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痛い目にあっています。

この二、三週間。
痛い目にあっています。

と言いましても。
別に身体のどこかを痛めたわけでもありませんし、精神的に落ち込んでいるわけではありません。

ぼくの生来の気質と言いましょうか……
先入観で物事を判断したり、見てしまっていて……
やり直しやうまくいかないことが続いております。

▼高を括る

この数日間――ぼくにとっては――とても大きい発見というか、思いといいますか、仕事や考え方について大きな変化がありました。
仕事の運び方の根本が変わるような出来事でありました。

と申しましても……誰かに何をされたわけでもありませんし、自分が何かにつまづいたわけでもありません。

ただ。
なかなかうまくいかない事について考えていた時にぼく自身、
「あゝ、これは高を括っていたな」
という思いがこみ上げてきたのです。

もちろん、どの仕事に対しても、舐めてかかったり、安易に考えることがない、と努めているつもりでありました。
そうなのです。努めているつもりで……まったくそうでなかったのです。
ついつい油断といいますか、高を括ってしまう事があるのです。

たいていそういう時は何度か成功したような事例のある仕事でしたり、経験のある出来事に対して、です。

「どうせこれは〇〇でしょ」
とか
「ぜったい、アレは××だ」
というような思い込みが発生してしまっていました。

▼小さい頃は

小さい頃……
うまくいかないことがあれば、神様に頼んだりしていました。
「どうか神様。これを〇〇にしてください」

更には
「誰か助けて!」
と心の中で叫んだり。

また更には
「どうせオレなんかさぁ」
と諦める事も多々ありました。

しかし……
今、現在は少し考えが違ってきています。

困ったこと、うまくいかないことがあれば……
「誰か助けて!」とも思いますし、「神様、どうかお願いします」とも祈ります。
さらには「オレなんてさ…」とも思うこともしばしばあります。
しかし……このうまくいかない原因は自分の判断だったり、選択した行動の結果だ、と考えています。

そして。
一番小さい頃と変わったのは……
『けしてあきらめない心』
が育ってきたことだと感じています。

誰かが助けてくれるにしても。
神様が道を示してくださるにしても。
ぼくがあきらめたら動けませんし、ぼく自身が動かなければ……問題は解決しないどころか、どんどん困る事になると感じています。

そして、動く事があきらめない心を育てているとも感じています。

▼このコロナ禍で

このコロナ禍で……計画していた仕事も、仲間との公演も大きく予定が崩れています。
しかし、ぼくはあきらめていません。
必ず、またお目にかかれる準備を進めています。
もちろん、”すぐ”には結果が出ない事ですし、反映もされないことが多いです。
しかし、それらの一つ一つはけして無駄ではなく、必ずやってくる”制限なく活動”できる日への準備だと考えています。

そうしたコロナ禍でもやっぱり育ってきたものは色々とあります。
その一つが『あきらめない心』です。

いただいた仕事についても、新しく挑戦していることについても……この『あきらめない心』が色々と考えを変えてくれたと感じています。

そして、ぼくの生来の気質――欠点である、先入観の怖さ、高を括ることの愚かさを改めて感じる事になりました。

▼素直に聞くこと

考えてみれば……
今まで仕事をする時もどうしてもこの『高を括ってしまう』事や『先入観』で物事を判断してしまう事が多かったように思います。

新しい技術を覚えるのにしても……
「今まではこうだったから、きっとこうだろう」
と強い先入観で見てしまっていたために、その技術を覚えるのにとても長い期間がかかったり、何度もなり直すうちに……「あ、これはそもそも……こういうことなのか」と”思い込み”に気付かされたりの繰り返しのような気もしています。

もちろん、何かに取り組む時に”仮説”だったり自分の”経験”を元に想像しながら作業する事は有意義だと思いますし、経験上での話ですが、とても成果がでる、と感じています。

ただ。
やはり高を括るような先入観でしたり、決めつけに近い――柔軟さを忘れてしまった想像、先入観ほど邪魔になるものはない、とこの数日でいやというほど思い知らされました。

ぼくは常々……自分のお弟子さんや講座の生徒さんたちに「素直に聞くことが一番だ」と言い続けてきましたが……自分自身がそれを忘れていたようです。
素直に聞く、というのは何でも言う事を聞く、ということではなく……先入観を持って聞かない、チャレンジしてみる、という考えです。

いつの間にか……この大切な考え方をぼく自身、忘れてしまい、さらには首を絞めていたようです。

▼先入観は判断を鈍らせる

先入観を持って物事にあたると……判断を鈍らせると考えています。
先入観は「もう知っているぜ」というように考えたりして、情報を遮断したり、「〇〇は××だ」という間違った結論の思い込みから……自ら判断材料を狭め、結果、判断を鈍らせると考えています。

思い込み、決めつけに近い先入観を持っていると、十分な情報収集をしなかったり、情報を組み合わせることもしなかったり……そうすればもちろん分析も活用もできません。

そうすることで、せっかちになったり、自分の仕事に対しても高を括り始めたりするのだろうなぁと……自分自身がうまくいかないことに雁字搦めになり、イライラも募ったり、動きも鈍くなる……ここ数日の経験で強く感じました。

反面。
必要な先入観も中にはあるとは考えています。
それは、危険を察知する能力ですとか……自分に向いていないであろう事柄を判断する感覚です。
「これは〇〇だからやらない方が良い」
という先入観は必要な場合もあります。

なんでもかんでも……受け入れてしまってはやはり心身の危険になってしまう場合もある、と考えています。

ただ、いずれの場合も……先入観の入れどころを間違ってしまうと……なんどもやり直したり、時間が膨大にかかったりすると感じています。

▼やらなくても良かったやりなおし。

ここまで大仰に書いてきましたが……
ここ数週間で、身の危険に陥ったわけでも心が押しつぶされそうになったわけでもありません。

単に自分の時間が――ただでさえ使い方が下手くそなのですが、さらに時間がなくなるようなやりなおしが多い、という”痛い目”にあっていたのです。

もちろん、作品や仕事そのものを見直してかかる時間、回数ならなんてことはありません。
しかし、思い込み、決めつけのような先入観、高を括った結果……
”本来ならやることなんかなかった”やり直し、がぼくが今、あっている痛い目であります。

ただ、この痛い目を見たから感じる事ができたのですが……
今までの仕事の順番が逆になるくらいの大きな変化があったのも事実です。

けしてあきらめない心
をさらに育み、一歩一歩進んで参ります。

舞台演出家の武藤と申します。お気に召しましたら、サポートのほど、よろしくお願いいたします!