『唯一愛した女性②』-交際編-

世紀末。高校一年生の夏。

僕は半ば強制的に友達にワンゲル部の体験入部に連れ出され、”テント張り大会”に猫の足も借りたいように使われたが、結果は散々。ふてくされ、見知らぬ山から顧問の車でみんなで高校に帰っていた。

体験入部に僕を誘ったアグレッシブな女友達が「今日はすいませんでした!みんなが楽しんでもらえたらよかったです!」なんて言い、負けても一致団結感を強制してくるようなところがきもちわるかった。拍手をさせられた。これでやっと終わったかと思った。

七人くらいいたと思う。きっとそのアグレッシブな女友達がかき集めたであろうメンバーは、女5男2くらいだった。

そのうちの一人の女性となんとなく喋った。

『私も今日初めて連れてこられたんです。』

「そうなんですか。正直散々でしたよね。もう二度と来ません(笑)」

『たぶん私も(笑)』

などとひそひそと、アグレッシブな部長に聞こえないように話した記憶がある。

同じ境遇にいたのがよかったのか、ふたりの共通点は”強制的にワンゲル部の体験入部に連れてこられた者同士”ということで繋がった。
メルアドを交換した。


彼女はなんとなく不思議な女性だった。田んぼの真ん中の”蛙高校”には、ダサいやつ、イケてるやつ、田舎のギャル・ヤンキーの三種類くらいの人種しかいなかったが、彼女はどれにも当てはまらなかった。

腰パンやミニスカートなど制服をだらしなく着ることがかっこいいとされていた時代に、彼女はいつも制服をきちっと着ていた。黒々としたロングヘア、前髪はパッツンと校則通り揃っていた。その眉毛にあたりに揃えられた前髪の下に、大きな目がふたつ。普通なのに、逆にどこかアーティスティックな雰囲気を醸し出していた。

彼女が変わっているなと思ったのは、彼女は"ひとり"で行動していたところ。

出逢ってすぐぐらいだろうか。僕のクラスに彼女はひとりでやってきた。彼女は僕を探し、僕は彼女を見つけた。僕はしょーもないダサいやつらとつるんでいた(それが楽だった)。
でも、体育もかぶらない5つも6つも隣のクラスの女子がひとりで来るなんていうのは、当然注目の的だった。案の定、後でクラスのチャラい男から「あれは誰や?」と聞かれたし、彼女が来た瞬間もそうなるだろうと思って正直嫌だった。

でも彼女は僕の前に現れて、僕に四角い袋を手渡した。

『これ、面白いから読んで!』

袋を開けると漫画が入っていた。

僕は普段漫画を読まない人間で、ジャンプやマガジンにも全く縁がなかった。読むとしたらドラえもんとクレヨンしんちゃんを小学生低学年のときからひたすら何度も読んでただけの人間だった。

そんな僕の趣味志向なんて伺うことなく『私はこれが好き!』と突然渡された時は、正直反応に困ったけど、僕は人当たりだけは当時からよかったので「ありがとう。最近暇だったし読むね」などと相手が喜びそうなことを言ったら、彼女は振り返ってどこかへ行ってしまった。

『鉄コン筋クリート』松本大洋

タイトルも作者もまるで知らなかったし、まずその本のサイズがデカい。邪魔だなとさえ思った。しかもご丁寧に一巻から三巻まで全て。

クセの強い表紙も恥ずかしかった。クラスメートから「あの子誰?誰?」と詮索されたが、僕は「この前、しょーもないワンゲル部の体験入部で会っただけ」とはぐらかし、漫画をささっとカバンにしまった。


人が観ているドラマを観て、来る2000年に地球が何かしら滅びるのを待っているだけだった僕は、渡されたその謎の漫画を読まずに感想も述べずに返すわけにもいかないか、と思ってしぶしぶ読んだ。

面白かった!ぶ厚めの三冊を一気読みし、夜に一人悶々とした。

今まで読んだ何物にも替えがたいその絵のタッチとストーリー。何度読んでも訳がわからない中毒性。細かい描写。シロとクロ。光と闇。暗い。怖い。そして広い。


僕は地球が滅びることを怖いと思っていなかった(いきがっていただけだ)けど、シロとクロや、その鉄コン筋クリートに登場するあらゆるものに内在する掴めない感情がとても怖いと思った。ぼーっと生きていた僕に3Dのようにその全てが押し迫ってきた。


僕は彼女にその漫画の感想を告げた。「おもしろい!」と。そうしたら『そうやろ?へへ』と多くを語らず笑っていた。「どこに売っているの?こんな漫画。近くの書店で見たことない!」と言うと、彼女はわざわざ田舎から電車で40分くらいかけた地方の中核都市みたいなところの大型書店まで行って買っているそうだ。

僕は高校生のお金のない中で、わざわざそんなところまで電車賃を払って漫画を買いに行く彼女の行動力と(当時はAmazonなんて便利なものは当然ない)、そしてそこで、この封に入って得体の知れない”パンドラの箱漫画”をわざわざお金を払って買い(しかも大型書籍なので通常の漫画より高い!)、読み、そしてそれが”当たっている”のだから、凄いと思った。

『尊敬する』
という言葉の具体的行動をよくわからなかった僕だったけど、彼女のそうした行動を想うだけで、僕は彼女を『尊敬』した。


人と同じドラマを観て満足し、ドラえもんという昔から読んでいる漫画を見て満足していた僕にとって、自らの意志と行動で世の中の面白いものを発見してくる彼女は、明らかに他の女性とは違って見えた。

僕たちはそれから二人で近くのジャスコ(イオンではなくジャスコ)に行ってはデートを重ね、100円のアイスクリームを食べたりしながらいろんな話をした。

彼女はしかも頭がよかった。
僕はどちらかというと文系、特に英語ができたが、彼女は数学や物理ができた。僕は数学もそこそこできたけど、物理なんてその意味も意義もわからないまま、立命館出身の体育会系の暑苦しい新米物理教師のオラついた授業の相手を"させられてた”だけなのに、彼女は数学や物理の問題を即座に理解し、スラスラと解いた。更には『私、物理が好きだから理系にいこうと思ってるの』と既に進路を決めていたのにも僕は脱帽した。当時は女子が理系に行くなんてオタクだとかバカにされやすいのに、そんな風潮なんて何処知れず。僕は彼女に内在する強い芯を、確実に感じ取っていた。

制服を崩して着ることが流行りというか”当たり前”だった時代に、彼女はそこには興味を示さず「こう着なさい」と言われた通りに着る。僕はそこから、”今”は人と無駄な争いはしないほうが賢明だ、という彼女の崇高ささえ感じた。「”時”が来れば自分で好きな格好をすればいい。争う時間こそ無駄」とでも悟っているかのような彼女の佇まい。 

今は、物理という好きな学問を磨き、松本大洋のようなまだ見ぬ素晴らしい作家を見つけ出してくるのが、彼女の何よりの楽しみのようだ。

そしてそれを堂々と人に薦めてくる勇気。

「僕にないものをこの人は確実に持ってる…!!」


僕は彼女に魅了されていった。

ある日、どちらから言ったかわからないが、携帯電話で話をしているときに「これって”付き合ってる”ってことなのかな?」「そうだね」という会話になり、付き合っているという関係になった。

僕にとって初めての彼女だった。

-つづく-

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