見出し画像

指圧と野口整体①

野口晴哉という天才

野口晴哉と整体

野口晴哉という偉人がいます。
整体という考え方を世に広めた天才です。
今でも『公益社団法人整体協会』という組織があり、御子孫やお弟子さんたちにより脈々と続いている団体の創始者です。

明治44年生まれで、昭和51年に逝去されていますが、もしご存命なら今年112歳というぐらいの時代の方です。

整体という言葉自体はあったでしょうが、こんなに整体という言葉が世に広まったのは間違いなく野口師の功績でしょう。

「整体」という言葉は、字義が豊かなので、人によってどういう思想のもとに「整体」という言葉を使っているかには非常に幅があります。

街にあるA整体院とB整体院は拠って立つ思想や哲学が全く違う可能性があるというより、全く違って当然であると断定していいと思います。

仏教の始祖は釈迦であり、仏典といわれるお釈迦さまの考えを記したものはお弟子さんたちが書き遺したものです。

いわゆる「如是我聞」ですね。私はお釈迦様からこのように聞きました…ということです。

お釈迦様ご自身は、何も書き残していらっしゃらないのです。

仏教という体系は壮大で、主にアジアに広がり、何百年という歴史の中で様々な宗派に分かれて発展してきましたが、もしかしたら、私たちが仏教の教えと思っているものは、お釈迦さまからすれば、「私はそんなことは言ってないんだけどなぁ…。」と思われるようなこともあるかもしれません。

壮大な宇宙を含む教えだからこそ、色々な解釈が成り立つし、それぞれの弟子によって、教えの重点はかわることでしょう。

何が正しくて、間違いということはありません。

伝播した土地の風土や国民性、もともとの伝統的なものの考え方によって教えが変質していくのは当然のことなのでしょう。

その仏教の変質と同じようなことが、「整体」という考え方にもいえます。

「整える」という言葉は、今またちょっとした流行り…ともいえるくらい、
「サウナで整う」「心を整える」「自分を整える」と日常的に使う言葉です。

「整体」とは「体を整える」ことですから、方法論やアプローチとしては無限にあるわけです。

「鍼灸で整体すること」もできるでしょうし、「マッサージで整体すること」もできるでしょう。

整体院のホームページを拝読していると、よく目につくのが、「治療未満リラクゼーション以上」みたいな文言です。

治療とまではいえないけれど、ただのリラクゼーションではなく、あなたのお悩みを解消するように、これまでの経験を生かして院長およびスタッフが精一杯頑張ります!というような方向性。

自律神経に効く…みたいなことをうたい文句にされていることも多いですが、一般的には腰痛肩こりにような身体の悩みに、手技によって改善を目指すということが多いように思います。

骨盤矯正や、小顔矯正という言葉も最近よく見かけるようになりました。
お電話やメールで、「産後の骨盤矯正はなさっていますか?」とお問い合わせをいただくこともしばしばです。

個人的に、私は野口師の提言された整体に矯正という言葉は一番なじまないのではないかと思うのですが、なにか間違った身体の状態があって、骨盤なり脊柱なりを正すことを矯正といって、産後はそれを行うべきだと信じたり宣伝する人もいらっしゃるわけです。

なので、野口師の考えに基づく整体のことを、特に「野口整体」といったりします。

そして野口師のお弟子さんたちもまたそれぞれ、ご自身の「如是我聞」に沿って、著書を出版されたり、会を主宰されたりして、「野口整体」を継承されていますし、お釈迦様と違い、野口師はご自身でもたくさんの著書を遺されているので、その原典を色々な方が解説されたり、それをもとに新しい「整体」を研究されたりしています。

野口師ご自身の文章は素晴らしく、含蓄深く、何度も何度も読み返したくなる珠玉の薫り高いものですが、私自身は凡才の悲しさで理解が及ばないことがよくあります。

なので、そういうお弟子さんたちや、直接のご面識はなくてもいわば信者さんのような立場の方の著作によって、理解を深めてきました。

その中でも、人生を共にされた奥様であり、整体協会の礎を共に築かれた野口昭子さんの著作が、私は一番好きで今まで繰り返し繰り返し読んできました。

うちの患者さんでも野口整体にご興味がある方が時々いらっしゃいますが、まずこの著書をおすすめします。

野口師の文章を読んでいただけではわからなかった、背景や地の部分が鮮明に描きだされているのです。

妻の目から見る偉大な整体師

まず、妻から夫への呼称が先生であることが新鮮でしょう。

この著書に限らず、「全生」という整体協会が発行する著作の中で、昭子さんは一貫して、夫への尊敬を隠すことなく、全身全霊の尊敬をもっていつも先生と呼び掛けておられて、はじめはまずそこに心打たれていました。

昭子さんご自身が五摂家筆頭近衛家のお嬢様であり、当時最高の教育、教養を身に着けた女性です。一流の方々を幼いころから見慣れていて、真贋を見抜く力も並大抵ではないはずです。

その方が婚家を出て、出入りの整体師であった野口師と駆け落ちされた。

現代にあっても驚天動地のことですが、時代は戦前です。

大スキャンダルとして、昭和のノラと呼ばれることもあったという華族社会を自ら切り捨てた昭子さん。

そんな人生を賭けた選択である野口師との結婚。
それについて、私はWikipediaでの著述以上のことはわからないのですが、きっと大河ドラマになるくらいの物語がそこにあったでしょう。

それだけで野口晴哉という人が、人間としてどれだけ魅力的な方であったか、如実にわかるというものですが、それを昭子さんが強烈に自覚してお書きになっているものですから、面白くないわけがないのです。

先生にもそういう空白の時期がある。それは十二歳から十六歳までの間である。それを追求して、先生の伝記を書こうなどという大それた気は毛頭ない。ほんとうは先生の伝記など要らないと思う。なぜなら先生の書いたもの全てが、先生の精神内容の歴史であり、魂の声だからである。

回想の野口晴哉

私が先生のこの時期に最も興味をもつのは、先生の思想の原点ともいうべき「自己開眼」が余りにも早熟すぎると思いながらも、この時期以外に考えられないからである。そこにはいったいどういう背景があったのであろうか。

回想の野口晴哉

そういう空白の時期というのは、自身の父、近衛文麿や、空海のようにどこで何をしていたかわからない、伝記や研究においても全く後世に伝わってない時期のことです。

野口師の「整体」の原点は、関東大震災の際、焼け野原で煮豆屋さんのおかみさんのおなかに手をあて『愉氣』したことであることは有名です。

その時が12歳。
そして、17歳の時には日暮里に道場を開き、『活元運動』を誘導し、『全生』を説く講和会を開いていたということですから、早熟の天才で済ませるわけにはいかない凄みを感じます。

その時代のことは、野口師本人はあまり口にされなかったとのこと。
それを奥様が野口師との会話の断片から書き記して下さったことは、本当に有難く、色々な整体についての示唆を与えてくれます。

『愉氣』『活元運動』『全生』『体癖』といった、野口整体特有の言葉は指圧を考える上でも、大変貴重なトリガーとなる用語なので、野口師の人生とともに、その用語についても、次回から考えてみたいと思います。



最後まで読んでくださって有難うございます。読んでくださる方がいらっしゃる方がいることが大変励みになります。また時々読みに来ていただけて、なにかのお役に立てることを見つけて頂けたら、これ以上の喜びはありません。