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中山道“風の旅”2024〜プロローグ、第1ステージ

今年は甲辰の1月15日に還暦を迎え、3月31日をもって35年勤めた会社を定年退職した。と言って仕事も終わったわけじゃないし、人生はまだまだ長い。節目の歳として今年は何かチャレンジしたいと思ってたところへ末房さん企画の風の旅の案内。6年前の第1回に参加したけど、第1ステージで夕食の時間に間に合わないと判断して182kmの残り32kmでエスケープ。続く第2ステージも148kmの残り43kmで足首を痛めてエスケープ。翌朝にはなんとかリカバリーして残りのステージはクリア。完踏できず残念な気持ちはあったけど京都まで辿り着いたし何よりも旧中山道に魅了されたとても贅沢な7日間だった。

第1回は3泊7日4ステージの旅でしたが、今回は5泊7日6ステージの旅。旅は早ければ良いってもんじゃない。むしろ遅いほどゆっくりと楽しめるから良いのだ。

近頃は平日も週末も何かとイベントが多くて身体の準備が整わないままスタート日を迎える。年が明けてからのラン&ウォーキングの月間距離は、
1月 31km
2月 10km
3月 65km
走らないにも程があるというものだ。

しかしながらランニングを始めて12年、とんでもなく長い距離を走り続けるのに必要なのは走力だけではない。補給や身体のケア、そして何よりメンタル。言わば“総力”だ。その意味では月間走行距離が長ければ大丈夫とか、短いからと言って無理だとは思わない。そんなんだから日々の目まぐるしさにかまけて走り込みが疎かになってしまうのだが・・・

〈前回のステージ構成〉
第1ステージ 日本橋~望月宿 182km
第2 ステージ 望月宿〜馬籠宿 148km
第3 ステージ 馬籠宿~太田宿 60km
第4 ステージ 太田宿〜京都三条大橋 148km
※第1、2、4ステージは夜間走あり

〈今回のステージ構成〉
第1ステージ 日本橋~岩村田宿 164km
第2 ステージ 岩村田宿〜下諏訪宿 53km
第3 ステージ 下諏訪宿~木福島 54km
第4 ステージ 木曽福島〜中津川宿 56km
第5 ステージ 中津川宿〜武佐宿 155km
第6 ステージ 垂井宿〜三条大橋 43km
※第1、5ステージは夜間走あり

前回と比べると夜間走が減り、宿泊が増えて身体は楽だし昼間の景色をより多く楽しめそう。そして今回の宿泊は朝飯のみで夕食の設定がないので何時までに宿に着かなければならないという制約がない。もちろん限度はあるもののゴールタイムが決まってないのは気持ち的にかなり楽。それに同じ中山道でも昼間と夜では景色が違って見えるだろうから新鮮だろうなと思う。それでも2回は夜間走がある。特に第1ステージの164kmを走り切れるかどうかが心配。まぁ前回の182kmに比べたら短いので何とかなるか・・・

4月28日

【第1ステージ】日本橋~岩村田宿 164km


元々は9時スタートだったけど一緒に走るじゅんじゅんさんが6時にスタートするというので合わせることに。早い人と遅い人の距離が離れるほどサポートは大変。なにしろ末房さんが独りでサポートするのでなおさらだ。自分も少しでも時間的余裕が欲しいのでちょうど良かった。

千葉駅 始発に乗るため嫁さんに車で送ってもらう。GWに全日家を空けるのはそれこそ前回以来6年ぶり。嫁さんを放ったらかしにして申し訳ないけど、還暦記念ということで許してもらった。その上、夜明け前から起きて駅まで送ってくれてありがたい。

貸し切り状態の車内
早朝の車通りのほとんど無い日本橋
日本橋が見えた!
風格のあるモニュメント
ここから旅が始まる

スタートして間もなく東大赤門の前を通る。

赤門
絵に描いたようなキャンパス

5km地点通過
100分の1走った(^_^;)

日本橋から5km

巣鴨地蔵通りに入る。「おばあさんの竹下通り」らしいが朝早くてお店も開いてないので人通りは少ない。

これが入口
高岩神社

棘抜き地蔵尊で有名な高岩寺の前を通る。
その後、板橋を通過。

板橋が見えた
これが正真正銘の板橋です

そして板橋十景の一つ志村一里塚。

道路を挟んで両側にある
植栽も立派

こんな都会のど真ん中に良くぞ残してくれた。この後も数々の一里塚を見ることになるが、ここにあったという立札しかない所も多いのだ。

清水坂に差し掛かる。

清水坂の上
清水坂の下

前回はここで白装束に足袋を履いた外国人に会った。京都から2週間掛けて歩いてきたらしい。日本人より日本人っぽい。7日間で京都まで行くと言ったら「You are crazy !」と言われたけどあんたもたいがいのcrazyだ。

荒川を渡る(昔は船で)

