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トガノイバラ#69 -4 悲哀の飛沫…10…


◇  ◆  ◇  ◆


 伊明はふたたび遠野の車に乗りこんで、御木崎邸に向かっていた。

 時刻は午後七時半。
 カーナビによる到着予定時刻は午後八時すぎである。

 遠野たちの話によれば琉里が診療所で拉致されてからおおよそ三時間は経っている。矢方町と御木崎邸は、車での移動ならば二時間弱はかかるから、あの離れなり地下の牢獄なりに閉じこめられているとして――正味一時間程度か。

 はたして無事だろうか。父はどうしているだろう。

 連絡の取りようがないのがひたすらに不便だった。
 琉里の携帯電話は病室に置きっぱなしになっていたそうだし、父に掛けても圏外のアナウンスが流れるばかり。いっそ遠野に、御木崎邸に電話してもらおうかとも思ったのだが――いけません、と御影佑征に止められた。

 いわく、奇襲の意味がなくなる、とのことである。

 御影家の尽力は大きかった。

 もともと父が頼んでいたこともあり、「手ェ貸しましょうか」の時点ですでに『琉里ちゃん&伊生さん奪還! 奇襲大作戦』(と御影佑征が息巻いていた)計画の大まかな流れも決まっていたし、準備もほとんど整っていた。

 聞けば昼前、父から御影佑征に「これから宗家に行くからいつでも動けるようにしておいてくれ」といった内容の電話があったらしい。

 当初は遠野ひとりで乗りこむ予定だったのが、結局、伊明はもちろん柳瀬も同行することとなり、御影家一行も加わって、とんでもない大所帯となってしまった。

 そう、本当にとんでもない。

 高速道路を、メタリックブルーのクラウンを先頭に、軽だのバンだのSUVだのが二列に並んで十台強、抜かしもせず抜かされもせず、きれいに整列して走っている様は、はっきり言って異様である。

 それに加えて――。

『はい、点呼とりますよぉ。こちら御影佑征、御影佑征。どぉぞッ』

 耳につけたインカム――出発時に渡されたものだ――から抑揚のある名乗りが流れてくる。

 それに呼応するように、御影なにがし、御影なにがし、御影なにがし、と御影の苗字を持つ者たちの賑やかな声が続いていく。どの声も関西訛りが強い。そしてやたらめったら明るい。

 御影佑征が作戦決行のための招集を掛けてから二十分足らずのうちに、この御影なにがしたちはどこから湧いて出たのか旅館『隠れ家』に続々と集まってきた。

 彼らは伊明を見ると、「ほう、これが御木崎家のボンボンか」とか「ほんまにヒョロッヒョロやなあ、御木崎の人間は」とか「頼りなあ」とか、わりに失礼なことを口々に、好き勝手に言ったあと、「まあ任しとき」と笑って背中を叩くという一連の動作を、それぞれ繰り返した。

 御影家にも実働部隊――御影佑征は「要するに働きバチですわ」と笑っていたのだが――なるものがエリア別に組織されているらしい。

 彼らは御木崎家お抱えのKratとは、雰囲気からなにからまるで違っていた。服装はいたってカジュアルで、みんなずんぐりとした――言ってしまえばドングリ体型である。寡黙な張間たちとは対照的に、ものすごく陽気だった。

 いまから御木崎宗家に乗りこむというのに、まるでキャンプに行くようなノリ。

 現にいまも、御影なにがしと名乗りをあげる声の後ろで、季節外れな夏曲が流れていたり、ポップな洋楽が流れていたり、大合唱していたりするのが聞こえてくる。一台の車に三~六人、車種の規模に合わせた人数が乗っている。

