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中途半端はダメじゃない

「おれ、中途半端だから』

私と、家を出た娘と、同居している息子と話をしていた。その会話のなかで息子がポツリと言った。

彼は、自分が長年やって来たものを、数年やっただけの自分より若い才能に追い抜かされたと感じ、自尊心が傷ついたみたいだった。

中途半端という言葉は私にも刺さったが、その言葉はほとんどの人に刺さる言葉だと思う。

やりとげたのもがない

人より秀でたものがない

結果が出せていない

成果が上がっていない

ものになっていない

ひとかどの人間になっていない

スペシャリストになれていない

プロになれていない

中途半端は沢山の言葉で表せる。

私もあらゆることに中途半端だ。何も出来ていない。母親として、女性として理想の姿になっていない。グラレコもファシグラも中途半端だし、コーチングも、事業承継のコンサルタントも、自分のやりたいと始めたことは、あらゆるものが中途半端だ。生活の糧を得ている仕事でもスペシャリストではないし、出来ることは限られている。

自分で書いててすごく落ち込むぐらい、中途半端だ。

でも。実はそれが普通なのではないかと思う。

誰かに評価されて、すごいですね。と言うことだけを追い求めると、息子のいう中途半端でダメな俺。となる。

私は、中途半端は当たり前、と思う。それが普通。中途半端であることの方が普通なのだと思う。

息子は誰かに評価されたがっているのかもしれない。何者かにならないとダメだと親の私が刷り込んでしまったのかもしれない。テレビに出ているすごい人たちのようになっていない、だから自分はダメなんだと彼は思っているのかもしれない。

彼にはどんな言葉を掛ければよいのかと考えながら、「みんな中途半端だよ。お母さんも中途半端だよ。何者にもなれていないよ。」と伝えた。

同じく娘は、「特別にならんくてもええねんで。普通でええねんで。」と言った。

息子は特別になりたがっている。特別であれと教えたのは私なのだろう。私は、そう伝えてしまって、ごめんと謝った。

彼は、若者らしい18才の悩みにぶつかっているのかもしれない。発達の特性を持っているからゼロか百かの考えに囚われているだけかもしれない。そこはよくわからない。

ただ、わかっていることは、見守ることが必要たということ。彼が自分で答えを見つける課題だとわかった上で、私はじっと見守るしかない。

きっと彼は大丈夫。また動き出す。

私は信じている。

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