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小説『雑記帳』より。(3話②)

3話 素子のアルバイト②(お兄ちゃんの部屋には一人でいかない?)

機嫌の良さの延長なのか、お兄ちゃんが今度私に珈琲を淹れてくれるという。
素直に嬉しくてハッキリと頷いておいた。
「うん。」
お兄ちゃんは一人暮らしだから、もちろん一人では行かないつもりだ。

それから、お兄ちゃんとお姉ちゃんは、セットで私と行動を共にすることが多くなった。
仕事では、私が入力の仕事以外にもサポートとしてチームに入り、プライベートではよく三人一緒にご飯を食べて雑記帳へ行った。

「本当の兄弟姉妹のように仲がいいね。」

職場でもその二人三脚ぶりが話題になったほどだ。
他の知らない部署の人たちなど、本当に兄弟姉妹と思った人もいるかもしれない。

しかしある日、最近には珍しく私単独で雑記帳へ行った時に、鈴木さんからこう言われた。
「素子ちゃんはお兄ちゃんとお姉ちゃんと仲良しだね。でも、本当に三人でいていいのかな?お兄ちゃんとお姉ちゃんの邪魔していない?」

私は最初言われたことが分からず、ポカンとしていると、
「二人はきっと、両想い寸前か、もしくはすでに両想いか。二人で出かけたい時とかあるんじゃないかな?」
と鈴木さんが言う。

私たちはいつも仲良し三人組みたいにしてきた。
いつも並び順は私が真ん中。でも確かにそういえば二人はもう三十歳代で、お年頃なのだ。二人が私が知らないうちにカップルになっている可能性だって普通にあり得る話だ。

「そうか、そういえばそうだな。」

仕事上でのチームとしては二人三脚だけど、プライベートで三人組はちょっと遠慮しよう、そう思った。
少なくとも自分から「ご飯食べ行こう」と誘ったりしないようにしよう。

ところが、数日たったある日気がついたらお姉ちゃんの元気がない。極端に元気がないのだ。どうも顔を上げないけど泣いた後のように目が腫れているような気がする。

「お姉ちゃん、どうしたの?」

声をかけると笑顔を作って、むしろ逆に私に何か困ったことあった?大丈夫?と心配してくれる。

けれど、明らかにお姉ちゃんの様子はおかしい。
職場には口うるさいオバサン社員もいて、仲良しの私たちを妬んだりしていると聞いたことがあるし、いじわるでもされたかもしれない。
私は、隣の席だし何か聞いたり見たりしているのではないかと、コッソリお兄ちゃんに聞いてみた。

「いや、全然気が付かなかった。後でそれとなく声をかけてみるよ。」

お兄ちゃんはいつも冗談交じりでお姉ちゃんをからかっていることが多いが、今日はちょっと真面目な顔をして返事をしてくれた。

うん、良かった。私は心の中でとりあえずホッとした。さすがお兄ちゃんは頼りになる。

「お前さ、今日定時で仕事上がれる?」

お兄ちゃんが聞いてきた。今日は何もないから、切りのいいところで仕事を終わらせて雑記帳へ行こうかと考えていた。

「上がれるよ。雑記帳に行こうかと思っているんだけど。」

これも珍しくお兄ちゃんが優しいほほえみを浮かべて、
「じゃあ、今日は雑記帳の珈琲じゃなくて、俺の珈琲飲んでみない?良さ気なサイフォンが手に入ったんだ。」

「へえ!サイフォン・・・・?」
私がよく分かっていない笑顔で返すと、やれやれというようにお兄ちゃんは、
「分かった。じゃあ、うちでサイフォンってものを教えるところから始めるから。」
と言って、
「じゃあ、一緒に帰ろう。」
と、机に置いた私の手のひらをポンポンと軽くたたいた。

定時時間になると、この職場は学校のようなチャイムがなるのだが、チャイムが鳴って片付けて振り向くと、お姉ちゃんはもういなかった。

「お兄ちゃん、お姉ちゃんは?」

私はあたりをグルグル見回した。トイレでも我慢してて速攻駆け込んだとかだろうか?

「姉ちゃんは帰ったんだろう。」

お兄ちゃんは帰り支度をしながら、何でもないことのように言った。お兄ちゃんの珈琲を飲みながら、お姉ちゃんを元気づけるとかじゃないのかなと思った。

「一緒じゃないの?」
「今日は用事があるらしいから。あいつにはまたちゃんと珈琲入れてやるよ。」

と、お兄ちゃんは私の頭をなでて、帰ろうと促した。
そうか、きっとお兄ちゃんは、お姉ちゃんにちゃんと大人対応で別に励ましてあげるのかもしれない。

今年は冷夏だといって、夏の終わりにはもうすっかり秋だった。
冷え性の私の手先が冷たい。お兄ちゃんは会社の門が見えなくなるくらいになると、自然な感じで私の手をつないで歩いた。

「なんだ、冷たい手をしているな。死人の手みたいじゃないか。」
「冷え性なんだよ。」
「血液通っているのか?こんな冷たい指先で、よく入力の仕事を一日やっていられるよ。」

お兄ちゃんは私の手を包み込むようにして温めた。
優しい。
お兄ちゃんって、こんなに優しかったっけ?と今更のように思った。お兄ちゃんの手のぬくもりが、とろけるように気持ちがいい。

