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千利休のことなど。

ごきげんよろしゅうございます。
昨日歩き回ったところに正座でお点前をしたせいなのか、筋肉痛になってしまいロボットのように動いていました。
椅子から立ち上がるにも四苦八苦です。情けない。

以前に、2月の掛け軸なんだろう、梅か雪解けの景色かと予想して楽しみにしていたのですが、正解は

千利休の「妙」の書

でした。
2月28日が利休の命日ですので、当然そうなりますよね…。
無知って恥ずかしい。

ところで、「妙」とはどんな意味なんでしょうか。
南無妙法蓮華経の妙であり、「妙なり」は言い尽くせず人知が及ばないほどに優れている、の意味なのですが、なぜ千利休は禅語ではなく仏教に由来するこの字を選んで書に残したのか。

わたしが茶道に魅せられたきっかけは庭園と建築だったこともあり、お茶の始祖と思うのは利休さんよりも小堀遠州なのですが、やはり千利休のほうが巨大な人物のように感じます。
小堀遠州は行政の長官を務めながら、大手デベロッパーのような不動産開発の仕事も請け負う人ですし、徳川幕府の将軍の茶道指南役に納まったこともあって、うまく時流や体制に沿うことのできる角のない人柄だったのでしょう。

小堀遠州を一世とする茶道遠州流は、王朝趣味を取り込んだ
「綺麗さび」
をコンセプトにしていますが、平和な時代だから成立したのだろうな、と思います。
千利休の
「わび茶」
は、葛藤と闘争の匂いがする。

千利休が死に臨んで残した辞世の句、

ひっさぐる 我が得具足のひとつ太刀
今此時こそ 天になげうつ

堺の商人の子が茶の湯で出世のチャンスを掴み、茶席で豊臣政権のフィクサーとしてのし上がり、社交としての茶ではなく、自分の理想を追い求めて
「わび茶」
の完成に至った利休の人生を知ると、この句は我こそは!という自負と、やるべきことはやった、というようないさぎよさがあります。

書や歌を見ると、なんとなく人柄を感じるものですが、利休さんは気質が強いし、
「握る」
人ですね。
違う言い方をすると、オーラがある、交渉に強い、人を従え場を支配する存在感を持つ人。
ただでさえ大男で圧があるのに、狭い茶室に相対して座ると迫力が凄かったはず笑

千利休が太閤殿下から切腹を賜った事件は、なにが原因なのかはっきりしないままですが、時流が変わってしまったのが遠因で、パワーバランスが崩れたのだろうと思います。

権力者が世の中をまとめ上げるためには、武と文の力が必要なのだけれど、利休は
「美」
を武器に権力に近づき、利用し利用されながら太閤殿下の側近にまで上り詰めるも、並び立とうとして排除される。

ワンマン社長がコンサルタントを雇ったけれど、天下統一という目的の達成が見えてきたら
「会社のことは俺がみればいい」
茶が城を落とせるものなら落としてみろ、お前の正論は聞き飽きたとばかりに追い出すのは、今でもありがちな話です。

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