荒川を越え蕨宿へ。

蕨宿本陣跡
浦和宿

浦和宿の辺りから右骨盤の付け根辺りに軽い痛みを感じ始める。これまでも長い距離を走って故障したことがあるが、ほぼ左脚だったので右脚に一抹の不安を感じつつもとにかく前へ。その後、右脚全体に違和感を覚えるも走るのに支障は無い。
そうこうしてると大宮の氷川神社に到着。

氷川神社の鳥居
氷川神社

旅の安全を祈願する。昔の旅人もきっとここで祈ったであろう。昔は命掛けだったかも。現代は命の危険は少ないので「生きて辿り着きますように」とまでは祈らないけど「どうか脚が故障しませんように」と強く祈る。

鍾馗(しょうき)様

 上尾宿の建物の瓦の上に鍾馗様を発見。厄除けの神様。走ってると言っても歩きとそんなに変わらないペースなので格段に情報量が多い。自転車や車での移動とは比べ物にならない。

桶川宿に入る。歩道橋の橋脚に「ここに一里塚があった」と書いてある。こんな一里塚は寂しい限り。

午後に入り気温がかなり上がる。暑いのは暑いのだが、昨年の7月に参加した房総半島一周レースで殺人的な暑さの中を走ったせいもあり「暑さの次元が違うなぁ」と思ってるとそんなに暑くないようにも思える。一度経験した限界を身体は覚えているのかもしれない。房総半島一周レースは280kmのところ160kmでリタイアしたけど経験としてとても良かった。

天神社

北本宿に入る。二十数年前に2年ほど住んでたので懐かしい。6年ぶり。つまり前回以来初めて。こんなことでもないと来ることもない。その頃はここが旧中山道だなんてことには一切関心がなくてもったいないことをしたなと思う。

続いて鴻巣宿。ここも北本に住んでいた時は何度も往来している。鴻巣と言えば雛人形。せっかくなので鴻巣市産業観光館「ひなの里」(無料)に立ち寄ってみる。

雛人形の製作過程の展示
手間を掛けた後にようやく仕上がる
渋みのある古い雛壇

鴻巣とは「コウノトリの巣」というわけで、

コウノトリのタイル

鴻巣ならではの歩道のタイルがとても良い。

鴻神社

鴻神社も鴻巣らしく子授けと安産祈願の神社だ。もはやそれをお祈りすることはないが・・・

荒川の土手

吹上宿を過ぎると荒川の土手に出る。前回は日が暮れて暗闇だったので気づかなかったが、水の流れているところは土手からかなり離れていて畑みたいなのもあって川のようには思えない。荒川と呼ぶくらいだから豪雨の時は水かさが増して荒れるのだろうか。

熊谷駅

熊谷駅を過ぎた後に暗闇に包まれる。
暗くなると景色は見えないし写真もほとんど撮らないし淡々と走る。気温も下がるし身体は楽になるので退屈だけど距離を稼ぐなら夜だ。

移動エイド

そんな夜の楽しみは末房さんの移動エイドだ。ほぼ毎回、火を入れた手料理を振る舞ってくれる。参加人数が多いととてもできない芸当。どれも美味しいのだ。末房さんのホスピタリティにはいつも本当に頭が下がる。ランナーは前へ進むだけだけど、サポーターはペースの異なるランナーの状況に合わせて進んだり戻ったり、その間に食材やらランナーに頼まれて買い物したりと忙しい。こんなのを520kmもやり続けるのもかなりタフでないとできない。そう言うと、いつも末房さんは「自分も楽しんでるから」とあっさり。末房さんがこんな風に気負いなくサポートしてくれるのでランナーは安心して走れる。まさに“神サポート”なのだ。

夜中の2時40分頃、スパゲッティ調理中!

安中宿の手前で夜が明ける。

鳥の鳴き声が聴こえ始めて、段々明るくなってくるこの薄明の時間帯が好き。旅の場合、情報量が減るし夜通し走ることになんの意味があるのかっていつも考えるけど、強いて言えばこの薄明の時間帯に出会うためなのかも。
明るくなると再び情報量が増える。

夫婦道祖神

これは夫婦道祖神。下記の記事によると安曇野が本家本元らしい。興味津々。この後の旅路でも何度か遭遇した。

再び移動エイドの登場。

スペシャルなホットサンド

今度はホットサンド。まさにグッドモーニング! 走るモチベーションが上がる。

妙義山遠望

遠くに妙義山を望む。日本三大奇景の一つでありその異様さを遠くからでも感じる。

安中の杉並木

安政遠足の幟が立つ辺りに立派な杉並木が見えてくる。

高い!
太い!
手前の鉄柱からワイヤーで支えられている

高いし太いし一本一本がとても立派。枯死寸前のところを地域の住民が保護してなんとか残されている。しかし切り株も多くて往時よりは疎らになってしまっているのは少し残念。木は木陰を作り日射や強風から旅人を守ってくれる。

