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【年齢のうた】南沙織 その2 ●森高千里、銀杏BOYZ…時代を超えて唄い続けられる「17才」の青春

ごろっ。
としてる、これは何かというとですね……
塩大福です。
護国寺にある群林堂という和菓子屋さんの名物。220円。
あんこたっぷり、小豆がごんごん入ってて、とても美味です。
タイミングが悪いと売り切れてるわけですが、ひさびさに行ったら買えて、良かった良かった。
おいしいものをおいしく、笑顔で食べられるのは、本当に幸せなことですね。

しかし今回のアイキャッチの写真(ヘッダーと書いてたけど、このnoteでフォローしてる中日ドラゴンズの福谷浩司投手がこう書いてるので)は、まるで『ウルトラマン』のブルトンですな。

ブルトンは、『帰りマン』のプリズ魔、そして『エヴァ』のラミエルの祖ではないかと僕は思っている。

で、えーとですね、

毎回こうして書いてる青木なのですが……実は、文中に曲のリンクを張り忘れたり(前回なんて最初、肝心の南沙織を入れそびれてた)、内容的にちょっと説明不足だと気付いて書き直したり、あとから情報を知って追記したりしています。そんな感じで過去回も時々アップデートしていますので。あたたかい目で見てやってくだされ。

ただ、ストリーミングや動画のリンク元は変更があるから、そのたびに全部対応するのは難しいですね。その楽曲の配信が停止になったり、逆に未配信だったのが始まったり。まあ、できる範囲でやっていこうと思います。


今回は引き続き南沙織の「17才」で、この曲のカバーバージョンについて書きます。

疾走感あふれるポップなユーロビートの森高版


南沙織のオリジナルの発売からもう52年にもなる「17才」は、現在に至るまでに幾多のアーティストにカバーされ続けている。こんなふうに。

もちろんこれ以外にも、たとえばボカロや「歌ってみた」なんかでもありそうだし、プロの世界でも、コンサートなどのステージ、ライヴの場や、歌番組の中でカバーした歌手も多いのではないかと思う。

そんなあまたの「17才」カバー群でも筆頭に挙げられるのが、1989年の森高千里による歌唱である。
この森高バージョンは、本当に鮮烈だった。オリジナルの南沙織版はもちろん僕も聴いて知ってはいたが、その印象を大きく塗り替えるほどのインパクトがあったからだ。

ここで、ちょっと思い出話を……。
この頃の自分はもう社会人で、埼玉から東京に通勤する行き帰り途中の秋葉原駅でよく下車したものだった(ちなみに昨秋からテレビやPC、レコーダーの買い替えの下見でまたアキバにしょっちゅう行っているのだが)。80年代後半から90年代初めのアキバは、まさに家電の街。パソコンは本格的な普及の前だったし、オタクという言い方さえまだ一般的ではなかった(はず)。
そのアキバでは主に何軒かのCDショップに通っていたのだが、店先の多くで森高千里の立て看板をよく見かけた。「ザ・ミーハー」、それに「ザ・ストレス」を頻繁に耳にしたものだった。

騒々しく活気あふれる電気街と、デビュー間もない頃の彼女の姿。自分にとっての当時の思い出である。
ただ、この頃の森高は、まだお茶の間レベルのブレイクは果たしていなかった。僕が勤めてた会社でたまたま彼女のことを何かで見て知った同僚から「すごくきれいな娘だね。アイドルなの?」と初歩的な質問をされたことがあったくらいだ。それでも、すでにカルト的な人気はあったと思うが。

そして「17才」のヒットは、彼女を一気にメジャーな場所に押し上げた感があった。

もともと南沙織のオリジナルはアコースティックなアレンジで、ちょっとフォークの香りもある、軽やかでポップな仕上がりである。

対して、その18年後の森高版は、アッパーなユーロビート。

なにしろイントロが長い(近年の世界的な傾向と正反対)。それはまるでリミックスバージョンのようで、この時代に隆盛を誇ったストック・エイトキン・ウォーターマンの音作りへの意識があると思われる。
そして鳴り続く多数の音色は、軽やかというよりも、シンプルに、軽い。軽快で、せわしない、その高揚が「17才」に新しい魅力をもたらしていた。

しかも森高のヴォーカルが、やけにそそるのだ。この頃の彼女にはどこか無機的というかクールな印象があって、それはこの曲でもそうだった。ニュアンスや情感をあまり深く表現しきらず、ここでは疾走感が生む爽快さのほうに走っているよう。その勢いがこの曲のポップネスを強調する作用を生んでいる。

