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日常:紙袋

 たれた汗が目をかすめる。
 まだ、夏ではないはずだ。やっと梅雨入りしたところだ。その梅雨が湿度を上げたせいか、大したことをしていないのに、汗が吹き出してきて、絵に描いたように容赦なくてれきてくれる。

 伸びきっていない髪がわずらわしい。伸ばし始める時期を完全に間違えた。本当なら今頃縛れているはずだった。
 仕事以外ではできる限り――理想を吐けばじんわりとでも、汗をかきたくはない。なんなのだ、この仕打ちは。

 折りたたみのイスを持ってきて、服で額の汗をぬぐってから上に乗る。熱気は上にこもるのだろうか、天袋を開けると湿度が増した気がした。

 元々この部屋は祖父の部屋だった。鬼籍には入って以来ずっと空き部屋になっている。だから遺品整理を済ましてすぐ、俺の密かな物置部屋となっている。

 それこそ理想を言われてもらえれば、足場の踏み場もないほど物をぶち込んで、俺の部屋をスッキリさせてやりたい。それができなにのは、盆や正月、GWの長期休暇に帰郷してきたら兄が寝泊まりする部屋になっているので、厳しい母の監視をかいくぐり、できるだけ目立たないように物を増やしている部屋なのだ。

 しかし天袋は違う。絶対に母の監視からのがれられる安全地帯なのだ。
 だからそこには、三十冊だか収納できる、漫画の収納ボックスをぶち込んでいるのだ。

 最後の理想は、何百冊――いやもう一桁多い漫画を全て、ひとつの部屋の本棚に収めたい。

 しかしそれにはそれ専用の倉庫でも借りるか、結婚でもして家を建てるかしか選択肢がない。同時にどちらも実現させるだけのお金がない。
 だからできるだけ読まない漫画を収納ボックスに収め、天袋にぶち込んでおくのが悲しい現実なのだ。

 三段積みにしたボックスを引き寄せる。『ろくでなしBLUES』『蒼天航路』『機動警察パトレイバー』違った。となりを引き寄せる。『ゴリラーマン』『やったろうじゃん!』『鉄拳チンミ』コレも違った。『鉄拳チンミ』にいたっては買いかけで途中までしかない。いまさら残りを手に入れることなどできるのだろうか? いっそこれを売って全巻セットを買い直した方が早い。

 ふいに読みたくなった郷田マモラの『きらきらひかる』はどこに行ったのだ?

 元々、俺の部屋だった一階、ここの本棚にないのは確かだ。兄が就職して家を出て二階の部屋に移った、その部屋の本棚にもないのは確かだ。どちらも、何度も読み返す可能性の高い漫画しか入れていない。

 今の部屋の押し入れ、そこに下段に、カラーボックスを二段にし、更に二列の計四つのカラーボックスのどこかにあるはずだと見当をつけて探ってみたのに、なかったときの絶望感たるや。本当はその時すでに汗にまみれていた。

 その押し入れの上の天袋、そこの収納ボックスにもなかった。

 何百冊だろうが何千冊だろうが、大体の場所は憶えている。ただ、だいたいなので間違うことだってある。俺はそこまで記憶力はよくはない。

 一度どこになにを収納しているかリストを作ったころがあった。俺の中には作品のランクがある。本棚のは何度も読む漫画。天袋のは本棚には入れていないだけで読むこともあるので、取り出しやすい場所に置いているだけの漫画。押し入れのカラーボックスのは、ほとんど読まない漫画だ。その中からその時読みたい漫画を窓際の棚に置いた本立てに並べるのだ。そんな生活をも、二十年以上は続けている。

 読みたいときにすぐだせてこそ生きてくるリスト。入れ替わりが激しすぎて意味がなかった。そのたびに書き換えなければいけないのが面倒で、今となってはその一応作ったそのリスト自体どこかに行ってしまった。
 そうだ、そのリストを作ったときに、所有する漫画の冊数を計算したのだ。

 確か二千近かった。
 よく買い集めたものだと自分でも思う。

 漫画を集めるのに、お金よりも先に場所のことを考えてしまう、という友人がいた。
 俺から言わせてもらえれば、置き場所に困りだしてからが本番だ。
 それ以前は肩慣らしみたいなもんだ。
 三つ目の三段積みも空振りに終わったとき、奥に紙袋が見えた。

 ――あれだ

 ピンときた。記憶がよみがえった。
 そうだ、むかし友達に貸したじゃないか。返ってきたのをそのまま天袋にぶち込んだのだ。

 紙袋に手をかけると少し破れてしまった。

 慎重に引き寄せる。

 ――勝った! 俺はこの勝負に勝ったのだ!

 紙袋を抱え、中を確認する。

 ――……。

 中身は『封神演義』だった。

 『封神演義』を放り出し、紙袋の底を確認する。『銀牙流れ星銀』の集めかけ。
 紙袋に戻し、乱暴に元の位置に戻す。
 あの漫画は、どこだ……。
 


 

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