妙義山

妙義山がかなり近くに見える。

トレランポール登場

碓氷峠へ向かって登りが続く。右膝の調子が悪く、どこだったか忘れたがサポートカーに預けておいた荷物から念のために持ってきておいたトレランポールを取り出す。サポートカーは基本的に預け荷物を載せたまま移動しているのでとても有り難い。脚2本にポール2本を加えて四つ脚になるので脚の負荷を下げることができる。強く支えるような使い方ではないけどその威力は大きい。登り坂では推力を加算することでペースダウンを抑えられるので特に有効だと思う。昔の人も木の杖を使う人がいたであろう。現代の杖はジュラルミンなので強くて軽い。この後、最後までずっと使いながら握り方や突く位置、強さなど色々と試行錯誤したのでポール捌きもかなり上達したと思う。(自画自賛)

横川駅に停車中の蒸気機関車

大勢の撮り鉄達が線路脇に三脚立ててるなと思ったら横川駅で蒸気機関車に遭遇。なんだか得した気分。

横川と言えば峠の釜めし
横川駅前にあるまさに元祖峠の釜めし

時間に余裕があったらここで釜めしを食べたいところだが先を急ぐ。

坂本宿

目の前にこんもりとした山が道を塞ぐかのように聳え立っている。あの辺りから碓氷峠の急登が始まる。その直前にあるのが坂本宿だ。保存状態は良くない。昔は峠を越える間の山の中で夜になると命の危険もあっただろう。無理をせず宿場で一夜を過ごし、翌朝から登る。そんな旅人がいてとても栄えたそうだ。なので難所と呼ばれるような峠の前後には必ず宿場がある。今やヘッドライトとスマホGPSがあれば夜でも越えられないわけではないが、景色が見えないのでやっぱり昼間に通過するのが良い。

ここから本格的な山道が始まる。

人工物の無い景色は昔も今も変わらないのだろうか。昔は今より人の往来が多くて道はもっと広くて整備されていたのではないだろうか。そんなことを思いつつ峠を登る。
途中、森の切れ間から坂本宿を見おろせる場所がある。「覗き」と呼ばれる。

覗きからの坂本宿
望遠で寄せてみる

保存状態の良くない坂本宿もこうして遠目で見ると往時の雰囲気を醸し出しているのではないか。京都へ向かう人も、日本橋へ向かう人もこの景色に驚き、脚を止めたであろう。

とにかく新緑が美しい。どこかで腰をおろして珈琲でも淹れたいところだが明るいうちに峠を越えたいので急ぐ。しかし右膝の痛みが酷くてペースは上がらず焦る。ふと思い出してファーストエイドキットにいれておロキソニンテープを貼ってみる。しばらくすると痛みが消えた。

根本原因を治したわけではなくあくまで対処療法だ。そこのところを意識しておかないと症状をさらに悪化させかねない。痛みが消えたのは良かったのだが、動きの激しい膝だけにサポーターのようなものでしっかり固定しないとすぐに剥がれてしまう。あいにくとサポーターを持ち合わせてなかった。テーピングも使ってみたが固定が不十分ですぐに剥がれてしまった。ロキソニンテープはこの先も使う可能性があるので浪費もできず結局お試しだけに終わる。それでも小一時間以上は効果を保持したのではないか。ロキソニン恐るべし。

しかし再び痛みだしヨタヨタと歩くのが精一杯。碓氷峠から軽井沢側の下り始めは急峻でこれまた膝への負担が大きくて心身ともに消耗する。夜通し走ってきたので膝の痛みのせいなのか、脚が逝っちゃってるのかも良くわからない。第1ステージでこんな状態で明日からどうなるんだ。自問自答しつつなんとか明るいうちに軽井沢へ辿り着く。

旧軽井沢銀座通り

とても走れる状態ではないのだが残り20kmくらいある。完全踏破への執着はあるものの、ここで無理して悪化して旅が終わってしまっては元も子もない。苦渋の決断でエスケープすることにした。そこから3km先の路上で末房さんの車に乗せてもらい佐久の宿へ。
これにて第1ステージ終了。まだ明るかったので多分18時くらいだったと思う。

ホテルのある佐久はそれなりに大きな都市なのでドラッグストアも何軒かある。末房さんの車で夕飯調達のついでに立ち寄ってロキソニンテープの補充とそれを固定する膝用のサポーター、炎症箇所を冷やすためのアイスバッグを購入。ステージレースでは翌日に備えてのリカバリーが大切だということを前回の風の旅で旅慣れた諸先輩方に教わり、そして即実践したので、その時のことを思い出してできる限り身体のケアをする。そしてお風呂で身体を温めて深い眠りにつく。

(旅は第2ステージへ続く)

〈参考〉

第1ステージトラックログ
(走行距離155km)
標高グラフ
(累積標高+1634m-785m)

※ピークは碓氷峠

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