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日常:待合イス

 流れ弾には要注意、か。

 足首の爆弾を抱えている。元々は持病からの影響で悪くなったのだ。それが時折爆発して、痛みだす。
 足首の捻挫は小学校からの付き合いで、その時も行きつけの接骨院に駆け込んだ。一ヶ月ほど通っただろうか、歩けはするものの、小さな痛みがいつまでも残った。

 さすがにおかしいので、総合病院の整形外科でレントゲンをとってもらって、診てもらった。
 医者からは『これ以上、悪くはなっても良くはならない』と絶望しかない診報告をされた。
そんな足首だ。

 長い人生、何度も捻挫を繰り返してきた理由も、持病の方から来ていた可能性が高い。とその時はじめて知った。
 無知とは恐ろしいものだ。

 仕事柄よく歩く。日によっては二万歩近く歩くときもある。しかしやっかいなのは、二万歩歩いても痛くはならない時もあるし、休日に家から出ていないのに痛みを発する時もある。

 病気とはそういうもので、なかなか理解されないのが現実で、悲しいところである。

 医者からは、痛みが出たときに飲んで、と痛み止めの薬をもらった。
 それが無くなりそうになったので、来院したのだ。

 受付に言われるままに、治療室の前のイスに座った。まではよかった。
 整形外科などさほど患者もいない。たいして待たされるものでもないだろう。それでも暇つぶしに小説を持ってきていた。

 本を開いたものの、読書に集中できない。原因はハッキリしている、隣に座っているおばさんだ。

 ずっと、喋り続けている。

 がんばって読書に集中しようとしても、隣から放たれるマシンガントークに、内容が一行も入ってこない。

 うるさいかというと、そうでもない。どちらかというとヒソヒソ声で隣の男性に喋り掛けている。
 その迷惑だから絞った音量が逆に気になって迷惑なのだ。

 気がつくと、意味も無く二十ページもめくっていた。
 チラリと見ると、おばさん越しに男性と目が合った。どことなく謝罪している色が見える。

 夫婦にしては男性の方が若く歳があわない。会話と、男性のしゃべり方から、たまたまこの待合イスで会った知り合いっぽい。

 男性もついて行けてないようで、返答はやけに単調だ。

 男性に放たれたマシンガントークの流れ弾を、こっちも余裕で浴びている。

 さすがに読書、という環境ではない。読書は静かな環境でするべきだ。だからこそ図書館では会話してはいけないのだ。多分。

 本を閉じカバンに戻し。ポッケからスマホを出して、ナンプレをすることにした。興味本位ではじめ、やり方を憶えてからは、デイリーチャレンジだけ続けている。

 おばさんは手首を痛めたようだ。滑って転んで。片腕で運転が恐い。家の近くは特に道がせまい。なによりハンドルをグッと切らないと駐車できないのでつらい。次買うなら軽がいい。最近見た軽がかわいかった。アレがいい。息子も娘も会社の人も軽ばかりだ。旦那さんが軽を嫌がるからデカい車にした。自分の車を持つべきか。でも一人だとあんまり乗らないしもったいないか。軽がいい。買い物に行くのなら軽で十分。え? いま軽ってそんなにするの。

 ダメだ、デイリーチャレンジは初級、中級、上級の中からランダムに出題される。今日は上級だ、間違いない。俺だってレベルが上がってるので最近では上級も余裕なのに、今日のは解けない。半分ほど埋めてたところから動けなくなった。

 なにより、集中できないし。

 ナンプレすら集中できないとは、恐るべしおばさんトーク。
 広告動画を見て、ヒントをもらおうじゃないか――と悪魔が囁く。
 ヒントと言っても、本来ならプレイヤーが数字を入れるところをどこでもいいから正解を教えてくるというものだ。

 それは、俺のプライドが拒否する。

 適当にも放り込みたくない。

 それは、解いたは言えない。

 しかし、解けない。

 何度見ても、何度見変えてみても、何度ナンプレに集中しようとしても、全く進まない。

 今日のを解けないは、きっと隣のおばさんのせいだ。

 いや、絶対そうだ。

 俺の足首の爆弾も、なかなか呼ばれないのも、地球から戦争がなくならないのも、おばさんのせいだ。

 諸悪の根源に向かって、口汚く罵ってやりたくなってきた。

 おばさんの淀みなく声を出せば出すほど、俺の心はどんどん淀んで行く。

 ようやくおばさんが呼ばれ、大きな扉の中に消えた。

 わずかな静寂が訪れた。

 さっさと出てこい。俺だってさっさと帰りたいのだ。
 どうせたいしたケガじゃないだろう。
 ほらな、すぐにおばさんが出てきた――ともったら隣の部屋に張った。

 二十分――ナンプレに表示されているプレイ時間。こうなると最短時間更新もできないので、ヒントを貰うことにした。
 に、してもあのおばさん俺がここに座る前から喋っていたのんだろ? よく、そんなに喋れるもんだな。

「……」
 ヒントをもらっても、次が続かなかった。
 一度もらうと、もうどうでもいい。
 また動画を見る。見る。見る。プライドなどゴミ箱にポイだ。

 もしかして、上級じゃなくってその上のエキスパートだったのか? いや、ナンプレをはじめて一年近く、デイリーチャレンジでエキスパートが出題されたことなど一度もない。

 上級の中にも上下があるのだ。それがやっかいだ。

 結局ヒントを五つももらってなんとか解けた。

 読書に戻ろうかとしたとき、部屋からおばさんが出てきた。
 なにかおかしい。

 左腕、袖に腕を通していない。

「ヒビやって」

 おばさんはやっぱり小さな声で男性にそう言うと、最初に入った部屋に再び入っていった。

 なんだろう? 口汚く罵ってやりたいと思ったことを謝罪したくなった。


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