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ならまち月燈って?


猿沢池と興福寺

アカウント名をならまち月燈に変更いたしました

去年の6月にnoteを始めるときに、アカウント名を『指圧私塾/養生舎』にしていました。
noteを始めた目的が、指圧についておもうことあれこれを発信したいということだったからです。

最初は、鍼灸師やあん摩マッサージ指圧師さんや、その卵さんたちに、指圧って面白いんだよっていうことを伝えられたらいいなと思って始めたことでした。

ちょうど東洋医学の専門学校を卒業して7年、開業して5年が経ち、私自身が鍼灸より指圧の施術にとても惹かれて、指圧私塾という勉強会を始めるにあたって、仲間を増やしたいというのが、そもそもの動機でした。

その気持ちは変わりませんし、わたしの基盤として指圧師という属性はとても気に入っているので、指圧をわたしと世界をつなぐツールとして使い続けることは変わらないと思います。

でも一方で、指圧だけでは飽き足らなくなってきた自分にも気づいてきました。考えてみれば、わたしはこころとからだのつなぎめということに10代の頃からずっと興味をもっていました。

そのからだという部分に着目するとき、指圧の手法を学び、指圧によって人と関わる機会をもてたことは、本当に学びの多い日々でした。

6年前に、ならまちで開業した『女性臨床鍼灸 ならまち月燈』は、わたしの永年の夢の当時の集大成でした。

月夜に燈す燈火のように、悩める女性が集まってきて下さる場をつくりたい。なによりも臨床ということを大事にしたい。

長い名前ですが、一言一句落とせない文字でした。

6年前は、まだまだ自分自身の鍼灸の技術が、これから青天井に延びるように思っていたので、指圧だけ・・という発想は全くなく、鍼、お灸、指圧マッサージ、すべてを網羅して、患者さんのお役に立ちたいと思っていたのです。

しかし臨床を重ねるうちに、またシェアサロンとしてほかの鍼灸師の先生に場を提供していくうちに、鍼灸はもういいかな…という気がしてきました。

今まで何度も書いてきたように、鍼灸を軽んじているわけではありません。
鍼灸にはすごい効果があることもわかっていますし、その宇宙が広大無辺であることもわかっています。

でも、そしりを恐れず申し上げると、なにか症状があってその症状を治す…という治療モデルとしての鍼灸に興味を持てなくなったということが一番であると気づきました。

鍼灸師に対する、世の中のニーズは一番にそこであるということは、開業してからも痛感してきました。

西洋医学では、原因不明である頭痛や腰痛を、ツボに鍼を打つことで、魔法のように症状を消失させてしまうこと。

魔法使いのように、杖をついて来院された患者さんに、意気揚々と杖を忘れて帰っていただける…みたいなことが、治療院の役割と思ってきました。

永年抱えて来られたお身体の不調を、少しでも楽にしてさしあげられれば・・一心にそう願い、邁進してきました。

私自身が、30代から自己免疫疾患で悩み、つらい症状を抱えてきたので、身体症状のせいで、生きることを謳歌できなくなっている方の症状を治癒へと導くことが、自分の使命であり、天職であると思ってきました。

でも有難いことに通院していただくうちに、症状は楽になり、初診の問診でお答えいただいていた主訴はなくなっていくことは増えてきました。

でも主訴はなくなっても、卒業せずに通いつづけてくださることがどんどん増えて、新患さんを受付停止したまま、再開できないほどに、何年も通い続けて下さる方が増え続けています。

そして、そのように一生をかけてお身体を診せていただけることが、私自身、とても幸せに思うのです。

従来の治療院の役割として、治療モデルというのか、どんな症状でも治すということが至上課題のように、わたしは思っていました。

でもいまは、定期的にお通いいただくことによって、からだを整え、こころを整えることに重心があるように思います。

それに伴ってわたしの役割は変わってきましたし、求められることも違ってきたように感じ、患者さんがよりよく生きるための伴走者のような、そんなふうに自分を定義づけることが一番ぴったりくるように思うようになりました。

そうなると患者さんという呼び方も、先生と呼ばれることにも、違和感がありますし、シンプルに「わたしとあなた」に収束していくような関係性になっていきます。

今後の方向性として、『女性臨床鍼灸ならまち月燈』は、鍼灸師の先生方におまかせして、私自身は、もっと大きなこころとからだという枠組み、更にはたましいやいのちというような次元まで俯瞰した場を創りたいという想いが強くなってきました。

もともとのわたしは心理学を専攻し、カウンセラーになりたいと思っていた…という地点に、今、大きく一周して還ってきたように思います。

からだはからだの専門家、こころはこころの専門家…と、資格や学会的には分断されているなかで、少しづつ、同じようなお考えをお持ちなのでは?と推察されるような先生方も、ちらほらお見受けすることが増えてきました。

このnoteでも、そうそう!私もそう思うんです!と手を挙げたくなることがしょっちゅうあります。

そんな方々にも学びながら、こころとからだのつなぎめのようなところを、これからゆっくり探究していきたいと思っています。

『ならまち月燈』は、これからそういう場を目指し、そういう場を求めている方々が集う場にしていきたいと思っています。




最後まで読んでくださって有難うございます。読んでくださる方がいらっしゃる方がいることが大変励みになります。また時々読みに来ていただけて、なにかのお役に立てることを見つけて頂けたら、これ以上の喜びはありません。