで、するべき議論をしない事に驚く。
民間が愚鈍なことは、政府には便利だけれども、これを以って外国と交際していくのでは心許ない。ただ、この気概や勇気が無いのは、もって生まれた性質ではなく、習慣で失われたものだから、回復するのも習慣を変えれば良い。
【学び】
勇気を出さずとも意見が出せるような環境に身を置いて、言論化を習慣にしてしまおう!

智徳の共に入用なるは、なお人身を養うに菜穀と魚肉と両(ふたつ)ながら欠くべからざるが如し。故に今、智徳の効用を示して、知恵の等閑にすべからざるを論ずるは、不養生なる菜食家に向て、肉食を勧るに異ならず。肉食を勧るには、必ず肉の効能を説て菜穀の弊害を述べ、菜肉共に用いて両つながら相戻らざるの理を明にせざるべからず。

P.127

智(智恵、公)も徳(モラル、私)も両方必要なのは、人の身体に野菜と肉の両方が必要なのと同じ。
だから、智のみを等しく行き渡らせるべきでないと説明するのは、不養生な菜食家に肉食を勧める事と同じで、肉食を勧めるには、必ず肉の効能を説明して、野菜だけの弊害を説き、野菜・肉両方必要だということを明確にする。
【学び】
反対意見をいう時は、なぜ反対するのかその理由と一緒に説明しよう!

私徳の功能は狭く、智恵の働は広し。
開闢の初の徳も今日の徳も、その性質に異同あることなし。智恵は即ち然らず。
智恵はこれを学ぶに形を以てして、明にその痕跡を見るべし。
智恵の事に就ては、外見を飾りて世間を欺くの術なし。
世の事物に於て、議論と実際と相異なるべきの理なし。
結局智恵の世界には、偽智者を容るべき地位を遺さざるなり。
人の生は無智なり、学ばざれば進むべからず。
昨日の博徒は今日の念仏者と為るべしといえども、人の智恵は外物に触れずして、1日の間に変化すべからず。
智恵は学びて進むべし、学ばざれば進むべからず。既に学てこれを得れば、また退くことあるべからず。徳義は教え難くまた学び難し、あるいは一心の工夫にてとみに進退することもあるものなり。

P.131-142(文脈に合わせて中略あり)
智恵と徳義の比較まとめ

私徳は他人の力を以て容易に造るべきものにあらず。たといよくこれを造るも、智恵に依頼せざれば用を為すべからず。徳は智に依り、智は徳に依り、無智の徳義は無徳に均しきなり。
故にいわく、私徳は智恵に由てその光明を生ずるものなり。智恵は私徳を導て、その功用を確実ならしむるものなり。智徳両つ(ふたつ)ながら備わらざれば、世の文明は期すべからざるなり。

P.148-

徳があっても智恵がなければ世の役に立たない。逆も然りで、智恵がないのは徳もないのと同じこと。
従って、徳というのは智恵を使って初めて光明が生まれる。智恵は徳を導いて、有用にできる。文明を進めるためには、智徳両方必要である。
【学び】
世の役に立ってこそ、勉強する価値がある。勉強した事を世の中に活かそう!

一点の瑾(きず)を見て全璧の価を評すべからざるなり。
善人も悪を為すことあり、悪人も善を行うことありとのことを、説き示したるものなり。

P.162(文脈に合わせて中略あり)

【学び】
悪い所だけを見て、その人が悪人だと決めつけてはいけないよ!

政府といい人民というといえども、ただその名目を異にし職業を分つのみにて、その地位に上下の別あるを許さず。政府よく人民を保護し、小弱を扶助して強暴を制するは、即ちその当務の職掌にて、これを過分の功労と称するに足らず、ただ分業の趣意に戻らざるのみ。

P.174

政府と人民と言っても、職業が違うだけで地位に上下はない。政府が民を保護し、弱きを助け強きを挫くのは、当然の責務であり、これは功労があると言わず、ただ自分の職を全うしているだけ。
【学び】
職業がなんとなく偉い人、というだけで無闇に先生と呼ぶのは控えようかな。

あるいは国君なる者、自ら徳義を修め、礼楽征伐を以て恩威を施さんとするも、人民は先ずその国君の何物たるを察し、その恩威の何事たるを詳にし、受くべからざるの私恩はこれを受けず、恐るべからざるの暴威はこれを恐れず、一毫をも貸さず一毫をも借らず、ただ道理を目的として止まる処に止まらんことを勉むべし。

P.174

あるいは、国君(日本では天皇)と言っても、人民はまず国君がどういう人物か、なぜ崇められるべきなのかをよく考え、受けるべきでない恩は受けず、恐れる理由がないなら恐れず、1ミリも貸さず、1ミリも借りない。ただ道理あるのみ。
【学び】
(国や時代背景によって読み取る内容に差はあると思いますが)
なぜこの国、日本では天皇が素晴らしいのか、今一度勉強してみよう!
西暦2022年は皇紀2682年/文明論之概略初版は、西暦1875年、2535年です。
明治神宮の御朱印に皇紀がありました!

