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クローズアップ現代を見ました。

昨晩、NHKのクローズアップ現代が無事に放送された。
本来であれば、先週の放送予定だったが、地震速報の関係で放送が延期になっていた。
まずは、無事に放送されて良かった。


番組冒頭で、私から番組宛てに出した手紙がきっかけで、取材が始まったと桑子真帆キャスターが話した。

正確には、私から出した手紙の宛先は桑子真帆キャスターであった。

投函したのは2023年5月29日。
相変わらずの直談判狂いで手紙を書き、書き溜めていた資料も同封してレターパックをゴリゴリとポストに押し込んだことをよく覚えている。

どうせ、相手にはされないだろうと思いながらも、次の様に書き出した。

「故意に反社会的な運転により子を殺された親はどうすればいいですか?」

たまたまX(旧Twitter)で流れて来た下の記事を読んで、ダメ元で桑子さん本人に訴えてみるかと、考えたのである。


御本人に読んでいただくまでに辿り着くのも、正直厳しいかなと思っていた。
昨年、クローズアップ現代の番組HPから同様の問題提起をしていたが、なしのつぶてだったからである。

しかし、桑子真帆キャスターからは7月に丁寧なお返事が来た。
番組制作はお約束できないが、制作サイドに資料を共有したという内容であった。

そして、制作サイドが関心を寄せてくれて、昨日の放送となった訳である。

危険運転致死傷罪の問題は異常スピードによる高速度だけではない。
他の類型にも根深い問題がある。
その事をディレクターには何度か伝えた。

担当ディレクターは丁寧かつ本質的に私の話を聞いて下さった。
その上で、今回は高速度で今まさに注目されている事件にスポットを当てて、危険運転致死傷罪のあり方を考えるきっかけになれば、という思いで番組を作る意図を私も理解した。

放送された番組を固唾を呑む思いで見た。
危険運転致死傷罪のあり方を考えるきっかけとしては、とても意味のある内容だったと思った。

三重県津市の146㎞事件で息子の朗さんを失った大西まゆみさんが、番組内で、インタビューに応えられていた。

「危険運転致死傷罪って何のためにあるんでしょうか?」

私は、真にその言葉に尽きると思っている。
全く同じ言葉を、私も初めて検察官と面談した際に問うた。

2022年10月10日 大分合同新聞 大西まゆみさんの取材記事


番組のゲスト識者はいつもお世話になっている、城祐一郎先生だった。
検察は、現在の条文の中で、解釈で闘ってきたと、城先生は現場実務をお話された。

異常高速度の場合、路面に凹凸があったり、タイヤに摩耗があるにもかかわらず雨天で路面が濡れていた状態でもぶっ飛ばした、といった特殊な状況以外は、直線道路において現在の条文(法2条2号)「その進行を制御することが困難な高速度で自動車を走行させる行為」で危険運転が裁判所に認められた事例はない。

性能が優れた車で、綺麗な直線道路を真っすぐに走っていれば、時速何キロでぶっ飛ばそうが、故意的な危険運転には該当しない。例え、その結果、事故って人が死んでも。

これが、今のところの実務の限界であると、私なりに理解している。

大分の194キロ事件が当初の過失運転から訴因が変わって危険運転の起訴となったのは、番組内でも城先生が仰っていた様に、本来はあおり等の妨害運転を取り締まる条文(法2条4号)で危険運転を取りに行くチャレンジをすることを、大分地検が覚悟を決めた結果、行われた訴因変更である。

現場のプロフェッショナルたる検察が、街頭署名活動やメディア報道によるプレッシャーのなか絞り出した結論が、高速度を取り締まる条文(法2条2号)と妨害運転を取り締まる条文(法2条4号)の合わせ技だった。
つまり、現場(検察・警察)も現行法の高速度取締り条文(法2条2号)のみでは勝てないと悲鳴を上げているのである。

果たしてこれで勝てるのか?
裁判はまだ始まっていない。
当然、判決も出ていない。

放送されたクローズアップ現代の番組内では、2001年の危険運転致死傷罪立法時の法務省刑事局長のインタビューも放送された。
下記の大分合同新聞の記事にもある様に、元刑事局長は立法時は猛スピードの事故に対応するために条文を作っており、法2条2号の「制御困難」が狭く解釈されている現在の法の運用は違うのではないかと言う趣旨のお話をされていた。

https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2023/10/23/JDC2023102003133


法務省の担当局長として法案作成に携わった古田佑紀氏


本来、高速度犯を取り締まるための条文(法2条2号)
「その進行を制御することが困難な高速度で自動車を走行させる行為」

この条文の読み取り方を、裁判官も読み誤っていると言う事か?
立法後22年もの間?

