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祝100周年!CHANEL N°5

世界で最も有名な香水、シャネルの5番が発売されたのは1921年。今年で記念すべき100周年を迎える。

東京の街を歩いていてこの香りに出会うことはほとんどないが、世界的にはいまだに人気が高い。1987年に香水のアカデミー賞と言われるアメリカのFIFI賞に殿堂入りし、その後も人気が落ち込むことはなく2004年と2007年には世界の香水売上第4位に堂々ランクインしている。フランスに限って言えば、1位の常連だ。

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【出典1】女性フレグランス ベストセラー20

それほど有名で人気のある香水にも関わらず、明らかになっている事実は意外なほど少ない。確かなのは、1921年に発売されたということと、調香師のエネルスト・ボーがつくったということぐらいだ。

その他は複数の説があることが多く、文献によって解釈も異なっている。真実を知りたい人はがっかりするかもしれないが、謎が多いということもまた、この香りを一層魅力的にさせているのかもしれない。

ここではその中の一説をご紹介したい。

誕生

そもそも、ガブリエル・ボヌール・シャネル(1883-1971)が香水をつくるきっかけは何だったのか。

それは、年下の恋人ディミトリ・パヴロヴィチ・ツルベズコイ(1891-1941)に香水づくりを勧められたからだと言われている。ディミトリはロシア皇帝アレクサンドル二世の孫で革命前の帝政ロシアで生まれ育ち、革命から逃れて亡命したフランスでシャネルと出会った。

シャネルの長年の恋人としてディミトリよりも有名なのはアーサー・ボーイ・カペル(1881-1919)だ。シャネルと別れた翌年、1919年12月に自動車事故によって突然この世を去った。事故当時イギリス人貴族と結婚していたが、遺言によりシャネルに4万ポンド(現在の100万ドル以上)を遺していることからも二人の関係の強さがうかがえる。

カペルを失ったことでシャネルは大変なショックを受け、気分を紛らわすために付き合い始めたのがディミトリなのである。二人の交際は一年ほどしか続かなかったようだが、彼が重要人物ということは間違いない。なぜなら、彼が調香師のエネルスト・ボーをシャネルに紹介したからである。

エネルスト・ボー(1881-1961)はフランスとドイツにルーツを持ち、モスクワで生まれた。モスクワの香水会社ラレ社(Rallet)で調香を学び、シャネルと出会った頃はカンヌから西へ3kmほどのラボッカという街で研究所の責任者として働いていた。

シャネルから「調香師ですら嫉妬したくなるような香水」を依頼されたボーは、1920年に1番〜5番、20番〜24番の2つのシリーズを彼女に提示する。その中からシャネルは5番を選んだ。コレクションを毎年5月5日に発表していることから彼女のラッキナンバーである5番がそのまま香水の名前となった。

これが名香CHANEL N°5の誕生である。

香りの特徴

それでは、シャネルの5番とはどのような香りなのか。

アルデハイドが使われているということで有名だが、アルデハイドを初めて使った香水は別に存在する。

ウビガン社の「ケルクフルール」(1912年)がアルデハイドを初めて使用した香水であると以前どこかで読み、そのように認識していたのだが、ピエール・アルマンジャンとジョルジュ・ダルゼンの「レーブドール」と「フローラミエ」(1905年)がさらに先駆けて使っていたようだ。これは別の機会にまた詳しく調べたい。

シャネルの5番が新しかったのは、複数のアルデハイドを組み合わせて使用したということと、濃度を通常の約10倍の1%近くまで高めたことにある。また、C11が香水に使われたのも初めてであった。

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【出典2】Aldehyde note

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【出典3】アルデヒドフローラルタイプ [シャネル No.5]

しかしながら、アルデハイドを除いたとしても、この香水が名香であることに変わりはない。 

まず第一に、抽象的な香りを創り上げたという点だ。80種類以上の香料が使われているが、ジャスミンやローズなど個々の香りを感じとることはほとんどできないにも関わらず、独特な香りによってシャネルの5番だということがすぐに認識できる。香水と言えば単純に花の香りであった当時には斬新なことであった。

