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「ウチナータイム」って本当にあるの!?

ゴクツブシ(92年生まれ 神奈川県出身)

 「日本の学生はね~、本当に遅れない。たった2分遅れただけで、すごく謝ってね~。みんな真面目だよ。」
 これは、ワーキングホリデーで訪れているニュージーランドの英語教室で、ネイティブの講師から聞いた言葉だ。しかし、僕はその授業に30分遅刻してしまっていた。

 そう、僕は筋金入りの「遅刻魔」だ…。

 そんな僕であるから、進学で沖縄に移り住むことが決まると、周囲からは県外の人が持ちがちな沖縄のイメージを重ねられることが多かった。友人からはこう茶化された。「ゴクツブシは沖縄、合いそうだな」と。

 「ウチナータイム」という言葉がある。ネットで少し調べただけでも、きちんと文献に依拠したものから、移住者が自身の感覚を書いたものまで、山のように出てくる。ウィキペディアにある「ウチナータイム」という項目を見ると、これまで様々な文献において、言及がなされてきたこともわかる。「復帰」前の1964年に制定された「那覇市民憲章」では、「私たちは 時間を守りましょう」とまで書かれている。「ウチナータイム」が定着した要因としてよく聞くのが、戦後、米軍統治の中で鉄道をはじめとした公共交通が発達せず車社会となったことによる影響だ。

 「ウチナータイム」という言葉、及びそれに付随するイメージ(「おおらか、のんびり、時間にルーズ」など)は、沖縄県民自身にも一定程度共有された認識であったのだろうか。実際に暮らしてみて、沖縄県民の方が「ウチナータイム」を意識していたであろう場面が何度かあった。

 ある人と会う約束をしていたときのことだ。待ち合わせ場所は本島中部の某所。しかし、まだまだ沖縄の地理に不案内だった僕は所要時間を完全に読み誤り、高速を使えばいいのに一般道を使って渋滞にも巻き込まれ、なんと1時間もの遅刻をしてしまった。平身低頭で謝ったのだが、その時、その方が開口一番放った一言が忘れられない。

「沖縄だいたい、こんなだから」

 その方なりの配慮なのだろうが、リアクションに困る発言だった。なんて返したかは覚えていない。が、「ウチナータイム」という言葉や、「沖縄の人は時間にルーズ」というイメージが持つ侮蔑性や自虐性にはすでに気づいていたから、手放しで乗っかるような真似だけはできなかった。

 他にもある。就職で県外に出たことがある方の話だ。大きな駅に慣れておらず、道に迷って始業時間に少し遅れてしまうと、「まあ、沖縄の人だからね、しょうがないよね」と配慮されたというのだ。「『沖縄の人』のイメージに助けられた」とその方は言う。またしても僕は返答に窮し、「そんなこともあるんだ…」と無難に返すのが精いっぱい。今思えば「沖縄の方、そんなに遅れるんですか?そんなことないですよね?」と踏み込んで聞いてみればよかったかな。

 イベントスタッフのアルバイトをしたときも、開始時間になってもあまり観客が集まっていないのを見て、うちなーんちゅのスタッフが「まあうちなーんちゅだから、始まってからくるよ~」と話していた。しかし、バイトの集合時間には皆きちんと集まっているし、県外出身の人が先に来て、沖縄出身の人が後から来る、なんてこともない。仕事などのフォーマルな場とプライベートのカジュアルな場での微妙な匙加減の切り替えを、沖縄の方々はやっているのだろうか…??

 結局のところ、「ウチナータイム」なるものがあるのかないのか、実感としてよくわかっていない。住んでいた7年間、大学院の研究室や職場以外に交友関係をほとんど持たなかった。だから、仕事以外の場では、そういうこともあるのかな?と思いつつ、結局実態はよくわからないままだ。

 だから、僕は沖縄で生まれた方に「ウチナータイム」について聞いてみることにした。その模様は次週お届けする。お楽しみに!

※来週は、このコラムをきっかけに、あなたの沖縄メンバー同士で「ウチナータイム」について話し合った座談会を掲載します。来週もぜひ読んでください!

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