シュペルヴィエルの詩「森の奥」から

「森の奥」 ジュール・シュペルヴィエル

昼も小暗い森の奥の
大木を伐り倒す。
横たわる幹の傍
垂直な空虚が
円柱の形に残り
わなないて立つ。

聳え立つこの思ひ出の高いあたり
探せ 小鳥等よ 探せ
そのわななきの止まぬ間に
かつて君等の巣であつた場所を。

(堀口大學訳)


・今回の記事では、詩人丸山薫の随筆「シュペルヴィエルの詩」(現代詩文庫1036「丸山薫詩集」思潮社)に引用された箇所から取った。
・丸山薫はそこで「シュペルヴィエルの詩はヴァレリーやリルケやコクトーの詩ほどに日本では有名でなく、関心ももたれていない。本国フランスでもたぶん似たりよったりだろう。だが私にはいちばん好きな詩人である。」と書いている。

私は長く愛好してきた町がある。そこは市街地からはなれた郊外のベッドタウンで、これまで拙記事「風と桜の道を歩く」や、他の幾つかの詩作でインスピレーション源にもなってきた場所だ。

先日、酷暑もようやく過ぎ去ったので久しぶりにその町へ出かけた。そして上掲のエッセイで書いた、四月に葉桜を見た小公園へと辿り着いたのだが、豊かな緑をたたえた、庭園の真中に立っていた一本の大木が今夏の内に切り倒されていた。何故伐採されたのだろうか。理由が分からない。その時わたしはシュペルヴィエルのこの詩をふと思い出していた。

そこはよく管理されている公園内であるために伐採するそれなりの理由があったかもしれない。だが、その樹は非常な大木で、庭園でも存在感があった。樹が腐蝕していたとも考えにくい。一本の樹が喪われた時に空間を覆う寂寞とは、筆舌できないものがあることを感じる。