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読書】『八九六四 完全版』 安田峰俊 角川新書(2021)

本書の副題に「天安門事件」から香港デモへ、とある。
表題の『八九六四』は1989年6月4日のことで、「天安門事件」が起こった日である。
「中国の政治改革を要求した学生や市民のデモに対して、当時の中国共産党の最高指導者・鄧小平らが人民解放軍を投入し、武力鎮圧をおこなった。」(P23-24)日である。
 
「天安門事件」に参加した当時の学生や市民、その後この事件を知った市民、そして二つの中国政策がとられる香港、そして現在二つの中国になるかどうか緊張感をもって注目される台湾の市民、学生一人一人へのインタビューから「天安門事件」は中国において何であったのかを明らかにしようとしている。
副題にある2019年に起こった香港デモまでの間に、2014年に台湾の学生運動であった「ヒマワリ学連」についても触れられている。
 
最近、読んでいる『ゲンロン13』の影響がとても大きくて、この本の中で言われる「民主主義」がイコール「自由」というところが、「本当か?」と疑問を持ってしまう。
少なくとも当時(「天安門事件」1989年)は、デモを起こした学生や市民は「民主主義」イコール「自由」だと信じていたはずだ。
本書の中で、「天安門事件」の時に大学講師であった、現在日本在住の中国人の認識として「そこそこ人権が保障された法治社会で、経済が発展するなら、政治体制が独裁的でも別にいいと考えるようになりました。」(P316)と述べている。
「日本という「素晴らしい民主主義国家」はずっと不景気で、国際的な競争力も人々の生活水準も衰退するばかりだが、民意が選んだはずの政府は問題を解決できず。的外れで非効率なことばかりしている。」(P316)
そして、先の中国人は「日本の民主と中国の独裁、半分半分くらいの社会が理想だと思えるんですよね」と述べる。
 
これは「経済が発展」し、「生活水準が向上」すれば国の主義は関係なくなる、といえ、国の主義は全て「経済」に向かうといってもよいと思う。
 
『ゲンロン13』の中で、「情報時代の民主主義と権威主義」という座談会が載っている。
この中では、「現在の状況を民主主義的対(中国をのような)権威主義という二項対立で捉えること自体に問題があります。」(ゲンロン13 P13)「欧米も中国もじつはどちらも民主主義と言えるということでしょうか。手続きや議論を重視する欧米型の統治と結果で判断する功利主義的な中国型の統治があるにすぎないのだと。」と述べられており、誤解を恐れずいうと「国の主義は違っていても、目指す方向は同じ(民主主義)になってくる」といえるのではないだろうか。

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