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青くて四角いくすり⑦最終回

 夏菜子と別れてから地下鉄の駅に向かうまでが、いつもやたらと寂しい。
 寂しさを紛らわすために、人の流れから外れて、コンビニの前で立ち止まると、何か用事でもあるかように、スマホを開いた。定例のメールが二、三通届いてるだけだ。会社に必要とされていないことを改めて思い知らされる。
 ふと、あの掲示板のことを思い出した。
 他のお客さんのことは知らなくていいと夏菜子に注意されたのだが、かまわず開けてみる。

「夏菜子にマジ惚れしたジジイがいて、何にもしないのに、長いこと入られて疲れたって言ってたよ」
「夏菜子は、してほしいのにな」
「夏菜子、エッチが好きなんだぜ」
「おれには、させてくれたよ」
「おれもだ」
 急いで、スマホのキーをタップした。
「夏菜子は、そんな子じゃないよ」
 すると、間髪入れずに、
「お前、かわいそうだな」
 と、書き込まれた。

 夏菜子は、そんなことする子じゃない。私が一番よく知っている。奨学金をもらいながら大学に通って、居酒屋で身を粉にして働いても、お金が足りなくて、疲れ果ててしまい、仕方なく、この仕事をしてるのだ。彼女が、そんなことするはずがなかろう。
 いったい誰が、こんな書き込みをしたんだ?
 夏菜子をよく思わない客だろうか。そういえば、以前、よく似た書き込みを見たことがある。
 それとも、同じ店の女の子に妬まれたか。客だけでなく、店の女の子も書き込んでいると聞いたことがある。
 そもそも、なんで、こいつは、夏菜子に何もしないのに長時間入り浸っている客がいることを知ってるんだ。もしかして、夏菜子が私とのことを誰かにしゃべったか。それとも、まさかとは思うが、夏菜子本人が書き込んだか。そのいずれかと考えるのが自然だろう。

 夏菜子かもしれない。

 夏菜子は、真面目で貧乏な女子大生を装って、私に色恋営業をかけ、夢中にさせておいて、身体を与える代わりに、たっぷり金を搾り取ろうと企てているのだ。だから、なかなか釣られない私にヤキモキして、「お前、かわいそうだな」と、あなどりながらも、けしかけてきたに違いない。
 だとすると、彼女が話してくれたことは全部作り話だったことになる。彼女を信じていたのに、だまされていたのだ。それにしても、居酒屋バイトと高校生だった頃の写真は本物だったのに。まあ、今更どうでもいい。

 それならそれで、夏菜子の策略にはまってやろう。どうせ他の客とはいいことをしてるのだから、私も同じ思いをさせてもらってもいいだろう。
 夏菜子の肉感的な身体には、以前から魅力を感じていたことは事実だ。さっき、「したい?」と誘いかけてくれたとき、「したい」と正直答えておけばよかっただけの話しではないか。何をいまさら躊躇することがあるんだ。
 私の腕の中で、あえぎ、もだえる夏菜子が見たくなってきた。

 そもそも、なんで今まで、夏菜子の身体がほしいという欲望がわいてこなかったのだろう。ただ、手をつないで、たわいのない会話をするだけでよかったのは、なぜだ。
 私は、夏菜子に憧れていただけなのか。
 「純愛」、この歳になって純愛。
 そういえば、結婚はしたものの、恋愛らしい恋愛はしたことがない。女性に憧れることはあったが、愛し合うという感覚は、今でも感じたことがない。愛されていると感じたことがないのだ。あの行為は、愛の確認といわれるが、いくら交わっても、私は愛情を感じない。
 でも、夏菜子は違うように思えた。恋愛ではないが、何かしら夏菜子から愛に近いものが感じられたのだ。
 さっき、夏菜子に「したい?」と問われたとき、身体は素直にしたいと反応したが、心の中では、純白な夏菜子を汚してはいけないと思っていた。だから応じなかったのだ。夏菜子のいうとおり、私は、かわいそうなやつなのかもしれない。

 もういい。夏菜子の色恋営業に、まんまと乗せられたからには、身体の関係を求めることにしよう。一度は、誘いをかけてきたくらいだから、拒むことはないだろう。
 丁度いいことに、卒業旅行に行くと言っていたから、旅行代金の足しだといって、お金を渡すことにしよう。
 私は現金を下ろして、夏菜子に次の予約を入れた。

