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車を運転すると言うこと(27):人が交通事故で死ぬということ

最後に私のドライバー人生の中で、一番記憶に深く刻まれた事をお話します。

養老孟司さんによると著書「死の壁」のなかで人の死というのは人称に分けられると言っています。

一人称の死は自分の死、だから自分が死ぬまでわかることはありません。

二人称の死は「あなた」つまり身の回りの人が死ぬということでこれは大変に悲しみを伴います。

三人称の死は日常ニュースなどで「何人死にました」と人の死を見聞きしていますが、とりわけこのことで悼む感情はさほど湧き上がりません。

ところが私は人の死を目の当たりにして状況が一変した過去があります。

雨の降る夜道、私は自家用車を走らせていました。

出張の前泊のため長距離運転をしていたのです。

前方工事中で停止する必要があったのですがいつもより反応の鈍さを自覚しました。

ブレーキを踏むタイミングが少し遅かったのです。

無事停止できましたが、「ああ。自分は今仕事で疲れているんだな。夜で雨も降っているし。安全に行こう」

幸いにもそう思うことが出来、イタズラにスピードを出さないように心がけました。

片側二車線で、交通量の多い国道です。いつしか私の左斜め前を軽自動車が走っていました。

すると黒い影が見えました。

人が車道を横断しているのです。

信号は愚か横断歩道もありません。

私は驚きました。急に現れたからです。

今からして思えば、恐らく雨が降っていたのでその人は黒い傘をさしていたのでしょう。

さらに悪いことには、私達ドライバー側に向けて斜めにさしていたのではないかと思います。

真っ暗闇に黒い傘。目立つわけがありません。

だから、突然現れたように見えました。

私は気づくのが遅れました。軽自動車の運転手もそうだったと思います。

「このままだと軽とぶつかる」と私は動揺し、慌てふためきました。

軽自動車は車体が前につんのめる程ブレーキランプを点灯させタイヤがロックするほどフルブレーキに懸命でした。

雨で濡れた路面。制動距離は長くなります……。

私は、間に合わないと思いました。

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