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下書きに見切りをつけてバッサリ消す。

noteにある下書きを消していく。
それはそれは、淡々と消していく。
基本的に消さないタイプなのに、消していく。


消す前にもう一度読み直す。


なんだかなー。。。。とか
続きを書く気が起きねえんだよな〜。。。ってやつを消していく。

で。

消すからには、容赦なく消していく。
バッサバッサと切り捨てていく。



文章自体に悪気はない。
どれもせっかく書いたのだから出せばいい。
なのに、消していく。


なんだろう。。。
めんどくさくなったのかな。。。


下書きに置いといても、彼らはなんの悪さもしない。だけど、ずっと下書きにあること対して、noteを開くたびに煩わしさを感じてしまう。

せっかく書いた文章なのに、なんかウザい。ぱぱっと仕上げて、ドピュッと出したらどこかの誰かに刺さるかもしれないのに消していく。


勿体無いといえば、勿体無い。
けど、それよりも場を整えたい。


noteを開くたびにみるのが嫌だった。
リストに鎮座してる下書きが嫌すぎた。

定期的にひらいてみた。書けるかな?と思い、読み返したりもしたし、書こうともした。

けど、結局そのまま放置。するとまた当たり前みたいな顔してそこにいる。


だから消した。
場をシュッとしたかった。


「削除する」をクリック。
一度押したら、サクッと消えた。
やっと切れた。


よかった。
綺麗さっぱりなくなった。
さよなら下書き。
罪悪感はない。
むしろ清々しい。
なんならどんな下書きを消したかも忘れた。


さっぱりと整理されたnoteの下書きリスト。
それをみて、スッキリした気分になる。



この心理。
めちゃくちゃ自分っぽい。
自分らしさが前面に出てる。

切るときは切る。
切ったら切ったでスッキリサバサバ。

切り替えが早い。
自分の好きなところだ。

自分で決断してく。
パッパパッパとテンポよく。

その選択が正解かどうかは未知数。
そんなことは、後から考えればいい。

今読んでいる本「直感力」にも書いてあった。
将棋の天才羽生善治もいうてる。


長考に好手なし。

「直感力」羽生善治


将棋の世界で次の一手を長〜いこと考えちゃうことを長考というらしい。

考えを尽くして、最善の一手を選んでいるのだが、創造的に考えているわけではないらしい。

羽生さんいわく、「迷っているだけで新しい手が浮かぶわけではない」と。

ならば、分かんないけど多分こっち!くらいにパッパパッパと判断する。思いきりよく決断したほうがいいとか、なんとか。

下書きにずーっと置いてあるホコリ溜まってる文章。

ストックなんてなんぼでも作れる。ネット上のスペースに限界はないし、ほったらかしても誰も困らない。

けど、いくら書こうとしても、なんか違うな〜、と思ってしまい、どうしようもないのなら、下書き削除も一つの手。

長考に好手なし。

ええ加減、ホコリ溜まってる下書きには、見切りをつけるのも一つの手かもしれませんね。


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