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ぼくがかんがえたさいきょうの精神療法 [Free full text]

筋悪な精神科医が、「ぼくがかんがえたさいきょうの精神療法」を駆使して処遇困難患者を量産することがしばしばあります。

開業してオーナー院長になってからやるなら結構。
非常勤や、医局人事で年限付き派遣されている立場でそれをされると、その医師が去った後に残されたスタッフの負担は甚大なものになります。

そうした医師には、治療契約や治療構造の枠設定といった、精神疾患の治療を開始する時点で行うべき「清潔操作」が不得手であるという共通点があります。
しばしば合併症(医原性のパーソナリティ障害など)を引き起こした上で、1年後か2年後にはその病院を去る。
当然、後任の医師は苦労することになります。

例えばある病院で働いていたクリスチャンの医師。
どんな患者さんも慈愛をもって受け入れるので、その医師の外来は境界性パーソナリティ障害や薬物依存患者の巣窟と化しました。
その医師は、パーソナリティ障害や薬物依存に必要な専門的な知識や技術を持っているわけではありませんでした。
教会には熱心に通いますが、医学技術を学び専門性を修得するために時間を割くことはない。
2年でその病院を去った後……その病院が大混乱に陥ったことは言うまでもありません。

短期的に見れば――その医師がその病院にいる間は、専門的な治療を受けていないにも関わらず、そうした患者さん達の病状は改善・安定します。
その医師の人柄や熱意、共感性、相性といった非特異的側面が、精神療法的に働く部分があるのでしょう。
しかしこれが時に問題になります。技術として良くしているわけではないので、その医師本人にすら、効果をコントロールすることができないし、治療方針を申し送ることが出来ないからです。
治療方法が属人的なので、後任が治療を引き継げないのです。

治療期間が長くなる精神科領域では治療の持続可能性は重要な要素です。
自分にしかできない治療は、最後まで自分で診られる環境下で行うべきでしょう。

宗教的なバックボーンが無くとも、自身の献身に陶酔し、患者さんを依存させることで治療を維持している医師が、実は精神科領域には少なくない。
その医師が去った後、残された患者さんは「前の主治医はしてくれたのに」「親身に話を聞いてくれたのに」と後任の医師に攻撃的になりがちです。

そして、精神療法において治療構造や治療契約の概念が無い精神科医が、薬物療法だけは標準治療を行っていることはきわめて稀です。多くの場合、患者さんに言われるがまま処方して、多剤併用になってしまっています(要するにトータルに見てその医師は「ヤブ」なのです)。
しかし後任の医師が薬物調整をしようとすると、患者さんは「○○先生(前任の医師)が私のために選んでくれた薬だから」と、それを拒むことが少なくありません。
ここまで来ると、依存というより、患者さんにかけた「呪い」に近い。

精神科に通われている患者様におかれましては、ご自分の主治医がいつまでその医療機関にいるのかを確認しておくべきですし、その主治医が去った後もその医療機関で治療を受けている自分を想像しましょう。

想像してみて耐え難いと感じられるのであれば、ご自分よりも年齢が若い医師がオーナー院長として開業したクリニックの、その院長の外来を指定して通院されるべきであろうと愚考いたします。

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