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【読書】『まずいスープ』 戌井昭人 新潮文庫(2012)

文学の書籍新刊点数は、令和2年で12,104点(総務省統計局 統計データ 第26章文化 26-5 書籍の新刊点数と平均価格の中から文学のみ)。ゆっくり減っているとはいえ、毎年1万数千点の書籍が新刊として出ている。
 
こうした中で、この本とどうやって出会うのか。
僕は、この人が読んだ本を読んでみたい、と思っている中で「この人」が書評で取り上げていたから読んでみようと思った。
 
小説は読む。
こう書くとメインではないのか、と思われるけど、そのとおりでメインではない。
僕は、自分が知らない世界を広げるために本を読む。
世界を広げる方法は二つあると思う。
 
一つは、ノンフィクション、ドキュメントによって、知らない世界を自分の世界の延長線としてつなげる方法だ。実際に体験できればよいのだが、読んだ本の世界を実際に体験する(しに行く)ことは至難のわざであり、結局は僕の知識なり、知見を増やす方向に向かう。それは増大する方向に向かっていき、おそらく蘊蓄やら雑学に堕していくことになる。
 
もう一つは、小説を読むことによって擬似体験をする方法だ。これは、小説家の力量と同時に読み手の力量も必要であって、特に僕のように人の感情を理解することが難しい人間の場合には、僕の力量不足と感じている。だから、小説はあまり読まない。
 
この小説は、たくさん読んでいない小説の中でも「手ざわり」感が違うと思う。
本を読んで「手ざわり」とはどういうことか。
おそらく、小説に限らず本を読む際には、何かしらか「読む」感覚があるように感じる。
読んでいる意識ではなく、体感と言ってもいい。
「読む」感覚は、読む本によって集中となったり、だらだらになったり、時には冒頭の一文だけで終わってしまったり、となる。
 
この小説は、今まで読んできた本を読んできた感覚からすると、何か違う。
それを「手ざわり」感が違うと感じている。
 
スッと読めそうで読めないようで読めてしまうからかな。
答えは、えのきどいちろうが解説に書いてくれていた。
「まず言葉いいのだと思う」
「それから人の距離感がいい」
 
あくまで僕が読んだことがなかっただけで、小説を読み慣れた人にとっては当たり前のこことだと思うけれど、冒頭に書いたように、数多く出版されている本の中で、今までと違う読む感覚を経験させてくれる本に出会えて本当によかった。

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