   ★

 そして今日、くすりを飲んでから一時間が経った。

 懐には、かわいい猫のイラストが描かれた封筒を忍ばせている。新札を十枚入れておいた。これで不足はあるまい。
 くすりも完全に効いている。
 地下鉄の階段を駆け上がると、外は、さっきと同じカッとした晴れ。太陽は、少し傾きかけているが、まだ真昼の勢いを残していた。
 五分前に、いつものホテルに着いた。
 しばらく横断歩道の方向を眺めていると、向こう側から、青いワンピースに身を包んだ夏菜子が近づいてきた。
「お待たせしました」
 いつもと同じ親しげな笑顔だ。今まで、この笑顔に騙されていたのだ。
 部屋に入ると、コーナーのテーブルに対面して腰かけた。私は、懐にしまってあった封筒を取り出すと、テーブルに置いて、夏菜子に差し出した。
「卒業旅行に行くんだったね。おこづかいもいるだろうし、これ、使ってくれないかな」
 自分で言っても気持ち悪い、下心が丸出しではないか。
 夏菜子は、大切そうに封筒を手に取って、中身をちらっと見ると、すぐさま、テーブルに置いて、私に突き返した。
「吉田さん、私、旅行は自分のお金で行くことに決めてるの。居酒屋さんで稼いだお金で。そうしたいのよ。ここでもらったお金じゃ楽しめないと思うんだ。自分でしっかり汗かいたお金で行きたいの。だから、このお金返すね」
 まさかの展開に私は驚いた。夏菜子は、お金を与えさえすれば、誰とでも寝るのではないのか。それとも、十万円では足りないというのか。
「夏菜ちゃん、気にしなくっていいんだよ。旅行に限らなくても、自由に使ってくれればいいんだ」
すると、夏菜子は憮然とした態度で、
「私、こういうの嫌なんです。前にも言ったと思うんだけど、吉田さんには、こういうことしてほしくないんです」
 なんで、私はダメなんだ。しだいに怒りが込み上げてきた。
「なんでダメなんだ。この前は、君から誘ってきたじゃないか。ひとに色恋営業かけておいて、何を今さら、そんなことを。君は、お金をもらえれば誰とでもするんだろう。わかっているんだよ」
 と、すごい剣幕でまくしたてた。

「違うのよ。吉田さんは違うの。だから、落ち着いて」
 夏菜子は、身の危険を察し、椅子から立ち上がると、少し後ずさり始めた。しかし、運の悪いことに後ろはベッド。つまづいて、仰向けに倒れこんでしまった。
「夏菜子、なんで俺はダメなんだ。なんで俺だけ拒むんだ。金は渡したろう。夏菜子、頼む、お願いだから、いうことを聞いてくれ」
 私は、夏菜子をベッドに押し付けると、勢いよくワンピースの裾をたくし上げた。
 ワンピースの隙間から、激しくバタつく太ももと、その奥に隠された白い下着が見えてきた。
 こうなると、止まらない。
「何で俺じゃ、ダメなんだ。俺の何がいけないんだ。そんなにキモいのか。なら、もっとキモいことをしてやろう」
 私は、夏菜子の下着に手をかけた。
「何でこんなことするの。吉田さんは違うのよ。そりゃ、他のお客さんとお金もらってしたこともあるけど、吉田さんとは無理なの。吉田さんには、ずっと手を繋いでてほしかったのに」
 夏菜子の抵抗を押さえつけ、下着を足首まで引きずり下ろした。
「どうして、俺は無理なんだ」
 夏菜子の抵抗がますます激しくなって、押さえきれなくなると、私は、ついに夏菜子の首に手をかけた。
「どうして、どうして······」
 うろたえる夏菜子は、意識が薄れる中で、かすれるような声を絞り出して叫んだ。
「おとうさん」
 その時、私は、後頭部にガツンと激しい痛みを感じ、夏菜子の上に、おおいかぶさるように倒れ込んだ。
 薄れゆく意識の中で、夏菜子が誰かと話す声が、かすかに聞こえていた。

   ★

 夏菜子の上で倒れている吉田の背後には、すりこぎを持った居酒屋の大将が仁王立ちで吉田を睨んでいた。大将は、オナクラの店長も兼ねているのだ。
 吉田の下から這い出してきた夏菜子に、店長は、
「大丈夫か。間に合ってよかった。それにしても、なんでこいつは、ここまで夏菜子に惚れ込んだんだ?」
「うぶだったのよ。でも、私も悪かったのかもしれない。この人、お父さんに似てるの。だから、この人と話していると、離婚してどこかに行ってしまったお父さんと話してるみたいで、温かくって落ち着けたの。それが、この人を勘違いさせたみたい。そのうち、この人を安心させたくなって、ちゃんと普通に暮らしているところを見せたくなったの。だから、あの日だけ、大将に頼んでお店に出さしてもらったのよ。ほんとは、ちっとも普通の女の子じゃないのにね。こんな私を好きになってくれたみたい。お父さんとお母さんみたいに離婚してほしくなかったから、奥さんと仲良くしてねって言ったのに。こんなことになるなんて」

 店長は、うつぶせのまま動かない吉田を見ながら一言いった。
「お前、ほんとうに、かわいそうだな」

(おわり)

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