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呼子のイカを取り寄せて食べる

■生きているイカが届いた! 呼子のイカに挑戦

発泡スチロールの大きな箱が届いた。フタを開けると、細長いビニール袋がパンパンに膨らんでいる。ビニール袋の中で、ビチャビチャビチャと水が跳ねた。

イカである。生きている。生きているどころか、怒っている。胴体の色が、オレンジから濃い茶色へとまるでネオンのように変わっていく。これを食べようというわけだ。だが食べてもいいのか? こんなに元気では、水族館のようだ。これから水槽に放します? ではないのか?

佐賀県の唐津市は玄界灘に面したこじんまりとした街である。唐津市の呼子町はイカで有名なのだった。呼子港から水揚げされるイカは新鮮そのもの。もちろんそれはそれでおいしいのだが、それだけでは名物にはならない。最近の飲み屋は、イカの姿つくりを出すところがあるが、そのルーツが呼子なのだそうだ。生きているイカを捌き、胴体を刺身に、イカの目玉やゲソはそのままに客に出す。

なんといってもポイントは、その身の透明感。キリキリとエッジの立った刺身は、箸が透けるほど透明である。これは生きているイカでしかできない。死んだイカはあっという間に体が真っ白になる。

その新鮮なイカを生きたまま宅配してくれるのが、呼子の『いか道楽』である。ピッチピチのイカを海水とともにビニールに詰め、クール便で送ってくれるのだ。つまり自宅で、呼子に行かなきゃ食べられない、超新鮮イカ刺しを食べることができるわけだ。

価格は大5,000円、中4,500円。これに送料がつく。イカは2杯だ。

そういうわけで、呼子のイカだ。王道のイカの塩辛とイカ刺しをこしらえ、ちょいと一杯やろうじゃないかという算段なのである。

・リンク 
いか道楽 http://www.ikadoraku.com/

■失敗だ! イカは死ぬのだ

ビニール袋の中で、ビチャビチャと動くイカを見ているうち、いたずら心が起きた。ちょうど今は家に自分しかいない。帰ってきて、玄関に生きているイカがいたらどうだ? ものすごくビックリしないか? 2歳の子どもは、きっと「イカ! イカ! イカ!」と踊り狂うことだろう。

フタを開けたまま、玄関に入ってすぐに見えるようにイカを出しておいた。そして嫁たちが帰ってくるのを待った。2時間ほどして、ただ今、と玄関で声がした。荷物を下ろすバサバサという音がする。さあ、驚け、驚けとワクワクしながら待った。だが、いつまでたっても何も音がしない。子どもの走り回る音ばかりだ。おかしい。

嫁が部屋に来たので、イカ見た? と恐る恐る聞いてみた。

「イカ? 何それ? なんか黒いのがあったけど、玄関に」

黒いの? ……しまった! 墨だ! 

イカが墨を吐くのをすっかり忘れていた。慌てて玄関に走ると、イカが入っていたビニール袋は真っ黒、何がいるのかさえわからない、ゴミなのか何なのかという有様だ。

「開けっ放しにしてるからよ。明るいからビックリしたのよ」

そうか、ビックリしたのか。イカ墨だもんな、そりゃ吐くさ、墨。こんなに真っ黒じゃ、何が何だか、イカが入っていることさえわからない。

持ち上げるとぴくりとも動かない。墨の間から、身が白くなっているのが見えた。

「死んじゃったんじゃない?」

死んじゃってるね。

同封の説明書には、24時間以内にさばいてくれと書いてある。クール状態で24時間だ。常温で明るくてイカは怒りまくっていたら、数時間で死んじゃった。

ああ、大失敗。

■生きてるイカはものすごいことなのだ

改めて取り寄せ直した。いらないことをするから、こういう無駄なことをしなくてはいけなくなるのだ。自分の人生を象徴している。

再びイカが届いた。今度は見せびらかしたりせず、すぐに捌くことにする。写真を撮らなきゃいけないので、嫁にさばいてもらった。なんか面倒臭いし。慣れた人の方が良いし。

袋から出した。ざーっとザルにあけた。グニャグニャと足が動く、動く。ものすごい鮮度だ。色がすごい、体の表面の色の細胞が大きくなると色を出し、小さくなると透明になるのだ。初めて見た。生きているのだ。嫁の指にビタッとイカの足の吸盤が引っ付いて離れない。イカも必死だ。これを食べるのは、ちょっと可哀相な感じがする。

