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人の気に触れる場

最近、在宅勤務の日は特に気が晴れない。起きたと同時にPCの電源を付けて、だらだらと顔を洗い、朝ご飯を食べて、特に変化のないパジャマから部屋着に着替えて席に着く。小学生の時に買った学習机に、その時の椅子を今の高さに変え、きっと今までの人生で一番この机に向かっている時間が長い。

仕事はあるけれど、そこまで急ぎじゃないし、次の出勤日にもっと大きな画面で、印刷をしながら確認してやりたいな、と思うことや、誰かにメールをして聞くほどじゃないけれどひとりでこのまま進めるのはちょっと不安だから、今度誰かに会った時にさらっと聞いて進めよう、と思う仕事がどんどんたまる。在宅でできないこともないけれど、なんだか進まない。

改めて、外に出るということ、誰かと会うということ、そういうことが色々なモチベーションのスイッチになっていたんだろうなあと思う。

外に出て日差しを浴びること、ビジネス街を歩くこと、そこで街が動いていると感じること、休み明けの同僚と会ってお土産をもらいながら他愛もない話をすること、特に話さないけれどキーボードの音が途切れないこと、何の話かわからないけれど電話でしゃべる声がすること、それを聞いていたら同僚がちょっと困っていて、私が手を差し伸べられそうだなと気が付くこと、昔は気にも留めなかったアンテナやセンサーが敏感に働くことで、わたしは生かされていた部分があったのかもしれないと気が付いた。

メールだけで仕事は進むけれど、それは私にとっては整われた先の見えないトンネルを歩いているようで、なんだか私がここにいてもいなくても何も変わらないように思ってしまう。誰かの気ってこんなに大切で温かかったんだと、今日やっとわかったように思う。

在宅勤務が始まったころは、化粧もしなくていいし楽ちんな服を着られるし、ランチは温かいものが食べられるし、会社行かなくていいじゃん、と思っていたけれど、在宅にも慣れてくるともう少し開けた野原のような、そんなところで各々が仕事をする、人の気あふれる「場」を欲していた。

もちろん会社に行くことだけが善だとは決して思わないし、無理して出勤する必要はないと思うし、在宅勤務の方が集中できる人もいると思うが、「誰かと一緒に働いているんだ」、「社会の中で働いているんだ」そんな感覚の欠如が今回の私のどんよりとした気分につながっているんだろうなあと思う。

大好きなドラマ「空飛ぶ広報室」にこんなセリフが出てくる。

仕事に対する意識が最初から高いやつなんてそうはいないって。意識ってのは「場」、場が育てるの。

テレビ局に勤める主人公・稲葉リカが取材先 航空自衛隊 空幕広報室に通う中で、広報室メンバーに入隊理由を聞くシーン。崇高な使命や目的をもって入隊してそうな自衛隊員も、聞いてみたらわりと普通な、ひとそれぞれな理由で(その時好きだった女の子が防衛大の教授の娘で近づきたくて、とか、貧乏で防衛大ならお金かからずに就職できるから、とか)拍子抜けしている稲葉に対し空幕広報室 室長 鷺坂さんが放ったセリフだ。

実際に稲葉も、志願していた報道記者ができなくなり、やりたくもなかった情報局で働いている途中だったが、取材先の見えていなかった熱い想いや、一緒に働く人の姿勢に刺激されて、情報局の仕事に心から向き合うようになる。

仕事上の付き合いはめんどくさいこともあるし、無理に嫌いな人と付き合う必要もないと思うが、それでも一緒に働く人の気によって感化されることはあると思うし、それがないとくじけてしまうことも多いのではないかな、と思う

いつも人に気を遣って疲れるわたしが、逆に人の気に触れる場が足りなくて疲れているんだと気がついた、水曜日。今日は温かなお風呂に入ろう。

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