見出し画像

自分は「何でもない日常が幸せなんだよね」とか言うやつを鼻で笑うタイプだと思っていた

LINEの通話が切れる、あの独特な効果音で目が覚めた。あの音は「突然」という感じがする。「終了」という感じもする。「終了」はまあそうなのだが、自分から通話を切ったとしても、なんだか「突然」という感じがするのだ。理由はわからない。あの音から想起される感覚と、「突然」や「終了」という言葉から連想されるイメージが、少しだけ似ている。

最近、コーヒーを自分で淹れるようになった。本格的に「場所づくり」をやりたいと思うようになってから、積極的にいろんな「場所」を訪れていて、その中で見つけたお気に入りのカフェで豆を買うのを最近の趣味としている。買ってきた豆を挽くために少し早く起きるのが楽しい。ミルが手動なのでコーヒーを淹れるまでに少しだけ時間がかかる。たったの数分ではあるものの、忙しない朝の時間に、飲む時間もあわせた十数分を確保するためには、意識の上ではけっこう早起きをしないといけない。早起きが嫌いなことには変わりはないが、というより、起きることがそもそも嫌いなので救いようがないのだが、少しだけ起きてみようかという気持ちになる。何よりあのほろ苦く穏やかなコーヒーの空気が部屋と肺に充満する感じが心地良い。こういった小さな刺激による小さな充足が、ひとつずつ僕をつくっている。

「突然」「終了」のおかげで早く起き、今日も無事に小さく充足した。昼前に目黒に用事がある。中目黒には行きたいカフェがあった。中目黒から目黒まで徒歩30分。早めに家を出て散歩でもするかと思い立ち、中目黒に向かう。少しだけ風が強く吹いているけれど、駅までのロードバイクが心地良い。そういえばこのロードバイクを買ったのはもう5年も前になる。買った当初とはハンドルもサドルもペダルもタイヤもチェーンも違うものになっているが、愛着のあるバイクだ。お金を貯めるために部活をしながら必死に働いていた地元の塾が懐かしい。塾長はまだ「できない」生徒を怒鳴っているのだろうか。久々に会って話がしたいと思っている自分に、少し驚いた。

京浜東北線に乗り込んだ。電車に設置されている椅子は、なぜ温度が高いのだろう。設計者に会うことがあれば、僕らは喧嘩をするだろう。温度の高い椅子なんて無闇に眠気を誘うだけだ。高確率で降車駅を寝過ごすから、移動中は寝たくない。車内掲示板(って言うのか?)に降りるはずだった駅の名前が見えないと、時間に追われていようといまいと関係なく、萎える。目的地が近づくと自然と目が覚めるという神がかり的な超能力を、僕は一切有していない。降車駅が近付こうが、隣のおじさんが僕の肩で安らかな寝顔を見せていようが、一度眠りにつくとしばらくは起きない。一定時間が経過するか、眠りから目が覚めるほど強い刺激がない限り、起きない。電車の椅子を温かくしようと言い出したやつは、デートに出かける矢先にお気に入りの白い服にコーヒーをこぼしてしまえばいい。乗り換えをするはずだった恵比寿駅を通り過ぎた電車の中で、僕は見えない誰かを呪う。

二駅ほど戻り、乗り換えを済ませて一駅で中目黒に到着した。駅のすぐ近くに目的のカフェがある。レジに並んでいると、2階の席を先に取るよう促された。こじんまりとしたそのスペースは、特に予定のない午前中に、散歩がてら本を読みに来るのにちょうどいい空間だった。入り口から少し距離のある席に荷物を置き、近くの席から女性の声で聞こえてくる「佐藤さん」の愚痴を聞きながら、一階に降りる。レジに戻るとちょうど外国人のお客さんが注文をしているところで、「ヒサシブリデス!」という片言の挨拶が聞こえた。その後に続き、僕はカフェラテを注文する。なんとなく豆を買いたくなったので、オリジナルブレンドの豆も一緒に購入し、受け取りカウンター(って言うのか?)の近くに設置されていたベンチスペースでラテを待つ。注文してからラテが出てくるまでの遅さが良い。スタッフが必要以上に急ごうとしていないのも居心地が良い。コミュニケーションも滑らかで、カクカクしていない。地元のスタバの店員さんのカクカク感をふと思い出した。

