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仕事には総て価値がある

Twitterを見ていた時に強く感じたことがあります。
それは
『総ての仕事には価値がある』
という事です。

▼あるセクシー女優さんのつぶやき

先日Twitterを見ていた時にあるセクシー女優さんのつぶやきを目にしました。

ぼくは平岡さんのご意見に大きく頷くと同時に
総ての仕事には価値がある
と強く感じたのです。

この平岡さんのツイートに関して色々な方がリプライや引用をされていて意見表明をされていました。
どのご意見を否定するつもりはありません。

しかしながら。
ぼくはこの『無料』というキーワードに関して一つの考えを持っているのです。

▼無料に麻痺する

以前、このnoteでも『タダに麻痺する』という記事だったり『お金を頂く、ということ。』という記事でも書いたのですが……どんな仕事にも価値があると考えています。

今、世の中は無料のサービスや製品が多く出回っています。
しかし、そのサービスや製品は『ポン』と魔法にように出てきたわけではなく、色々な人の努力、工夫、作業、思いが結実したものなわけです。
そこに時間もコストもかかっています。

平岡さんのツイートに対してどなたかも書いていらっしゃいましたが……
世の中に出回っている『無料』の製品やサービスは提供している企業の努力やサンプル製品(サービス)としてのモノが多いように感じます。

こうした傾向がすべて悪いとは感じていません。
『お試し』という部分で無料になっていたり、『まずは使ってみて』という思いだったりで『無料』があっても大いに良いと思っています。

しかしながら……今こうした『無料』のものが世の中にあふれすぎていて、『無料に麻痺』している部分が少なからずあるのではないか、と思っています。

例を挙げますと、

  • 無料だから価値がないとか有償だから価値があるとか。

  • ちょろちょろってできるんだから無料にすべきだ、とか。

  • 片手間にやっているんだから、有償はおかしい、とか。

  • サービスでやっちゃってよ、とか。

などなど『麻痺してるなぁ』と感じる例はどんどん出てきちゃいます。

▼無料ばかりだと……

漫画でもゲーム、アニメでも映画でも音楽でも小説や新書、もちろんアダルトビデオも演劇も。
サンプル以外で無料のものが増えたりしていくと……そのものが滅んでしまうのではないか、とぼくは感じています。

何故ならば、『無料』が増えすぎるとその仕事への対価を支払うのにどこかにしわ寄せがくるからです。
企業努力で出来ない部分はおそらくは実作業をしている人への対価が削られたりするでしょうし、そうした事が増えると……その仕事を引き受ける人がどんどん減ってきますし、こうした作品の中身がどんどん簡略化されたりしていってしまうのではないでしょうか。

どんな仕事にも価値があるはずなのに、手間や工夫、苦悩や努力に対して評価がない事に繋がってしまう気がしているのです。

仕事の価値、というのは金銭だけではなく、人が肌で感じるものもあると考えています。
しかし、『無料』が増え続けると――こうした肌で感じる『価値』がどんどん鈍ってきてしまい、自分以外の人間がどんな仕事をしていても大切に思えなくなってしまうのではないでしょうか。

無料であたりまえ、ということは到底ありえないのです。
あったとしたら……誰かの努力だったり、誰かの辛抱だったり、誰かの意思が踏みにじられているのではないでしょうか。

▼あたりまえじゃない

ぼくは自分で言うのも憚られますが、幸せな家庭に生まれてきたと思っています。
成人するまでは家事のほとんどを母親がやってくれていました。
無償で。

だからといって、母の家事という仕事に価値がないかというと……けしてそうではありません。
母の時間、工夫、苦悩、努力があって初めて結実することの連続だったと思っています。
無償に麻痺して、『お母さんがやるのがあたりまえ』という感覚になってしまっていた時期がもちろんありました。

もちろん母からすれば『無償の愛』という部分もあったでしょうし、保護者としての務めと思っていた部分もあったかもしれません。

やはり、こうした家事などの仕事も無償ではあったとしても、無価値ではないと強く感じています。

無料・無償だからといってそれらはあたりまえではありませんし、価値が失われるわけではありません。

▼職業に貴賎なし

ぼくは色々な仕事をしてお金をもらっています。
ぼくの価値はお客様が決め、対価を頂戴しています。
ぼく自身の仕事がお客様の役に立っていれば、それ相応の対価を頂きます。

しかし、同然のことながら、お客様にとって無価値であれば仕事すらいただけません。

だからといって、ぼく自身の人生や生き方が無くなりはしませんし、無価値にはなりません。

お客様のご判断 = ぼくの価値の絶対値ではない、と考えています。
だからと言ってぼくの考え方が絶対だと思っていません。

ぼくがお客の立場であれば、やっぱり好き嫌いありますし、「あの人は頼みたくないな」という思いを持つこともあります。
この場合でも相手の仕事が『価値がない』などということには決してならないと考えています。
ぼくの好みが違うだけで相手の仕事を否定してしまったら……そんな人ばかりになってしまったら……王様や独裁者だらけの恐ろしい世の中になってしまうと思っています。

自分の好き嫌い、自分の価値観と『相手の仕事の価値』はまったくの別だとぼくは強く思っています。
ぼく自身が依頼するかどうかの行動判断の基準はありますが、
「あいつの仕事は金を払う価値がない」
などど口が裂けても言えません。

と同時に、『無料だから』とか『安く済むから』という思いが第一義になってしまうと……仕事をしてもらう上でその仕事の価値を見誤ってしまうと考えています。

江戸時代の思想家、倫理学者、石田梅岩は
職業に貴賎なし
と言ったといわれています。
『職業は社会的職務の相違であり、人間価値の上下はないよ』
という意味だと理解しています。

どんな人でも、(法を犯したりしていない)どんな仕事でも価値があると解釈しています。

こんなぼくでも、舞台演出家として食べられてなくても、モノを書いたりして生きていますし、もっと言えば……職業を抜いても、一人の人間としてモノを考え、行動しています。
この国で言えば選挙権を持つ――だいぶ右寄りな考えではありますが――ひとりの人間であるわけです。

少し話が逸れましたが、どんな仕事でも価値があり、その価値は他人が定義するものではなく、合う合わないはあるにしても尊重し尊敬するからこそ、すべての仕事が発展していくのではないかと強く感じています。

ぼく自身、無料に麻痺する事なく、当たり前と思うことなく、総ての仕事の価値を尊重し、自分の仕事を磨いていきます。
平岡さんのつぶやきを拝見し、改めて感じた次第です。





舞台演出家の武藤と申します。お気に召しましたら、サポートのほど、よろしくお願いいたします!