映画『カミーユ・クローデル』

彫刻家ロダンに振り回された弟子の壮絶な人生を映画化した作品である。監督の作品数は非常に少なく、1988年に作られており、女性作家ならではの苦悩に焦点当てた良い映画だと思う。女性でなかったらこんなことにはならなかっただろうに、と節々が心に刺さり教訓的で、色々な人の顔が思い浮かんだ。カミーユが『あなたは私から若さと才能を奪った』と叫ぶシーンは胸が痛む。

彼女は実力のある、美術史でも認められる重要作家だ。
若きカミーユはロダンと関係を持ってから、ロダンとの子を流産したり、芸術のキャリアにおいても巨匠ロダンを切り離すことができず、精神病を患うほどに人生をロダンに振り回される。
最期は、精神病院で30年過ごし、第二次世界大戦の終戦2年前に亡くなっている。案外時代は近い。ヴィクトル・ユゴーの死を街中が悼んだり、ドビュッシーとの交流シーンも出てくる豪華布陣の19〜20世紀。当時の頽廃的な雰囲気もまた若い女性との関係を助長したのだろうか、クリムトのように…
結局はロダンが悪い。しかし人に利用されたとしても作ることを捨てなかったところが、この映画の、カミーユの人生の僅かな救いとなっている。

カミーユの悲劇に、時代を貫く普遍的なテーマを発見する。
ただの男女関係ではない、作家同士でありながら師弟関係であることの複雑さがある。暗に上下関係があり、しかも男性側がキャリアも年齢もあるケースはハラスメントも起こりやすい。

美術業界とて男性優位の価値観は横行している。おじさん作家が若い女性作家(師弟関係とも限らない)を連れる光景は、昔はよくあるものだったらしい。そうすることが男性作家のステータスになっていたのかもしれないと思うと、彼らの美とは何か疑う。
今でも現代美術において女性を消費するような表現が、沸々と怒りを買っている。芸術だから、で済まされたことが今も昔も本当に沢山あり、現代日本で哲学者をかたる人もそこの認識は甘いと思う。

おっさん作家が若い女性(仕事仲間)に手を出す案件は、残念ながら昔からよくあるパターンのようだ。
これに対して若い女性は、若い作家はどう利用されずに立ち向かえば良いのか。若い女性に男や権力を警戒する教育が必要である(ちなみに作中でのカミーユのブチ切れ方が良い。ロダンの家に瓶を投げて「資本主義者!」と叫ぶ姿は全共闘そのもの。この乱暴さは革命の名残なのだろうか…)。

#フェミニズム

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