カクカクしていない店員さんからラテを受け取り、カクカクしていない会話を少しだけ交わした後、2階に上がってラテを飲みながらぼーっとする。特に理由もなく窓際の席に移動し、特に理由もなく聴いていた音楽を止めた。窓からは電車が日比谷線を走る音が聞こえる。自分も電車に乗ってここまで来たということは棚に上げて、ひとつの箱でいろんな人が同じ方向に向かう姿って滑稽だよなと思いふと目をやると、無人だった。車庫に向かうのだろうか。背中からは近くの席の2人組が何かの試験の愚痴を言い合っているのが聞こえてくる。「こざかしい試験」とはどんな試験だろう。こざかしいというワードからなぜか『逃げるは恥だが役に立つ』のみくりさんを思い出して、こざかしい試験、可愛いじゃねえかと思う。

そのまま窓の外を眺めていたら、駅の方へカップルが歩いて行くのが見えた。2人の間には少し距離がある。男性の身ぶりが大きい。まだ出会ったばかりのふたりだと、勝手に決めつける。その近くには公園が見えて、浮かない顔をしたおじさんがタバコを吸っている。表情から察するに、疲れているのかもしれない。いや、タバコが美味しくないのかも知れないな、などど思う。そもそもタバコを楽しそうに吸う人を見たことがない気がする。タバコを吸う人は皆疲れているのかもしれないなと心の中で呟くが、そんなことはないだろう。主語がデカいやつには気を付けろっておばあちゃんも言ってた。気をつけよう。

相変わらず背中からは愚痴が聞こえて、よくもまあそんなに不平不満が溜まるものだなと感心しながら、僕はそのまま窓の外を眺めている。今は彼氏の年収の話をしているらしいが、なぜか片方の女性の口数が明らかに減った。公園には子連れの家族が見える。子どもが乗ったブランコを押す母親の幸せそうな表情に、言葉にできない美しさを感じる。胸の中に温い液体のようなものが広がり、このまま眺めているとなぜだか涙が出てきそうな気がしたので、言い訳のように手に持っていた単行本に目を落とす。ふと、思う。今僕がここで見たことや感じたことを、僕はすぐに忘れてしまう。今は今にしかないのであって、今になってしまったら数分前のことはもうすでに過去になっていて、それはもうつまり忘れているということだ。僕は、今ここで見たことや感じたことを、いや、「見た」ということや「感じた」ということを、できるだけ忘れたくないのだなと思った。帰ったら文章を書こうと考えてメモを取る。

そろそろ時間だ。カフェを出て、目黒に向かう。襟足が緑色のおじさんや、AirPodsの片耳を排水口に落とすお姉さんを見かけながら、30分の道のりを歩く。小洒落たカフェやレストランを通り過ぎて川沿いを歩いていると、後ろから自転車が通り過ぎる。少しぶつかりそうになったので川の方へ体をずらすと、ベンチの近くの柵に「飲み会はしないでください。歩行者が迷惑してます。」という注意書きが貼ってあった。こんな道端で飲み会が開催されることがあるのか。中目黒にも、高田馬場のような要素があるんだな。ちょうど同じ大学の友達から「おすすめの本を教えて」というメッセージが来ていたので、そんなことを考えた。そのメッセージは僕のInstagramのストーリーに反応したもので、僕の投稿とは何の関係もなかった。この突然さは嫌いではない。

