古典と普遍

「中国宰相列伝」なる本を古本屋で見つけて、読んでいる。

このnoteでも引用してみたいエピソードが満載で、非常に興味深く、面白い。しかし、昔の社会といのは、車裂きだとか腰斬だとか、実に物騒な言葉が多いこと。

現代に生きて、良かった。でも、どんなに技術や経済が変わっても、変わらないものがある。

古典に学ぶとは、つまりそういうことで、とんでもない時間が経っても、いまなお新しい、通用するものは何かを知るのだ、ということだと、よく言われるし当たり前なのかもしれないけれど、やっぱりこういうものを読むと、自分もそう思う。
一方で、高校生のときにこれを読んでも、ぴんとはこなかっただろうなとも思う。

それだけ、まぁ、色々経験したり考えたりしてきたということだ。

経験したり考えることによって、リアリティを感じる対象はかわる。リアリティの基準も変わる。

でも、古典的な価値は、きっと変わらないのだろう。それが普遍的というものだから。
成長という言葉を、普遍的な考え方に気づく、それを学ぶというふうに定義するならば、生きるということや学ぶということは、ある種、過去に向かうということなのかもしれない。

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