見出し画像

6月9日はロックの日

イギリスのロックとドイツのクラシック

ロックといえば、反権威・反権力を指す音楽であるが、実は哲学においても似たようなものである。
17世紀のイギリスのジョン・ロックは、王権神授説を否定して社会契約論を擁護した。
彼は権力分立論を唱えて、三権分立の基礎となる考え方を成立させた。
イギリスにおいてはマグナ・カルタという立憲主義が存在し、三権分立の価値観もあったのだから、法制度としての民主主義は大陸ヨーロッパよりも早く発達した。
ビートルズのような前衛音楽は、こうした進歩開明の気質から生まれてくるものなのである。

一方、ナチスは統治者原理を唱えて憲法を無力化し、三権分立を成立させるどころかナチ党に完全に集権していた。
ドイツ・オーストリアのクラシック音楽は、イギリスのロックとは異なって、親権威・親権力ということなのだろう。
実際に、ウィーン・フィルハーモニーのカラヤンは、ナチスの典型的な協力者であった。

日本のロックマンとドイツのアイヒマン

日本にはロックマンというゲームが存在するが、これは主人公のロボットであるロックマンが、多種多様な能力を使って数多くの敵を倒していくゲームである。
このゲームは素晴らしいデザインの敵のロボットにも圧倒的な人気があって、多様性を尊重する哲学に裏打ちされたものだ。
ロックマンというゲームは難易度が高く、プレイヤーに試行錯誤を要求するものであって、単純な形式主義的な作業からは最も遠いものである。

一方で、ドイツのナチス親衛隊のアイヒマンに出来ることは、権威に媚びを打って出世することくらいであった。
彼はナチス親衛隊の中佐であったが、ユダヤ人虐殺以外に出来ることは殆どなかっただろう。
多少性を尊重できない彼のような白人至上主義者には、一番難易度が簡単なロックマン5ですらクリアすることが出来ないのではないだろうかと筆者は考えている。

続編

https://note.com/yrloki/n/ndad9915c54f6

この記事が参加している募集

スキしてみて

私の記事が面白いと思ったならば、私の食事を豪華にしていただけませんか? 明日からの記事はもっと面白くなります!