本を薦めること。それは、普段から働きものである僕の自意識が、2割増しで張り切ってしまう行為である。「おすすめの本を教えて欲しい」というセリフは、「あなたが薦める本なら読みたい」というメッセージだし、薦めた本が面白くなかった暁には、「あまり面白くなかったこの本を、あの人は面白いと思って人に薦めるんだ」と思われることになる。そしてその後、僕におすすめの本を聞くことはなくなるだろう。本当にそう思われているかどうかは問題ではない。なぜなら、僕ならそう思うからだ。おすすめの本を聞くのはその人が薦める本なら読んでみたいと思っている時だし、薦められた本が面白くなかったら、その人におすすめの本を聞くことはもうないだろう。僕の中で、僕のことを僕が見ている。自意識というものは面倒くさい。

目黒で用事を済ませ、地元に戻り、ソフトバンクショップへ行く。以前使っていたiPhoneXの分割支払いの残債がまだあったので、支払いの手続きを済ませようと1週間ほど前に来店予約をしておいたのだ。店に着いたところで、今日僕は財布を忘れたことに気がついた。免許証も学生証も保険証も、全て財布に入っている。手続きには確実に身分証が必要だろう。取りに帰っては予約した時間に間に合わない。8割くらい諦めて、ダメ元でスタッフに質問をする。「身分証を忘れてしまったんですけど、残債の確認だけでもできませんか?」そのスタッフは「支払いはできるけど手続きはできない、残債の確認も無理」と答えた。何を言ってるのかがよく分からなかった。支払いをするのに、なぜ残債を確認できないのか。何度か質問しても変わらずよく分からないことを言われ続け、その後散々ラリーを続けた挙句、結局支払いも手続きも残債の確認もできなかった。8割諦めていたとはいえ、少しだけ期待してしまった分のがっかりした気持ちが確かな感触をもって胸に残る。ちゃんと的確に質問の意図を汲み取って対応してくれよと少し苛立つが、そもそも身分証を忘れた自分が悪いし、そもそもそんなに怒ることでもない。ただのミスコミュニケーションで、単に僕の伝える力が欠如していただけだ。言語は完璧なものではないのだから仕方がない。かつてのバイト先の4年生に卒業メッセージを書くべく、5年の付き合いになるロードバイクに乗って、数ヶ月前に退職したサンマルクカフェへ向かう。そろそろ卒業の季節が近づいている。

サンマルクカフェでは、運良く4〜5人の同期や先輩に会うことができた。久しぶりに会ったうるさい友達はやっぱりうるさくて、でもどこか懐かしい気がした。強い友達ははやっぱり強くて、弱さと戦いながら前を向いて生きていた。癒しだった先輩は変わらず癒しで、やっぱりどこかブラックな部分を感じさせた。しばらく会っていなかったけれど、みんな変わらなかった。どうせ他のやつらも少しずつ変わってて、全然変わらないんだ、きっと。急に辞めた変なやつだけど、メンバーはとても好きだったんだなと、改めて少し照れくさいことを感じた。もう少しちゃんと働けばよかったなと、少し反省する。

用事を済ませて家路に着いた。ご飯を食べ、お風呂に入り、ベッドに潜り込む。枕の横の小さいライトで、読んでいる途中だった小説を続きから読み進める。267/421ページだ。しおりを挟むのが面倒で寝る直前にページ数を覚えておいたので、すぐに目当ての箇所へと辿り着く。今日はどこまで進むだろうか。睡魔よ、もう少しだけ襲ってこないでくれ。絶対に受け入れられないことが分かりきった頼み事をしていると、ふいに電話が鳴った。LINE電話の、あの独特な着信音だ。あの音は「始まり」という感じがする。理由はわからない。あの音から想起される感覚と、「始まり」という言葉から連想されるイメージが、少しだけ似ている。そういえば今日の朝は「突然」「終了」の音から始まった。終わりで始まり、始まりで終わる。そんな1日。なんだこの締め方。

今日もまた眠り、明日もまた起きる。コーヒーを飲む時間が取れると良いなと、明日の自分に期待する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?