ちなみにこの時の森高はそもそも17才をとっくに超えていたが、そんなことなどどうでも良かった。本当に見事な出来の「17才」だった。

しかもオリジナルアルバム『非実力派宣言』のほうにはこの曲が2パターン入ってて、ひとつはカーネーションの演奏で、いきなり直枝政太郎(現:政広)の声も聴こえるアコースティック・バンド版。そしてもうひとつは「ラッキー・ラヴ」を思わせるユーロビートの王道路線。森高、恐るべし。

この歌のヒットから彼女の人気はさらに加速し、メジャーな存在となっていった。
なお、僕はこの何年後かに今の仕事を始め、森高本人にインタビューする機会もあった。それはそれはとても素敵な方で、素敵な時間だったことを記しておこう。

激烈シャウト!感情ダダ洩れが壮絶な銀杏BOYZ版

南沙織の「17才」、もうひとつの名カバーは銀杏BOYZである。

銀杏のこの歌は、日本映画『俺たちに明日はないッス』(2008年)の主題歌だった。柄本時生、それに安藤サクラといった役者たちがまだまだ若かった頃の作品で、監督はタナダユキ。現在はU-NEXTで見れるようである。

僕自身、この映画を試写会で観て、そこで活写されていた若さとバカさ、それに性欲を持て余す、まさに17才の高校生たちの群像劇に大笑いしながら、感動した記憶がある。

銀杏の「17才」のリリースは、この映画の公開に合わせて、2008年の11月。峯田和伸が激烈なシャウトを聴かせている。

当時、峯田はこの映画と「17才」のカバーについて、ブログにこんなふうに書いている。

詳しい感想はここには書かない。
いまここで僕が書けることはなんだろう。と考えた。
もしこれを読んでいるあなたが劇場に「俺たちに明日はないッス」を観に足を運ぶなら、その大きいスクリーンに映し出される若い俳優たちの顔をみるだろう。声を聞くだろう。そこにいる彼らはまさにあの頃の僕だった。まるっきり「きも」くて「いたい」。爽やかさのかけらもない。
訂正。きもくも痛くもないよ、ぼけ。僕はあれこそが本当の十代の爽やかさだと思う。ぼけ。

監督タナダユキはどうして銀杏に声をかけたか。そんな理由知らなくていいと思う。知ってるやつに声なんてかけないんだから、きっと。
僕はエンディング曲をつくるにあたり、あの映画を最後にうまーくまとめるような、彼らの問題を解決してくれるような、「仕上げ」的な音楽など毛頭つくれなかった。
あの映画とともにあるような、スクリーンのなかの彼らがもうすでに音楽そのままの存在なんだから。(←なーにを偉そうに。ぼけ


その通りで、銀杏による「17才」は、先ほどの映画の何かを回収するとか締めくくるというよりも、出しっぱなし、こぼれっぱなし、あふれっぱなし。劇中のそうした感情のすべてを受け継いでいるかのようだ。

この時の峯田は、もちろん今よりも若いとは言えすでに30歳で、青春真っ盛りの17歳からはほど遠い。しかし彼は曲そのものに込められた若さと荒々しさ、そしてその青春時代の感覚に強く共振しているかのように叫ぶ。その上でここには、(前回の「南沙織 その1」に続いてだが)この歌の17才が抱える、大人でも子供でもない、という感情も埋め込まれているように感じる。
やり場も行き場もない感情がそのままぶちまけられたかのような、生命力が爆発するカバーバージョンだ。

ちなみにこのシングルにはもう1曲、同じ曲のアコースティックでのカバーを収録している。

また、2014年には、このライヴバージョンも発表している。こちらはノイズの量が増していて、さらにパンク的。しかも1分ちょっとしかないという極端さ。

そしてこのライヴ盤と同時にリリースされたオリジナルアルバム『光のなかに立っていてね』では、1曲目に「17才」を収録している。

最初のシングルから6年近く経過しながら、あらためてこの曲をアルバムに収録したのは、背景として2011年に起こった東日本大震災があるようだ。山形出身の峯田は、あの震災のあとに初めて出すこのアルバムの冒頭を、海の描写から始まり、私は今生きている、と唄って終わる「17才」を置きたかったようだ。
この歌と演奏の真摯さは、本アルバムの冒頭にふさわしい。ほかの誰にも唄えない、すさまじい「17才」。南沙織の曲のこんな解釈もある、という壮絶な実例である。

そして銀杏の「17才」には、峯田が抱える、青春時代や若さというものへの思いが充満しているように感じるのだ。

3年前、群林堂に初めて行った時の包装紙(撮ってあった)。
鮮やかでハイカラ!


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