我国の文明を西洋の文明に比較して、その趣の異なる所は、特にこの権力の偏重に就て見るべし。いやしくも人間の交際あれば、必ずその権力に偏重あらざるはなし。結局その至るところはこの二元素に帰し、一も独立して自家の本分を保つものなし。(治者と被治者と相分かる)
この文明の諸件を施行するの権は、悉皆政府の一手に属し、人民はただその指揮にあるのみ。

P.208-214(文脈に合わせて中略あり)

我が国の文明と西洋の文明を比較して異なるのは、権力の偏重という事である。人と人とが交際すれば、必ず権力の偏重がある。結局治者と被治者に二分され、一も独立してやろう、という気配がない。
世の中の諸々を、全て政府の手に委ね、人民はただそれに従うのみ。
【学び】
リンカーンいわく
”Government of the people, by the people, for the people”
「人民の、人民による、人民のための政治」
ジョン・F・ケネディいわく
”Ask not what your country do for you, ask what you can do for your country”
「国が何をしてくれるかではなく、自分が国のために何ができるか尋ねよ」

このあたりを思い出しました。従うばかりが能じゃないよね!

建国二千五百有余年の間、国の政府たるものは、同一様の仕事を繰返し、その状あたかも一版の本を再々復読するが如く、同じ外題の芝居を幾度も催すが如し。
(政府は新旧交代すれども、国勢は変ずることなし)
かつて余が説に、日本には政府ありて国民なしといいしもこの謂なり。
(日本の人民は国事に関せず)
その立身は藤吉一人の立身なり、百姓一般の地位を高くしたるにあらず。
一身のためには都合宜しかるべしといえども、元と(もと)その湿地に自ら土を盛て高燥の地位を作りたるにあらず。

P.218-221(文脈に合わせて中略、入替有り)

ここはとても解釈が難しかったのですが、西洋と日本の文明を比較していて、例えば、西洋では市民が百姓全体の地位を上げる運動を巻き起こしている一方で、日本は、例にある秀吉(藤吉)のように、有能な人材が野にいても、政府(権力者)に組み込まれて政府の一員となるのみで、秀吉が百姓の地位向上をした訳ではない、という感じで理解しました。前の段と合わせて、国民は国事に関せず、が身にしみる思いがしたので載せてます。
ちなみになぜこの違いがあるのかについては、文中“遺伝毒”とされています。
【学び】
もっと政治に関心を持とう!

人間の学問は日に新たに月に進みて、昨日の得は今日の失と為り前年の是は今年の非と為り、毎物に疑いを容れ毎事に不審を起し、これを糺しこれを吟味し、これを発明しこれを改革して、子弟は父兄に優り、後進は先進の右に出て、年々歳々、生また生を重ね、次第に盛大に進て、顧て百年の古を見れば、その祖鹵(そろ)不文にして愍笑(びんしょう)すべきもの多きこそ、文明の進歩、学問の上達というべきなり。

P.231

前段で西洋との違いを述べつつも、ここで日進月歩、学ぶことの大切さに繋げています。かのガンジーも言っています”Live as if you were to die tomorrow,
Learn as if you were to live forever”(明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学ぼう)

何れも皆、事物の初歩に心配して、次歩あるを知らず、初歩に止て次歩に進まざるものなり、初歩を以て次歩を妨るものなり。

P.244

【学び】
何事も始めてみなければ前へ進めない!
次の事を心配して何もしないよりも、何か始めてみよう!

試みに徳川の治世を見るに、人民はこの専制偏重の政府を上に戴き、日本国中幾千万の人類は、各幾千万個の箱の中に閉され、また幾千万個の障壁に隔てらるるが如くにして、寸分も動くを得ず。その隔壁の堅固なること鉄の如く、何らの力を用るもこれを破るべからず。人々才力を有するも、進て事を為すべき目的あらざれば、ただ退きて身を守るの策を求るのみ。数百年の久しき、その習慣遂に人の性と為りて、いわゆる敢為の精神を失い尽すに至れり。
日本国の人は、尋常の人類に備わるべき一種の運動力を欠て、停滞不流の極に沈みたるものというべし。

