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伝統と人を繋ぎ、みんなが笑顔になれる仕組みを創造する”い草食堂”代表、北川浩史さん

畳の輸出業に留まらず、京都の人気洋食店や神戸元町地域の協力を得ながら「たたみ」のショールームを兼ねた洋食店を誕生させるなど、多様なコラボレーションで”い草”や日本の古き良き伝統産業の魅力を伝えている、北川浩史さんにお話を伺いました。

北川浩史(きたがわ ひろし)さんプロフィール
神戸市出身 神戸市内の小中高校、大阪の大学に通う。 大学3年時に親戚の畳屋さんのお手伝いを始める。 大学卒業後アパレル関係の仕事に従事するも学生時代から続けた畳屋さんでアルバイトは継続する。 日本の良いものが失われていく中、畳が減少していくことに危機感を感じ 畳の魅力を改めて感じて欲しいと 海外の展示会に出展したり畳のイベントを開催しながら、 神戸・元町に「い草食堂」をトライアルオープンし常設展を目指す。 国内外問わずたたみに触れてもらえる活動を日々行っている

記者 畳(タタミ)・い草に興味を持ったきっかけは何ですか?

北川浩史さん(以下 敬略称) 親戚が畳屋だったので、幼稚園からずっと畳の匂いや、畳部屋があることが当たり前の生活をしていました。だから畳がない方が不思議だったんです。
今、幼稚園の子供を対象に畳のワークショップを開催しているのですが、参加理由に、「子供に畳を教えたい」といわれる方、ご両親も畳を知らないことにも驚かされました。“なぜ畳の部屋が減ってしまったのか”を調べたら、バブル崩壊後のコストの問題、畳は面倒、古くさい、使ってると毛羽立って細かいゴミが出る等の、悪いイメージの方が増えていました。けれど、昔はアトピーなどがほとんどなかったのは、土壁や畳が有害物質を吸収してくれたり、スキマ風で空気が循環していたからだという説もあり、昔の家屋は実はメリットがたくさんあることに気付きました。もう少し、昔の暮らしを取り入れたら、現代病や困っていることが減っていくのではないかと思います。今はワークショップをしながら少しでも伝えていきたいと思って活動しています。

記者 畳の仕事をする前は何をされてらっしゃったんですか?

北川 アパレルをしていました。子供が好きだったので最初は子供服、その後は服の材料の会社に転職してそこで10年くらい勤めました。その頃アパレル業界は下り坂で、頑張っても頑張っても良くならない無力感がありました。いいものを作ろうとしても、結局は生産コストを下げるしわ寄せがきて、仕入れ値を叩かれるばかりで、ずっとこのサイクルの中で生きていくのかと、とても閉塞感を感じて虚しくなりました。ここじゃダメだと思っていた時に、畳のことが出てきたんです。

フランスに行かせてもらった時、本当に日本のことを大好きな外国人がたくさんいるのを実感しました。これを事業として成立たせたいという思いと、畳屋をやってる親戚の力になりたいというのがありました。アパレルの経験や人脈も活かして、何とかしようとチャレンジしたら変わる世界があるかもしれないと思って動き始めました。

今の会社名を"スリアン”というフランス語にしているのですが「笑顔にする」「笑顔になる」という意味があります。い草農家から最後のお客様まで、誰か一部だけが得をするような仕組みではなく、みんなが買って良かった、この人と商売できて良かった、と思ってもらえる。関わる人すべてが笑顔になる仕組みをつくりたいとずっと思っていました。それで、これだったらできるかなと思って、今の仕事を始めることにしました。

記者 自営業をスタートしてどうでしたか?
 
北川 助けてくれたり、アドバイスをくれたり、人を紹介してくれたり、いろんな人に助けられました。そこから洋食屋さんや野菜の仕入先を紹介してもらって、食堂をやるようになりました。
一人ではできないことだったので、口だけではなく心から人に感謝できるようになりました。若い頃は人に感謝をすることがあまりなくて「俺って偉いやろ?」という感覚でしか生きてなかったので(笑)、年のせいもありますが、そこが変化できたことが、やって本当に良かったなと思っています。

記者 畳から、食堂をしようと思ったのは何かあったのですか?

北川 実は20代後半から飲食をしたいという思いはあったんです。親戚の人数が多い環境で育ったのもあり、人が集まる場所が好きでみんなが喜ぶ顔を見るのがすごく嬉しくて。でも、やろうとして挫けて諦めることを繰返していました。そんな中でも「発信して言葉にし続けないと、実現しないよ」と教えてもらったり、「いま辞めたら失敗や、成功するまでやり続けたら成功なんやで」と言ってもらったり、それに支えられながら行動し続けて、人の縁が繋がって今の自分があります。

記者 活動するにつれて逆境に感じたことはありますか?

北川 そうですね。人間関係です。仏のマルセイユで「日本秋祭り」が開催される時に「ボレリー公園の中にある茶室の畳の痛みが激しくてなんとか直したい」という話が市からあり、僕が日本に話を持ち帰りました。神戸の職人総出で、なんとか低予算でリフォームできるような形で、マルセイユへもっていくイベントを企画しました。

色々と話が進んでいくにつれて、話が少しごちゃごちゃしてきたときに、ある日メンバーから「夢みてただけで、本当にやると思わなかった」と言われて、僕は本気で事業として動こうとしていたのに、驚きのあまり人間不信になり、自分の勝手な思い込みで進んだらあかんなと思ったことがありました。

記者 それはショックですね。それから人間関係で気をつけていることなどはありますか?

北川 基本的に人を信用しやすい性格なんです。ちゃんと人を見ないとあかんと言われるのですが。今でも不信は出てくることもありますが、ただ、事業を進める上では不安になっていても仕方ないので、プロジェクトを進める上で、相手が実際に動いたら信用するように切り替えています。生き方が下手だといわれますが、基本は信用するしかないのかなと。

記者 なるほどですね。理想的な関係性などありましたら教えてください。

北川
 嘘がないことですね。あと言いにくいことを言っても、ケンカ別れをするのではなく、一緒にやっていける関係性がいいですね。勇気が必要だけど、良いことも悪いことも言いあって、最終的にはみんなが笑顔になれる関係性をつくりたいです。

記者 どんな美しい時代をつくりたいですか?

北川 時代が進んで、建物も製品も、先進的なものや洗練されたデザインもいいとは思いますが、昔から受け継がれてきたものが今も残っているというのはそれなりに理由があると思うんです。いいバランスで新旧両方残していきたい。古いものがダメという風潮や、安かったらいいという考え方は寂しい。ちゃんといいものを残していく、選択できる時代をつくりたいと思います。

記者 そうですね! 温故知新っていいますし、新しい時代へ向かっていくためにも古いものをちゃんと大切に残していくことが重要だと思います。素敵なお話聞かせていただきまして、ありがとうございました。

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北川さんの情報はコチラ↓↓
・い草と食堂 https://peraichi.com/landing_pages/view/igusashokudo
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<編集後記>
本日インタビューを担当した泊です。夢を実現するために逆境を超え、頑張って前進されているお話がとても印象的でした。みんなの笑顔をつくりたいという純粋な本心からの思いが伝わってきました。今後のご健勝を心から祈念いたします。お忙しいなかありがとうございました。

この記事は、リライズ・ニュースマガジン゛美しい時代を創る人達″にも掲載されています。