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それでも笑うのだ

とまけん(91年生まれ 那覇市宇栄原出身)

 僕には鉄板のギャグがある。沖縄独特のイントネーションを大袈裟に用いて、うわずった声で「ありがとうねえ!」と言うのだ(文面で伝わるだろうか?)。「沖縄のおばさん」と名付けたこのネタは、沖縄県民の前で披露すると、今のところ高打率でウケる。

 笑うということは、受け手との間にある共感が発生しているのだと思う。ああ、確かにこういう言い方する人いるよな、という共感だ。
 これは沖縄県民だから理解できる笑いだろう。沖縄に限らず、どの地域にも「我々にしかわからない面白さ」というローカルな笑いは存在する。だがそれにしても、沖縄のそれはとりわけ強烈なように感じる。

 忘れられない笑いがある。
 2013年9月18日、宜野湾市のコンベンションセンターにて、『しまくとぅば県民大会』が催された。
 沖縄では9月18日を「しまくとぅばの日」と制定している。「しまくとぅば」とは「島言葉」、つまり沖縄方言(ウチナーグチ)のこと。『しまくとぅば県民大会』は消滅の危機にあるこのしまくとぅばを次世代へ継承することを目的に開催されたイベントだ。
 方言の機能性をテーマに卒業論文を書き始めていた僕は、なにか良いヒントになりそうだと思い、暇そうにしている友人を連れてこのイベントを観に行った。

 イベントの終盤、沖縄の芸人がコントを始めた。スナックの若い女の子にモテたくて標準語を無理やり使う親父と、観光客にモテたくてしまくとぅばを無理やり使う息子の話だ。

 満員の会場で、コントは大爆笑を引き起こした。僕も友人も腹を抱えて笑った。
 僕自身、コントの内容には、恥ずかしいほど身に覚えがあった。
 観光客だけでなく、県外の友達や旅行先で知り合った人などに沖縄の訛りを「披露」すると、大抵は面白がってくれる。それが嬉しくて、まんまと大袈裟な訛りを使った経験が何度もあった。コントに出てくる息子と全く同じことをしていたのだ。
 また、コントの親父のように、せっかくしまくとぅばで面白いボケを言ったのに、相手に理解されず標準語に言い直す男性の姿をスナックなどで見かけたことがある。

 どちらもへんてこな様子であると同時に、かなり複雑な光景でもある。
 世代によってしまくとぅばの馴染み方は違うし、コミュニケーションの相手によってその在り方も変わる。暴力的にしまくとぅばが消滅させられそうになった時代もあれば、しまくとぅばを繋ぎ、沖縄のアイデンティティを守ろうとする時代もある。そして、一度は奪われかけたしまくとぅばが、県外の人を喜ばせてすらいる。
 標準語を使う親父としまくとぅばを使う息子の会話のなかに、いろいろな縦軸と横軸が交差している。その背景には、沖縄の人々が背負ってきた苦い歴史や強い憤りがある。

 それでも僕たちは笑ったのだ。
 笑い合って、きっと、確かめ合ったのだ。
 そうそう、沖縄ってこうだよな。沖縄県民ってこういう経験あるもんな。ウチナーンチュだからわかるんだよな。俺も、お前も。

 沖縄はいろいろなものを奪われてきた。土地、言語、基本的人権。その搾取構造はいまも続いている。でも、この笑いだけは奪われることはないのだと思う。
 あのとき、会場で発生した笑いは、ローカルな笑いという言葉ではとても足りないほどの凄まじい熱気だった。奪おうにも熱くて触れないほどに。
 笑っているときの会場の一体感、自分がその一部になれたこと、それによって沖縄県民としての自覚が高まった感覚。
 誇らしい。それが正直な感想だった。

 あの笑いが羨ましい。
 僕の「沖縄のおばさん」では到底引き出せない笑いだ。僕もああやって大人数を爆笑させてみたいものだが、今のところ、目の前の少人数をほんの一瞬笑わせるのが精一杯だ。
 まずは、ここまで薄っぺらいギャグを少しでも笑ってくれる人たちに、しっかり感謝すべきなのかもしれない。
 ありがとうねえ!

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