また、原料のクオリティの高さも挙げられる。香りのカギとなるジャスミンとイランイランは、シャネルしか手に入れることのできない最高級のものを使用しており、例え同じフォーミュラでつくったとしても、品質的に同じものは不可能だ。

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【出典4】香りの構成

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【出典5】研究処方例

シャネル自身は、この香りを次のように表現している。

「シャネルN°5は、コモロ諸島産のイランイランの上を舞う。そしてグラース産ジャスミンの熟成した匂いと、ブルボン産ベチバーのウッディなベース上で展開する。」

'N° 5 takes flight on the floral top notes of ylang-ylang from the Comores.
It develops on mellow notes of jasmine from Grasse, and a woody base of Bourbon vetiver.'

【出典6】日本語【出典7】英語

前身の存在

シャネルN°5についてのあらゆる逸話の中で、最も興味深いのは前身となる香水が存在したという話だ。

その名は「ブーケ・ド・キャサリン」(Bouquet de Catherine)。
エネルスト・ボーが制作し、1913年頃にフランスで販売していた香水だ。ドイツ出身のロシア皇帝エカテリーナ2世を称えてつくったが、反ドイツ感情の高まりにより、後に「ラレN°1」と名前を変えている。シャネル N°5はブーケ・ド・キャサリンの処方を元に創られたとされている。

さらにボーは、シャネル N°5は、第一次世界大戦中に配属されていた北極圏にあるムジュグ島で見た景色と香りに着想を得たと残している。白夜の中、湖や川がとてもみずみずしい香りを放つ。その香りを記憶に留め、帰還してから再現したというのである。

つまり、ボーはシャネルのために新たな香りをつくった訳ではなく、既にあったコレクションをシャネルに差し出したのだ。このような観点から考えると、香水自体はシャネルのアイデアというよりも、ボーの作品であるという色がやはり強い。

シャネル自身はどのような香水を作ろうと考えていたのだろうか。
彼女は、花の香りではなく「女性」の香りをつくることにこだわった。そのコンセプトが、ボーのつくった抽象的な香りとぴったりあい、シャネル N°5は成功した。

シャネルの戦略が優れていた点はその他にも、ミニマルなボトルや、社交界で影響力のある友人たちに贈るというプロモーション方法など数々あるが、一番の功績はクチュールと香水を結び付けることに「成功した」ということではないだろうか。

香水を売り出した初めてのデザイナーはシャネルではなく、ポール・ポワレが1911年に発売しているが、シャネルほどの戦略的感覚を持っていなかったために失敗に終わった。香水は開発に時間がかかるが、一度発売すれば洋服のように毎シーズン変える必要がなく、メリットも大きい。シャネル N°5以降、あらゆるファッションブランドが香水を発売していることからも明らかだ。

今年2021年は、シャネルの没後50年にもあたる。
「香水は目に見えない、忘れることのできない、最高のアクセサリー」であり、「香水をつけない女性に未来はない」とまで言ったシャネル。100周年を記念して発表される、新作ハイジュエリー「コレクション No.5」にも注目したい。

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使わないのに思わず買ってしまった赤いボトル!


< 参考文献 >・   "Perfume Legends II"   by Michael Edwards
        Fragrances of the World (2019) 【出典4・7】
・「パヒュームレジェンド 世界名香物語」マイケル・エドワーズ 著 
  中島基貴 訳 フレグランス ジャーナル社 2005年 【出典6】
・「ココ・シャネル 伝説の軌跡」ジャスティン・ピカディ 著 
  栗原百代・高橋美江 訳 マーブルブックス 2012年
・「シャネル N°5の謎ー帝政ロシアの調香師」大野斉子 著 
  群像社 2015年
・「シャネル N°5の秘密」ティラー・マッツエオ 著 
  大間知知子 訳 原書房 2011年
・「CHANEL COLLECTIONS&CRÉATIONS」ダニエル・ボット 著
  高橋 真理子 訳 講談社 2007年
・「名香にみる処方の研究」広山均 著
  フレグランス ジャーナル社 2010年 【出典1・5】
・「香り創りをデザインする : 調香の基礎からフレグランスの応用まで」
  堀内哲嗣郎 著 フレグランス ジャーナル社  2014年 【出典2・3



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