P.244-245(文脈に合わせて中略あり)

徳川の時代(江戸時代)は、権力が偏重した政府を頭に頂いて、日本国中の人はそれぞれ堅固な箱の中で閉ざされて、一歩も動けないかのよう。この箱の壁は鉄のように固く、何の力をもってしても壊すことができない。
それぞれに才能あるはずなのに、進んで何事かをする目的がなければ、ただひたすらに自分の身を守るのみで、数百年に及ぶ習慣がついに人の性となり、へこたれずに頑張る精神がついになくなってしまった。
日本人は普通なら人に備わっているはずの運動力を欠いて、停滞不流に陥っているといえる。
【学び】
何か目的を持って、前に進まなければ一生箱の中で過ごしてしまう。
自分の箱を壊して外へ出よう!

ただ我国の経済に於て、特に不都合にして、特に他の文明に異なる所は、この同一様の事なる国財の蓄積と費散とを処置するに、同一様の心を以てせざるの一事にあり。譬えば四公六民の税法とすれば、その六分を以て僅に父母妻子を養い、残余の四分はこれを政府に納め、一度び己が手を離ればその行く処を知らず、その何の用に供するを知らず、余るを知らず、足らざるを知らず。概していえば、これを蓄積するを知てその費散の道を知らざるものなり。政府もまた、既にこれを己が手に請取るときは、その来る処を忘れ、その何の術に由て生じたるを知らず、あたかもこれを天与の物の如くに思うて、これを費しこれを散じて、一も意の如くならざるはなし。概していえば、これを費散するを知て蓄積の道を知らざるものなり。
安ぞ(いずくんぞ)経済の不都合を生ぜざるを得んや。費すべきに費さず、費すべからざるに費し、到底その割合の宜しきを得べからざるなり。

P.252-253(文脈に合わせて中略あり)

自国の経済の悪さは、税金を貯める・税金を使うは本来一つ(一様)の心で為すべき事なのに、民は税金が自分の手を離れれば、どこで何に使われているのか知らず、余ったのか足りていないのかも知らない。貯めるを知って、使うの道を知らない。政府もまた、税金が手にある時は、どこから来たお金かを忘れ、どういう風に手にしたかも知らない。あたかも天から降ってきたかのように思って、税金を使い、貯める道を知らない。
これでどうして経済に不都合が生じない事があろうか、使うべき所へ使わず、使うべきでない所へ使い、上手くいくはずがない。
【学び】
税金の使い道をちゃんと知っておこう!
政府、国民共に同一の心を持っていなくてどうして本来税が使われるべきところへ使われようか!

年々歳々、同一様の事を繰返して、此処に積ては彼処に散じ、一字の文字を二人にて書き、以て数百年の今日に至り、顧て古今を比較して、全国経済の由来を見れば、その進歩の遅きこと実に驚くに堪えたり。

P.255

毎年毎年同じ事を繰り返して、ここに貯めてはあそこに使い(お金)、一つの字を二人で書いているうちに、数百年経ってみれば、経済の進歩がいかに遅い事に驚くばかり。
【学び】
明治当時は、確かに日本は西洋に追いつけていなかった。だから頑張った!
今はどうだろう?GAFAという黒船がきて、今の私たちは何をしている?

然るに今日の有様にて、全国の貧なるは何ぞや。必竟、財の乏しきにあらず、その財を理するの智力に乏しきなり。その智力の乏しきにあらず、その智力を両断して、上下各その一部分を保つが故なり。
けだしこの智力の両断したるものを調和して一と為し、実際の用に適せしむるは、経済の急務なれども、数千百年の習慣を成したるものなれば、一朝一夕の運動を以て変革すべき事にあらず。
上下の種族、互にその所長を採らずして、かえってその所短を学ぶ者多し。

P.260-261(文脈に合わせて中略あり)

今の状況を見て、日本が貧しいのはなぜか。財が乏しいのではなく、それを使う智力が乏しいから。のみならず、その智力を両断しているからである。(ここでは政府と国民、それぞれがそれぞれの事をし、一心一体となってない)
だからバラバラの智力を調和して一つにする事は、経済に於いて急務だが、数千百年の習慣は一朝一夕では変わらない。
さらに、お互い良い所を見ず、悪い所を見る傾向にある。
【学び】
ついつい悪い所に目が行きがちだけれど、良い部分に注目しよう!
同じ目的に向かっているはずの心がバラバラだと、上手く回らないよ!

前なる者は後なる者を制し、後なる者は前なる者に制せらるるの理なり。

P.263

【学び】
先行者利益!

