自分を恐ろしいと思うこと

自分のことが恐ろしいという感覚になった。人間不振というより、自分不振という感じになった。

想像しやすい恐怖

県外からの流入を阻止しようとする自警団的なものが車を傷つけたりしているから、「県内に住んでます」ステッカーを行政が配っている地域があるらしい。ニュースを見ていて、なにそれ?と思った反面、もし自分が県外ナンバーの車を持っていたら標的になったかもしれない。という恐怖もわいてきた。この恐怖は想像しやすい方なので、対処も考えられる。

想像しにくい恐怖

でも、もっと怖いと思ったのが、想像しにくい恐怖だ。私自身がいつの間にか正義を振りかざして、相手が傷つくことも、相手の事情も考えることができなくなってしまい、盲目的に正義を行使してしまう、という考えたくもない想像を受け入れられるかどうかだ。想像力のない人になるのではないか?という自分に対する疑いを感じて、ぞーっとしたのだ。

気づける自信がない

もし自分が県外ナンバーの車を見つけて注意することに酔うような人間になってしまっていたら。私は自分で気づけるだろうか?…現時点ては気づける自信がない。そう思う理由は、過去によかれと思ってやったことが実はヤバいことだったという経験があるからだ。

過去の良かれ

「自分の大変さをみんなの前で自分の言葉で語った方がいいよ」と言ったことがある。その人は結局、みんなのまえで話すことは嫌だと断ってきた。その時の私は「何でだろうな。自分の口で言うというのはハードルが高かった?そっかあ。」と思っただけで終わったけど、後からよくよく考えると、とても危険なことで、相手が断ってくれて良かったという内容だった。

こんな私が自警にはまってしまったら、どんな恐ろしい事が起こるのだろう。誰かれなく注意して、正義に酔って鉄槌を振るうようになるのではないか、客観的に自分を見ることができなくなるのではないか、と感じて自分という人間が恐ろしく思ったのだ。

観察し続けるしかない

自分を怖く思うことは誰にでもある感覚なのかもしれないけど、私自身が自警沼にはまらない、はまるはずがないとは言い難い。今後はこの恐れの気持ちをもって自分を観察する必要があるのではないかな、と思っている。


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