もしかして、お姉ちゃんと三人でやってきて、人並みに気をつかうようになってきたのかもしれない。
以前は「自分は一人で生きてます」って顔で、周囲のことはまるっきり気にしていなかった感じのお兄ちゃん。

雑記帳に近いあたりにアパートがたくさんあるエリアがあるのだが、その一つがお兄ちゃんの住んでいる場所だった。

「本当に雑記帳から近いんだね。でも、あそこには行ったことがなかったの?」
と聞いてみると、

「あれが珈琲屋だとは思わなかったしなぁ。目の前のスーパーには買い物に行っていたけど、気にもしていなかったよ。まぁどうせ珈琲は自分で入れるからな。」

お兄ちゃんはニヤッとして、アパートの一角の部屋の前に立った。鍵を開けて扉を開くと、
「どうぞ。」
と私の背を軽く押した。

明かりをつけると、几帳面なお兄ちゃんらしく綺麗な部屋だった。タバコの匂いと男性特有の匂いがするような気がした。

「綺麗な部屋だろ?」
私の心を見透かすように言う。
「そこに座っていいよ。」
お兄ちゃんが座布団を指した。私は荷物を傍らに置いて、ちょこんと座った。

お兄ちゃんは四角の箱にハンドルがついているものを持ってきて、珈琲豆が入っている缶のフタを開けて私に薫りを確かめさせた。

「俺も焙煎からやっているよ。マスターほどじゃないがな。」
お兄ちゃんはその豆を四角の箱に入れて回し始めた。

「それは?」
「これ?珈琲ミルだよ。豆を砕くものだ。鈴木さんのところは機械だけどね。初めて見るのか?」

お兄ちゃんは「匂いかいでみな」とミルを私の鼻に近づけた。
「おー、珈琲だ。さっきの豆の香りと違うね。」
「当たり前だ。曳いてしまうと酸化するから、飲む前にこうして曳くんだよ。」
「へぇー。」

お兄ちゃんは曳き終わるとサイフォンを出してきた。大きなガラスの砂時計みたいで、もちろん砂は入っていない。

「綺麗だね・・・まるで美術品みたい。」

私が喜んでいると、お兄ちゃんは満足そうに微笑んだ。
セットしてから珈琲が出来上がるまでを、私はかなり細かく真剣に見ていた。なんて不思議な機械なんだろう?
どうしてお水が上に上がるんだろう?何しろその工程がなんとも美しい。

「サイフォンって美しいだけでなくて、これで入れた珈琲もとても美味しい。」
私が喜んでいると、目を細めてお兄ちゃんは嬉しそうだ。

「そういえば、この前タロットカードの話をしていただろう。」

お兄ちゃんが思い出したように言う。
そうだ、休み時間にお姉ちゃんとタロットカードの話をしていた。以前一回雑記帳に来ていた、タロットカードの女子高生の話から、すごくよく当たるらしいみたいな話まで。
お兄ちゃんは全然聞いていないふりをしていて、全部聞いていたのか。

「このカードは昔からあって、よく当たるって言われているけど、どうやっても当たるようにできているんだよ。しかも、現代のトランプの原型だしね。カラクリを教えてやろうか。」

お兄ちゃんが胸を張って言うので、これはすごいと思った。お兄ちゃんが自信満々ということは真実だろう。

「ほら、カード。」
と、お兄ちゃんがタロットカードを出した。
なぜお兄ちゃんが持っているのか?お兄ちゃんでも恋占い的なことをするのか?全然似合わない。

「こっちにおいで、ここに座れ。」
テーブルを挟んで向かい合っていた私は、お兄ちゃん側のテーブルに座りなおした。

「カードを切ってみな。」
私が不器用そうにカードを切っていると、お兄ちゃんは仕方がないなという感じで、
「まったく、ほら、貸してみな。」
と素早く切ってカードを並べ始めた。手慣れた手品のように、カードをさばいていく。
「お兄ちゃん上手。で?何を占っているの?」
と聞くと、
「内緒。」
と笑っている。
何を占っているか分からない占いの結果って、ちょっと怖い気がする。

「ねぇ、教えてよ。」

と私が言うと、お兄ちゃんは小柄な私をまるで子供を抱えるように膝に乗せて説明しだした。
お兄ちゃんの息が私の耳のあたりに暖かく感じる。
背中は外見が華奢なお兄ちゃんの、意外に厚みのある胸の肉感を感じている。

よく考えてみると、今までお兄ちゃんに男を感じたことが全くなかった。
ひたすら本当の兄のように慕ってきた。

言動を注意されたり諭されても、他の人なら反発を感じることでも、お兄ちゃんに言われるなら素直に聞くことができた。
これが「男」を感じていたなら、羞恥心が先に出て素直に聞くことを邪魔していただろう。

でも今、お兄ちゃんの膝の上で、本当の「兄弟」と「一人の男」を感じることの狭間にいる。
お兄ちゃんが大好きだけど、その「大好き」はどういうもので、どこへ向かおうとしているものだろう。自分の感情がよく分からなくなって、頭がぐらぐらする。


私の頭の中が混乱して、目の前のタロットカードどころではなくなると、お兄ちゃんが座っている後ろから抱きかかえるように抱きしめてきた。
私がどういう反応をしていいのか分からずに固まっていると、さらにギュッと力を入れて抱きしめてきた。

これは、お兄ちゃんはどういうつもりなのだろう。

(最終話へ続く・・・)

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