見出し画像

我が家のヒヌカン

 玉元花菜(95年生まれ 宜野湾市出身)

 今回の企画のコンセプトが「私たちが見てきた沖縄を書く」ということで、私に務まるのだろうかと少々緊張している。というのも私の両親は沖縄県出身でありながら、沖縄らしい生活の中にいない。シーミーも「先にお墓行って来たよ〜」と事後報告をもらうのはいつものこと、珍しくお墓へ行っても飛び回るガジャンと攻防を繰り広げて、クワッチーをひとふた口つまんだら即退散。祖父母も早くに亡くなり、唯一会ったことのある祖父は口数が少ない。ということで身内に沖縄方言を話す人はいない。それも「私が見てきた沖縄」に違いはないのだが、沖縄の家庭には必ずあるといっても過言ではない「ヒヌカン」も最近お招きしたばかり。我が家ではあのヒヌカンも新参者なのだ。


 今の家に住んではや25年、なぜこれまでヒヌカンを迎えなかったか。理由はズバリ、管理が大変だから!ヒヌカンをお迎えしたら旧暦1日・15日が来る度にチャーギーを挿し線香を焚いて、白飯を小さいうぶく茶碗にちまちまと盛り、酒をお供えする。これは結構大変なことである。テーゲーな私たちには向いていない。


 かくして事件は起きた。ある日の朝一番、水を求めてリビングへ降りたら線香の香り。「あぁ、今日は満月か。」そう思ってヒヌカンに目を向けたら、なんだかちょっと様子がおかしい。まっすぐ伸びる線香の煙、緑が美しいチャーギー、小さい茶碗に盛られた白飯、そして並々と注がれた赤ワイン(!?)。また別の日には、小さい茶碗によそよそしく積まれたパン。そう、母はヒヌカンにパンとワイン、あろうことかキリストの肉と血をお供えしているのだ。炭水化物とアルコールを供えればいいという話なのだろうか。母いわく、「ご飯や酒を切らしていた」そうだ。確かに仕方がないし、こういうのは気持ちが一番大切だ。


 時々風変わりなお供ものが並ぶ我が家のヒヌカン。さて次のお供えものはなんだろうか。

210828 我が家のヒヌカン

我が家のヒヌカン

210828 うぶく茶碗

うぶく茶碗につめられたいなり寿司

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?