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妊娠生活:胎動を愛おしいと感じることはなかった

胎動を初めて感じたとき

会社のデスクに座っていたとき、お腹の中でポコポコと動く何かを感じた。
これが胎動…?と半信半疑だったけど、次の日も同じように感じたので胎動だと認識した。
「これが胎動ってやつか…」
「お腹の中に何かいるな、順調に育ってるっぽい…(まだ何も実感がなく、恐怖しかないのに)どうしよう…」
というような気持ちで、愛おしさや感動は皆無だった。

それ以降も、胎動を感じる度に「出産しなければならない」ということを思い出して、ネガティブな気持ちになっていた。
出産に対する恐怖、育児が始まったら自分の時間がなくなってしまうことなど、ただただ不安で、楽しいことは何も考えられなかった。

胎動は時と場所を選ばない

最初はポコポコ程度だった胎動も、安定期〜後期になってくるとグニグニ〜と動いたり、ポコッなどと可愛いものではなく、ボゴッと力強く殴られるような時もある。
私はグニグニ〜という動きが本当に苦手で、うぅ〜と時間が過ぎるのを待つしかなかった。
お腹の形が変わるほど激しい胎動は服も揺れるので、感覚だけではなく、視覚でも胎動を確認することになる。
重大なことを決める会議中だろうと、部下との面談中だろうと、家で集中して本を読んでいる時だろうと、容赦無くやってくる胎動。
その度に、思考が胎動に持っていかれる。
「お前は妊娠しているんだよ」と突きつけられているようで辛かった。
「仕事をしている私」「趣味を楽しんでいる私」それぞれ別の私なのに、全てが「妊娠している私」に上書きされてしまうようで悲しかった。
仕事で失敗した時は趣味に没頭してストレスを発散する、プライベートで嫌なことがあっても仕事で評価されると自意識が回復する、のように仕事や趣味が私を支えてくれていた。
仕事へも趣味にも逃げられない…というプレッシャーに追い詰められた。
そんなプレッシャーの中、気分がひどく落ち込んでしまい、ひとりで泣いている時も、ボゴッと胎動はやってくる。
「妊娠からは逃げられないんだよ」とお腹の中から言われているようで、煩いよ、いい加減にしてくれ、と思ってしまった。

胎動は安心する

胎動に愛おしさは感じないが、胎動があると安心できる。
なぜなら、胎動がある=胎児は元気である、ということが証明されるから。
なんらかの理由で胎児が死んでしまう恐怖は常にあるので、胎動があるうちは大丈夫と思えるのは良かった。
胎児が生きてさえいれば、誰にも責められないと思った。

お腹に向かって話しかけることもなかった

「妊娠中期をすぎると、赤ちゃんにも声が聞こえているので話しかけてみましょう」と色々なところで目にするようになった。
こんな状態なので、なんて話しかければいいのかわからず、話しかけることができなかった。
唯一話しかけたことといえば、胎動があまりに痛すぎて「痛い、痛い、もうやめてよ…」しかない。

結論

最初こそ人としてどうなんだろう?と罪悪感を感じたり
ここまでネガティブに満ち溢れていると流石に胎児に影響があるんじゃ…?と考えてしまったこともあった。
しかし、現在9ヶ月目。
順調にお腹は大きくなっている。
病院の先生にも「順調ですね」とお墨付きをもらっている。
だから、たぶん、大丈夫なんだろう。

胎動を愛おしく感じないなんて母性がない。
お腹を優しく撫でながら赤ちゃん言葉で話しかける、幸福感に包まれる妊婦というキラキラ像。
そんなものに囚われて苦しむ方が、私にとってはストレスなのでもうこのままの気持ちでいくことにした。
ぎこちない作り笑顔で思ってもいない言葉を吐き出して、妊婦像を取り繕ったりなんかしたら、私がすりつぶされてしまい、堪え難いストレスを感じるだろう。
逆に体に悪いよね。

お腹にも話しかけない。
妊娠後期になって子宮が狭くなってきたのか胎動がダイレクトでぐえーってなるし、相変わらず胎動に愛おしさは感じない。
ただ、胎動があると赤ちゃんが生きているってことなので、安心する。
先生に言われているから、胎動表だけはつける。
それでも妊娠生活を毎日おくっているんだから、充分頑張ってる。

お腹の中に入っている今はまだ、人間としては認識できない状態なのだから、愛情を感じたりするのが難しいのはそんなに変なことじゃないよね。
産まれてきて24時間お世話をする中で、子供に対する感情が芽生えていけば良いんだと、今は思っている(それでも時間がかかるかもしれないけど)




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