とするならば、法のプロ中のプロである裁判官すらも読み誤る条文の書きぶり事態が、そもそもおかしいのではないか?と思わずにはいられないのである。

立法時は刑法に新たな条文を設けた。
刑法208条の2で、下記の5つの類型を設けた。

・飲酒・薬物運転 
①アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態

・異常スピード運転
②進行を制御することが困難な高速度で

・無技能 ※無免許でも運転が上手ならこの条文の対象外
③進行を制御する技能を有しないで

・妨害(あおり)
④人や車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、人を死傷させた者

・赤信号無視
⑤赤色信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で

その後、改正を経て、現在は類型が5個から8個に増えている。
昨晩のクローズアップ現代の番組内では、22年前の立法時から手付かずなのは、上記②の異常スピード類型だけである旨の桑子キャスターのコメントがあった。
これは、最高裁の解釈判例が無いのは、②の異常スピード類型だけだという意味でのコメントであったなら、その通りだろう。

しかし、実際の条文そのものは、上記5個とも22年前の立法時から変わっていない。
そんなことは、よほどマニアックな視聴者以外は分からない。


しかし、問題の本質はここである。

22年前の立法担当の責任者が、そんなつもりで条文は作ってなかったと回想している。
もはや全く責任を問われる立場にいないからこそ堂々と回想していられるのだろう。

そんなつもりか、どんなつもりかは、今となっては何とでも言える事である。
一方で、オフィシャルな資料として立法時の法制審議会の議事録は残っている。
裁判所も判決文の中で、条文の趣旨を参酌する際にはその議事録を一部根拠にしている。

立法当時、厳罰化に強硬に反対した勢力も多数と聞く。
そして、今もって厳罰に大反対の勢力は変わらず元気だとも。
法務省は被害者の想いも汲みながら、落としどころに苦慮した事は想像に難くない。
現実的にはバランスが重要なのは一応わかる。

しかし、裁判官すらも立法者の本来の狙いを読み誤る(裁判官は条文の文言に忠実たれと考えて判決文を書くのだと個人的には思うが)様な条文が22年間も変わらず存置してある事こそが最大の問題である。
その様な条文を、現場の検察官や警察官が狙い通りに使いこなせるとは到底思えない。

①正常な運転が困難な状態 
酒は飲みましたが正常な運転はできました。アクセルを踏み間違えました。脇見をしました。疲れて居眠りをしました。

②進行を制御することが困難な高速度
時速146キロ出しましたが、運転操作はできていました。

⑦赤色信号を殊更に無視し
赤信号を見たかも知れませんが、覚えてません。多分、見落としたんだと思います。

こうした逃げ口上に警察も検察も苦汁をなめて来た聞く。
私は確かに聞いた。

条文の日本語の意味がよく分からないけど、現場がどうこう言えるものではないから、その中で、検察も警察も試行錯誤を繰り返してきた。
そして、裁判で勝負はしてみたが、勝率が極めて悪い。
だから、悪質運転でも、手堅く確実に有罪にできる過失犯にしようと思うのは、ある意味、当然の摂理であろう。

22年間手付かずだった条文が簡単に変わるとは思えない。
だから、現行法上で可能な限り捜査レベルを上げるために、現場の好事例を共有して欲しいと、私は訴えている。
現行法の危険運転致死傷罪で本来裁かれるべき事件について適用漏れがない様に。
しかし、それはあくまで苦肉の策に過ぎない。

条文をより明確な表現に修正し、現場の警察官、検察官が自信を持って裁判所に判断を仰げる様、法改正が実現する兆候があれば、すかさず然るべきミットにストライクを投げる肩は作っておかねばならないと思う。

「危険運転致死傷罪って何のためにあるんでしょうか?」

上記大分合同新聞の記事のなかで、元刑事局長はこの様に答えている。

「交通事故は過失犯として裁くのが基本だが、単なる不注意とは言えないケースもある。他人の安全に無関心、無配慮な行為で人を死傷させた場合、故意犯に準じて処罰すべきだ、との考えに基づいている」

立法当時、あまたの抵抗を受けつつも故意犯で取り締まる法を立法したのは画期的な事であったろうと思う。

画期的だったからこそ、

22年も経ったのだから、いい加減アップデートしませんか?と私はひたすらその事を考え続けている。




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