坂本龍一さんとガン、除菌、またはGeisha Girlsの話
AHO AHO MAN
坂本龍一の名前を聞くたびに思い出してしまうのがダウンタウンのコント番組「ごっつええ感じ」に出演した時のAHO AHO MAN。坂本龍一がどんな人かいまいちわからなかったはずの、当時8歳の自分にも衝撃だったらしい。
手を洗う坂本龍一
コロナ騒動初期の頃に配信された、手の洗い方のお手本を見せる坂本龍一の動画を最近初めて見た。
この動画を見て思い出すのは20年前、ウイルス恐怖症になった高校生の頃の自分だ。洗えば洗うほどキレイになった気になり、洗う頻度は日に日に増し、洗わない家族に殺意が湧くようになる。ウイルス対策というよりは「不安を取り除くための儀式」になってしまう。
坂本龍一は40代から野口整体やマクロビなど西洋医学に頼らない生活を始め、健康に人一倍気を使うようになる。ベジタリアンになった時もあったが「これではバイタリティが出せない」と感じてやめ、ガンを発症してからは再び菜食に。現代医療でガンを治療しながら、民間療法で免疫力を育むという考えに変わっていった。
完璧と緊張について
整体的な風邪の考え方のある人がなぜ、コロナに関しては予防すべきものであり、感染対策で予防できるものと考えるのかというのがどうしてもひっかかるところではあるけれど、手の洗い方を見ていると「完璧」という言葉が思い浮かぶ。
音楽を作るとなれば集注して完璧なものを作り、民間療法を取り入れて健康を目指すとなれば徹底して研究し、完璧な健康を目指したのではないか。そしてウイルスが流行ったとなれば、完璧な感染対策にのめり込む。
音楽にしろ小説にしろ、なにかを創作するためのエネルギーの集注が体を凝固させる。体を整えてエネルギーが発散されれば健やかになれるものの、創作するエネルギーや表現欲求が失われるので命と引き換えに創作するのかもしれない。
完璧な健康を目指して頑張ってしまうと、その頑張りもまた体を緊張させるし、「ガンを経験した私はコロナに感染したら重症化するかもしれない」という警戒する気持ちが体を緊張させることもあるのが人間の体の不思議なところ。
こうした体を緊張させやすい体質や凝り性な性格に普段の生活習慣(偏食、タバコ、冷えなど)が合わさってガンは作られる。
体は適当に汚くて良い
最後に手を洗うということに話を戻すと、手を洗って除菌するということは「手にキレイな状態が存在する」ことが前提になっている。でもそんなことはない、いくら洗おうが手には無数のウイルス、細菌が付いていて、「人間の体に完璧にキレイな状態」なんて存在しない。汚れていることが気になって手を洗うことがやめられない人はまず前提を変えてみよう。
その上で、体の表面に付いている細菌・ウイルス、体内にいる細菌・ウイルス、空気中に漂っている細菌・ウイルスがお互いにバランスを取り合うことで、健やかな体を保ってくれていると考えてみよう。
体に気が通っているということは、体内・体外の細菌・ウイルスが交流している状態と言えるかもしれない。除菌するということは交流を止めてしまうということ。
体内と体外の細菌・ウイルスを交流させる手段が呼吸と言えるかもしれない。不要なものを吐き出して必要なものを取り入れる。マスクをするということは呼吸を通して交流するはずのものが交流しないということ。
人間の体は目に見えないものと絶えず交流し、目に見えないもの同士の交流によって生かされているという感覚があれば、怯えて生活することはない。
当時はフザけた曲としか思わなかったけれど、今聴くと最高にかっこいい。
作った作品は次の世代に受け継がれていくのだ。
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