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彼女とさよならをする

いつか彼女が結婚し、子どもが生まれたら、わたしはその子を孫のように猫かわいがりするんだろうと思っていた。幸せになってほしい、といつも思っている。

二人で旅行する前日の夜、彼女が幼いころ、母親に捨てられたことを聞いた。以前から彼女が話すのは「ばあちゃん」と「じいちゃん」のことで、両親には触れないので何かあるのだろうとは思っていたが、幼稚園に送った母親が、そのまま迎えに来なかった、という話は壮絶だった。

その話は恋人にしたのか、と訊ねると、はい、前に聞かれたときに、と答えた。ご両親にたっぷり愛されて育った恋人くんだし、真っ先に気づくことだったのだろう。そういう話をできるパートナーができて良かった、と心から思った。

彼女に恋人ができる前、わたしたちはそれはよく一緒に飲んだ。住む場所も近かったし、飲む酒の量も同じくらいで、仕事で会ったどの人よりも仲良くなり、一週間合わない日が続くとお互いものたりない気がした。

彼女から、わたしほどのイケメンがいない、と言われたこともある。わたしは年下の女の子の前ではことさら紳士に振る舞うので、そうなんだろう。彼女のスマホの背景は、わたしとのツーショットだった。酔った彼女から不意にキスされたことが一度あった。掘り返すことはなかったけれど、思ったよりわたしは好かれているのかもしれない、と思った瞬間だった。

とはいえ、わたしたちにはなぜか男性が必要で、お互いに恋が進展した時期が重なって、おおいに盛り上がった。彼女は恋人くんと結ばれ、わたしはうまく行きかけた人に失恋をした。

彼女は「今までと変わらず遊びましょう」と言ってくれたけれど、はっきりとわたしたちは一緒に過ごす時間が減っていった。あたりまえだ、彼女には一緒に暮らす恋人がいて、週に何度かはその恋人と過ごすし、彼女はそれ以外の時間をやりくりしてわたしに会わなければならない。

彼女からわたしを誘うことはなくなり、わたしが声をかけると、彼女がとても少ない、限られた日程候補を出してくる。話したいことがたくさんあるのに、久しぶりに会うと、前回どこまで話したのかわからなくなった。スマホの背景は、彼とのツーショットになっていた。彼女が行こうと提案してくれたお店を見て、内容から、彼と行こうとしているお店のひとつなんだということがわかると、胸の中をねっとりとしたものが這った。

わたしの優先順位のいちばんは彼女で、彼女のいちばんはそうではなく、それはわたしの問題だとわかっていて、だから、彼女に期待をするのはもうやめよう、と思った。予定がなかなか合わなくても、約束が反故になっても、彼女はわたしを扱うこと以外においては、正しく生きている。

ある夜、メッセージが届いて、見ると彼女から、いま◯◯で飲んでいませんか、という質問だった。わたしは家ですっぴん状態だったので「おうち!」と返したけど、既読がつかなかった。その日は、彼女が体調を崩して飲みの予定が立てられなかった翌々日だったので、体調はどうなったんだろう、と思った。

既読がつかないまま深夜になり、そうなるまで待ってしまった自分に落胆した。彼女のことだから、仕事帰りにあの日◯◯でやっていたイベントに立ち寄って、そこにいた人たちとイレギュラーで飲むことになり、共通の知人であるわたしに声をかけたけど、充電が切れたとかで、連絡できなくなってしまったんだろう、と想像した。実際にこれは正解で、そこまで正しく想像できるほど、わたしは彼女のことをよく知っていた。

その翌日に、「もう二人で遊ぶのやめよう」と伝えた。あなたには幸せになってほしいけれど、あなたは、というか、一般的な人というのは、恋愛と友情を両立できないようだし、喪失を反芻するたびに、疲れてしまった。

恋人がいちばん大切なのはあたりまえでしょ、という人がいた。わたしにはそれがわからない。わたしは恋人がいちばん大切だった瞬間はない。恋愛はいつもわたしを孤独にするもので、そのたびに助けてくれるのが友だちだった。友だちへの信仰を強めるたびに、アンチ・モノガミーになっていく。

これから彼女は彼の実家の近くで暮らし始めるそうで、そうなると、結婚も近いだろう。恋人くんは、そもそも子どもが欲しくて年下の女と付き合いたいと言っていたくらいなのに、年上の彼女と付き合ったから、急いでいるだろうし。彼女は結婚して、子どもを産んで、育てるのに、わたしはその子を孫みたいにかわいがる権利を放棄してしまった。

いつもこうやって、疎遠にしてしまう。自分が傷つくポイントは人とずれていて、それだけに、取り返しがつかなくならないように、自分から切り離してしまう。大事に思っていることに変わりはない。でも彼女を大切にできるのはわたしじゃない。幸せになってほしい、といつも思っている。

お酒を飲みます