 ――大丈夫なのだろうか、本当に。

 不安しかなかった。
 遠野にいたっては、眉の上の青筋がさっきからびきびき脈打っている。

『おんやあ、応答がありませんねえ。伊明くーん、ちゃんと聞こえとるう?』

「……聞こえてます」

『遠野センセイ、遠野センセイ、聞こえとるう?』

 ブチ。
 変な音が聞こえた気がした。

「うるッせえ、少しァッてろクソ馬鹿野郎!」

 遠野が吼える。インカムの向こうが静まり返った。「OK」と一言あって、通信が切れる。

「はあ。大丈夫なのかしら、あの人たち」

 助手席の柳瀬が額をおさえて呟いた。個数の関係上、彼女はインカムをつけていないが漏れ聞こえてくる声と遠野の様子からもろもろ察したらしい。

 ハンドルを握る遠野の目は、烈火のごとき怒りを湛えている。乱暴に煙草に火をつけ、深く吸いこみ深く吐きだす。柳瀬が、けむい、くさい、と文句を垂れて窓を開けた。

「……本当にうまくいくんですかね」

 伊明は後部座席でうなだれていた。
 力になってくれるのはありがたいが、あまりにもノリが軽すぎる。

「あの――作戦? とかだって、ちょっと無謀な感じするし」

「まあねえ」

 ふう、と柳瀬が嘆息する。

「伊明くんのお父さんや張間のおじさまを見ているせいか――御影家の人たちって闘いに適した体つきとはいえないものねえ」

「お前が言うな」

 すかさず遠野が口をはさむ。

 御影なにがしたちはさておき、この中でもっとも闘いに適していないのはおそらく柳瀬だ。得意分野でいえば遠野は喧嘩、伊明は体術、柳瀬は採血なのだから。

「っつうかお前なんでついてきた、柳瀬」

「あら、衛生兵だって必要でしょう」

「俺がいるだろうが」

「院長が刺されたら誰が応急処置するんですか?」

「やめろ、縁起でもねえ」

 心底嫌そうに遠野が片手を振る。

 たゆたう紫煙が座席の間を通り抜け、伊明の鼻先にツンとしみる。

 車窓へと顔を向け、窓を少しだけ開けた。とたんに吸い込まれるように秋の夜風がはいりこんできて、伊明の額にぶつかっていく。

「院長。御影家って、御三家のひとつだって言ってましたよね」

 急に真面目になった柳瀬の声が、風の音とともに耳に流れこんでくる。

「ああ。関西圏を牛耳るシンルーの一族だ。俺も小耳に挟んだって程度でよくは知らねえが……あの御影のうるせえクマ野郎の言うように、ギルワーに対してかなり親和的らしい。それに、御木崎家を抜けた奴の面倒もずいぶん見てやってるようだ。――おい伊明。お前、父ちゃんの仕事のこと聞いたか?」

「……聞きました」

 窓へ顔を向けたまま答える。

「御影家が保護してたのは、もともとギルワーだけだったらしい。それが御木崎家の駆け込み寺にもなったのは、あいつとの繋がりがあったからなんだろう。付き合いもそれなりに長いんじゃねえか。……正直、俺は御影の連中とはどうにも反りが合わねえが、あいつは『任せていい』っつってたぜ。だからまあ、大丈夫なんだろうよ」

 伊明はなにも言わなかった。相槌程度に頷くだけ。
 不安は、晴れない。

 柳瀬が申し訳なさそうに遠野のあとを引き取った。

「私もつい、大丈夫かしら、なんて言っちゃったけど……御木崎さん――伊生さんって、義理とか情とか、そういうのに判断の基準を置くタイプじゃないと思うのよね、私。息子さんにこんなこと言うのもなんだけど、そういうのは二の次、三の次っていうか」

「いや、そうだと思いますよ」

 本当にそのとおりだと、伊明も思う。
 柳瀬の声に苦笑が混じった。

「だからね。その伊生さんが信用するってことは、ちゃんと根拠があるってことよ」

 顔は外へ向けたまま、じっと耳を傾ける。

「彼らには彼らの目的がある。御木崎家をぶっ潰すっていう、ね。利害が一致してるのね、伊生さんと」

 それは御影佑征本人が言っていたことだった。
 作戦の説明をする際に、おまけのように。

 伊生さんに頼まれたからというのもあるけれど、なによりもそのために、自分たちは動くのだ――と。

「向こうにも利がある以上、他人事じゃないんだから、ちゃんとやってくれるわよ。だから私たちも思いっきり暴れてやりましょ」

 そういって柳瀬は、肘を突き出して力こぶを作る真似をした。その横で遠野がふっと笑う。心なしか、髪が逆立っているようにも見える。

「成功率は俺たちの暴れっぷりにも掛かってる、っつってたしなあ御影のクマが」

「……院長、笑顔が凶悪です」

「うるせえ、血が騒ぐんだこういうのは」

 たしかに――琉里のためとか伊明のためとか、義理人情だの友情だの、変にこぎれいなことを口にしなかったぶん信用はできるのかもしれない。いまの伊明にはそのほうがよほど心強い。信頼よりも信用できるか否かのほうが――大事だった。

 伊明の口元に、少しだけ、笑みが乗る。後ろの車列を振り返った。

「……けど、あの人たち。自称穏健派なわりに考え方とか作戦とか、だいぶ過激ですよね」

「そういや御木崎も同じようなこと言ってたな」

 伊明は思わず口をつぐんだ。柳瀬が遠野の二の腕あたりをぺしんとたたく。

「痛え、なんだ」

「無神経」

「はあ?」

 まったくわからないと、その声が言っている。

 伊明はなにも言わなかったがとくに気を害したわけでもなかった。もちろん、父と同じと言われて好い気はしないけれど。

 車内で唯一、人工的な明かりを放つカーナビに瞳を向ける。

 御木崎邸到着まで、残り約三十分――。



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*前回のお話はこちらから🦇🦇


*1話めはこちらから🦇🦇


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