まず内臓を抜いた。卵がびっちりだ。イカも卵で増えるのだね。あれ、どこだよ、肝。

「これじゃないの?」

普通、イカの肝といえば、茶色でゴロンとしたものだが、このイカの肝はオレンジ色で、ウニの身みたいだ。それがちょっとだけ、筋のように入っているだけだ。普通の3分の1もないかもしれない。1杯じゃとても塩辛なんてとても無理だ。肝は2杯分使うことにした。

次はエンペラを剥ぎ、皮をむく。

■透明の身でつくる塩辛

皮を剥いだら、これがすごい。身がまったくの透明だ。手が透けて見える。

「こんなイカ、初めて触るわ」

たしかに。皮がつるりと剥けたのには驚いた。ものすごく新鮮だと、こうも簡単に皮が剥けるものなのか。タオルでこすって皮を剥いだり、何かと大変なイカの下処理は、イカが古いからなのだ。

皮を剥いだら、身を細切りにした。切ったその時は透明なのだが、みるみる乳白色に濁っていく。いかの活き作りはスピードが勝負の料理なのだ。無理です。すごく速くやってはみたが、どだいは素人、なかなかに難しい。仕上がりは半透明ぐらいになったが、そこらのイカ刺なんざ、足元にも及ばないキトキト感(富山では新鮮な魚をきときとと言う)。断面がカチッとしている。

半分をイカ刺し、半分を塩辛にする。塩辛というと何だか偉そうだが、イカの切り身を肝と混ぜ、塩をするだけだ。そういうわけで、本当に少ない肝でイカ刺しをあえた。たまにイカのウニ合えなんて洒落たもんを出す店があるが、そういう時のウニは本当に少ないのだが、それよりも少ない。

少ないが、まぶすうちにそれっぽくはなった。塩を入れる。全体量の3~5%ということだが、ボールの重さを量り間違えたので適当。いいのだ、適当で。料理はセンスだ。

ちょっと味見をすると、素晴らしい。肝が甘く、その甘さが塩で引き立ち、イカの身はシャキシャキしながらも口の中で溶ける。

■生きたイカだからできた極上の塩辛

イカ刺しもちょっと凄いことになっていた。新鮮な魚介は甘いというが、甘エビと互角の甘さなのだ。コリコリッとして、シュワーッと口の中が甘くなる。甘イカである。新鮮は素敵だ。

素敵なイカ刺しをさっそく日本酒と合わせた。ここは1つ、吟醸、それも切れ味がいい、シャブリのような酒が良いだろう。というわけで、手取川。『手取川 大吟醸 純米』は、水よりもサラリとした吟醸の中の吟醸。大学時代、富山にいた関係で、北陸の酒を飲みまくったが、その中でもっとも味が澄んでいて、それでいてキチンと日本酒らしいフレーバーを持ち、飲み後も軽いのが手取川の吟醸なのだ。

特に夏の暑い日、ビールの後に切り替えると最高だ。

イカの塩辛は3日ほど寝かしておいた。半分はイカ刺しと食べた。とてもおいしいが、そこはやはり肝あえで、塩辛とは言い難かった。3日たつと身は真っ白、とろんとしている。肝の量が少なく、どうなるかと思ったが、ちゃんと塩辛だ。食べてみた。

ふわっとしているのはどういうことだろう。身は引き締まり、捌きたてよりずっとイカらしい。食べると肝は柔らかい甘さだ。塩しか入れていないが、生臭さはなく、刺身にはない別の甘味が出ている。まさに珍味。市販の塩辛とはまったく違う。

ご飯に載せたら、もう止まらない。軽く3杯食べてしまった。生のイカを見た時は、どうなるかと思ったが、いやあごちそうさまでした。大変においしかったです。

(初出 勝ちスポ 2006年5月)

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