報国心と偏頗心とは、名を異にして実を同う(おなじう)するものといわざるを得ず。

P.275

報国心=愛国心と、偏頗=偏って不公平な事とは、名前が異なるだけで同じ事
一つ好きなものがあれば、その他は好き度が低い、これ当然。国にもいえる。

都て(すべて)事物を論ずるには、先ずその事物の名と性質とを詳にして、然る後にこれを処分するの術を得べし。
譬えば火事を防ぐには、先ず火の性質を知り、水を以てこれを消すべきを詳にして、然る後に消防の術を得べきが如し。

P.276

物事を論じる時には、名前と性質を明かにした後、どう対応するのか決める。
火事の時に、先ず火の性質を知ることにより、水で消せる事が分かり、その後に消防の方法が分かるのと同じ。
【学び】
相手が何者なのか把握してから、闘おう!

たとい表向は各国対立、彼我同権の体裁あるも、その実は同等同権の旨を尽したりというべからず。何ぞその言の美にして、その事の醜なるや。

P.282-283

【学び】
甘い言葉、体の良い言葉には気をつけよう!言葉と実際は違う事があるよ!

何れにも、その局に当らざれば、その事の真の情実は知るべからざるものなり。
譬えば自から喰わざれば、物の真味は得て知るべからず、自から入牢したる者にあらざれば、牢内の真の艱苦は語るべからざるが如し。

P.284-286(文脈に合わせて中略、入替えあり)

【学び】
自分の身で体験しないと本当の所は分からないよ!

病の進むも自家の事なり、病の退くも自家の事なり。利害得失、悉皆我にあることにて、毫も他を頼むべからざるものなり。
その国の独立と良いその国の文明というは、その人民相集て自らその国を保護し、自らその権義と面目とを全うするものを指して、名を下だすことなり。

P.291-292(文脈に合わせて中略あり)

【学び】
(独立を守る事に於いては)他国を頼らず、自分の国は自分で守ろう!

然らば即ちこれを如何んして可ならん。いわく、目的を定めて文明に進むの一事あるのみ。その目的とは何ぞや。内外の区別を明にして、我本国の独立を保つことなり。而してこの独立を保つの法は、文明の外に求むべからず。
今の日本国人を文明に進るには、この国の独立を保たんがためのみ。故に、国の独立は目的なり、国民の文明はこの目的に達するの術なり。

P.297

(外国との交際をどうすれば良いのか)目的を定めて文明を進める事。文明を進める目的は国の独立のためであり、独立を保つ方法を外に求めるべきではない。
従って、国の独立は目的であり、文明はこの目的を達成する手段である。
【学び】
目的と手段を間違えてはいけないよ!
(マリオがクッパを倒すのは、手段であって、目的はピーチ姫救出だよ)

人あるいはいわん、人類の約束はただ自国の独立のみを以て目的と為すべからず、なお別に永遠高尚の極に眼を着すべしと。この言、真に然り。といえども今の世界の有様に於て、国と国との交際には、いまだこの高遠の事を談ずべからず。もしこれを談ずる者あれば、これを迂闊空遠といわざるを得ず。
先ず日本の国と日本の人民とを在してこそ、然る後にここに文明の事をも語るべけれ。国なく人なければこれを我日本の文明というべからず。

P.298

世の中に於いて、自国の独立だけを目的として良いのか、という人もいる。
もっと高尚な事(世界平和、人類皆平等)を唱えるべし、と。その通り。
ただ、今の日本が置かれている状況(植民地になる危険)を考えれば、この高尚な事は絵空事である。
日本の国と日本の民がいてこそ、独立を保ってこその議論に他ならない。
【学び】
目の前に食うか、食われるか、喫緊の課題があるなら最優先はその課題解決で、他の事は全部後回しでしょうよ!

結局、吾輩の旨とする所は、進て独立の実を取るにあり。
退て(しりぞきて)その虚名を守るが如きは、敢えて好まざる所なり。

P.300

ここから最初の引用につながります。

最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。
文明開花の音がする、西洋に追いつけ追い越せと明治の賢人たちは坂の上の雲を見ていたと思います。翻って、今の日本は明治の人に誇れるでしょうか?
私はそうは思いません。経済に限っても30年停滞している有様は、今一度外国にある素晴らしい制度を取捨選択し、古いだけの習慣を見直し、新しい風がこの国を豊かに、この先、何百年先も豊かな風が吹いてくれる事を祈りつつ、その一助になれば嬉しいです。
キャッシュレスが進み、目にする機会も減ってしまいましたが、1万円を見るたびに福沢諭吉の声を思い出したいと思います。             ー結ー

#読書の秋2022
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