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真金吹く

造山古墳

▼私が今住んでいる岡山県には,日本で4番目に大きな前方後円墳である造山(つくりやま)古墳があります。上位3つが畿内の天皇陵なので,一般人が立ち入ることができる前方後円墳としては日本で最大のものとなります。

▼造山古墳は5世紀前半(400年代)に建造されたとされていますが,誰が葬られたのかはいまだに不明です。しかし,これだけの規模の古墳を建造したということは,当時,このあたりに,畿内の豪族,つまり天皇に匹敵する力をもった強大な豪族が住んでいたのではないか,と考えられます。以前,ここを訪れた時,古墳に詳しいあるお年寄りとお話をしたのですが,その方は「造山古墳の発掘研究をしていないのは,ひょっとしたら歴史が大きく変わってしまうからかもしれないな」とおっしゃっていました。また,岡山市教育委員会元文化財課長の出宮徳尚さんは次のように述べています。

 造山古墳に葬られている人物は、通説では大和(中央)政権にきっ抗した吉備(地方)政権の大首長とされています。しかし、最大規模観の達成、少なくとも築造時に限れば全国最大規模と判断されることと、倭国の大王陵に想定されている同時期の巨大な前方後円墳との墳丘形態の類似性から、倭国の政治体制の頂点である大王とみてよいように思われます。
 造山古墳を倭国大王陵とする観点は、吉備っ子の地元びいきなのでしょうか。
(http://www.city.okayama.jp/museum/okayama-history/07tsukuriyama-kofun.htm)

▼たしかに,もしここに王(天皇)がいた,なんてことになったら,都が存在していたことになるわけですから,それこそ歴史が大きく変わってしまいますね。ただ,個人的には,このあたりの地名にも興味があって,「一宮(いちのみや)」や「三門(みかど)」など「ひょっとしたらこのあたりに都があったのではないか?」と思わせるような地名が点在しているのも興味深いと思うのです。

▼ちなみに,造山古墳の近くには旧山陽道が走っています。そして,その旧山陽道沿いには,造山古墳以外にも,吉備津神社(※今日のヘッダーの写真は吉備津神社で撮影したものです),吉備津彦神社,楯築(たてつき)遺跡 ,作山(つくりやま)古墳,吉備国分寺五重塔,こうもり塚など様々な史跡・遺跡が点在し,交通の要所であっただけでなく,強大な国と高度な文化が存在したのではないか,と思わずにはいられません。

真金吹く吉備

▼「吉備」の枕詞は「真金(まがね/まかね)吹く」といいます。

「真金吹く 吉備の中山 帯にせる 細谷川の音のさやけさ」(古今和歌集)

▼真金とは,鉄のことです。吉備の国ではかつて,朝鮮半島から鉄の延べ棒を輸入して加工していたとされています。鉄を溶かすためにふいごで風を送る様子を「真金吹く」と表したのでしょう(ふいごで鉄を溶かす様子は『もののけ姫』にも描かれていますね。もっともあれは出雲のたたら製鉄がモデルだったと思いますが)。また,吉備でもたたら製鉄が行われていた,という話もあるようです。

吉備氏の乱

▼5世紀当時に書かれた文書はありません。そのため,文字として吉備の歴史が記録されている最古のものとしては,日本書紀(720年)や古事記(712年)などに頼ることになります。日本書紀によれば,5世紀の吉備は上道(かみつみち)と下道(しもつみち)に分かれており,上道は田狭(たさ),下道は前津屋(さきつや)という長が治めていたとされています。そして,前津屋は雄略天皇に殺され,田狭は命こそ奪われなかったものの,妻の稚媛(わかひめ)と二人の息子を雄略天皇に奪われた挙句,任那に国司として左遷された,とされています。また,その稚媛も,雄略天皇の死後,雄略天皇との子どもである星川稚宮皇子らを率いて反乱を起こし,大蔵(宝物殿)に立てこもったものの,火を放たれて子どもたちとともに殺されました(星川皇子の乱:479年頃)。

▼5世紀の吉備の様子を伝えるものは,大まかに言えばこの程度であり,造山古墳が誰のものだったのかも結局わかりません。万が一,先に述べたような禁忌が仮にあるとしても,それを恐れずに本格的な発掘調査が行われれば良いのですが…。

『吉備路』

▼最後に,もう十数年前になりますが,当時,友人と組んでいた「戌ゐ亭」というフォークデュオで「岡山のご当地ソングを作ろう」と何曲か作ったことがあります(残念ながら,その友人は9年前,膵臓癌で他界しましたが…)。その代表曲である『吉備路』という歌の歌詞をここに記します。ご笑覧下さい。

『吉備路』
(作詞/作曲 戌ゐ亭)

古の都に思いを馳せて 造山に向かう足守の道
丘の上に登り瞼を閉じて 果てしなき吉備路の過去を夢見る
まるで遠目に蜻蛉見てるように 黄色い花が咲いて
眠りについた人の息吹 今も胸に響く

真金吹く吉備の大地に 時が駆け抜ける
川の水だけは変わらず 滔々と流れ往く


黒媛の伝えになぞらうように 君を追い求めて吉備路を歩く
国分寺の鐘が空を揺らして 沈み往く夕日が塔を彩る
風土記の丘に立ち尽くせば 西風吹き上げて行く
うつろうは人の定めなれど 変わらぬ愛を求め

東から月が静かに丘を照らし出す
限りなく青き空を鳥が渡って往く

真金吹く吉備の大地に 夢が駆け抜ける
流れ往く時は変わらず 物語を伝える
今も

▼ちなみに,作った当時はEmの曲でしたが,自分の音域を考えずに作ったところもあり(笑),後にDmに下げて歌うようになりました…(;´д`)トホホ

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