野暮の言語化 極限の分節化 ローティの彼岸

ほんとに個人的な色々を言語化して表明するためのサイトみたいな使い方をしていますが、ずっと頑張ってやってることもあるんです…

今回は特に短い話になりそうで嬉しくも悲しくもある有楽悠です。

最近は常に書きたい記事が出てきて小説家になろうの方とか、個人的な趣味に割く時間もなくなりつつあるので手短に

はじめに

こういうことをわざわざ言語化して語るのはそれこそ『野暮』だと思われるかもしれませんが、私はゲーム実況動画とかを見るとき、好みがかなり激しいタイプです。匿名ラジオのどこかの回で語られていた『映画に「おかしいだろ」と指摘して笑いを取るタイプ』の人間も個人的にはかなり苦手なタイプです。適切なタイミングではメタ発言が必要でありながらも、また別のタイミングではメタ発言はしてはいけないという自分ルールを持ち合わせ、また『笑い飛ばす』という行動や『感情を持ち出す』という行動にも同じようなタイミングで『それはいらないんじゃないか』と思ってしまうタイプです。良い行動をしている人間に対して「偽善だろ」とコメントするのは勿論、流石に褒めすぎだろと思われるようなコメントも同じ程に否定的な見解を持ってしまう人間です。

「そういうの、野暮って言うんだから」

なんて黛冬優子からの指摘が入りそうなところで例示は留めておいて、本論に入りたいと思います。

野暮のセクション

抽象的な概念なのでなんといえばいいのか分かりませんが、人にはある程度細かい野暮の『セクション』だとか『区分』だとか『領域』だとかがあるのは直感的にわかるところでしょう。

私が人生で影響を受けた三大哲学者のうちの一人に入るアメリカのネオ・プラグマティスト リチャード・ローティは仮置きした真理『存在X』を無限にインフレーションしていく、まとめあげることの出来ない様々な記述様式で書き表し、それを一つで語ることは出来ないものの、それぞれの記述を明確に区別する事が大切であると述べた。倫理学者が自由意志を述べ、物理学者が決定論を述べ、その両者を対立させるのではなく、『倫理学という場においては自由意志という記述様式が目的に適っており、物理学という場においては決定論という記述様式が目的にかなっている』という風に共に異なる側面から同じものを語っているだけだとしながら、目的によって記述様式を変え、それを『A目的に使う記述様式A’』のように、最終的に一つの真理にするために戦わせるのではなく、ただしっかりと区別を行い続けることが大切であると述べた。

『野暮』も恐らく同じようなものなのだろう。

『私の楽しみという場においてここでのメタ発言は目的に敵っていない』という書き方において私ははっきりとした区別がなされ、その限りにおいてこの感情の説明がなされる。YouTubeで動画を投稿する際、現在は『この動画は子供向けであるか否か』を問われ、その場合にはアプリで見ている時、画面を小さくすると自動的に動画が止まったり(他の例は分からないが)、動画の下にハッシュタグをつけることで一つの目的に関しての動画をまとめることができる。なかなか酷な話ではあるかもしれないが、ある程度『野暮カテゴリ』を判別するための視聴、投稿アンケートを実施することによって自分に見合った領域に属している動画を見やすくなる。と言ったことが可能ならば、私はもっとYouTubeのことが好きになるだろう。そんなことをすればサイバーカスケードが増加してしまうのではないかという懸念はもっともではあるのだが。

同調圧力のセクション

『新しい実在論』で日本では有名な哲学のロックスター(と呼ばれている)マルクス・ガブリエル氏は日本のことを『ソフトな独裁国家』と言ったニュアンスで評価していたと記憶しています。

実際に独裁が敷かれているわけではないものの、確か彼自身の経験(世界の針が巻き戻る時のなかで語られていたと思います)では『仕組みを知らなくて女性専用車両に乗ったら全員から睨まれて、この国は制度としての独裁ではないが、既に制度の外にいる人間を排除しようという空気が存在している』みたいな感じの話だったと記憶しています。

丸山眞男の理論と絡めて話すのはあまり理論がごちゃごちゃになってしまって良くないのかと思いましたが、あえて直感的に語らせていただくと、制度という虚構を現実にあるもののように扱う日本人は言語ゲーム空間をもまるで実在しているかのように扱い、我々の外にある野暮空間に存在したまま我々に干渉してこようとしてくる存在は排除しようとする。と言った表現で表せるのではないかと思います。

まぁ、これに関しては表しただけではなんともいえないただの発明的なものでしかないのですが。

蛇足

最近、特に深められれば何か面白いことが言えるかもしれないようなことに関して、そこまで深める行為を成功出来ずにそのまま投稿した結果なんとも言えないような単なる記述様式を徒に増やすだけというような記事が多い気がするが、誰かがこの記述様式を深化させ、何か面白い考えを思い浮かべてくれることを祈って中途半端なまま記事を投稿している。

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