巌窟王 #040

『宜しい。この報導が誤聞だつたら、僕は決闘でも何でも承知するが、兎に角暫く取調べの時日を與へ給へ。』とポーシヤンは云つた。

 かう云ふ会話を取交はして二人の友達は気拙い思ひをしながら別れた。アルベルはその後毎日苛々して新聞の取消しを待ちながら、父親に対する色々な噂を打消して歩いた。モント・クリスト伯爵はアルベルに向つて−−あの記事に現はれたフェルナンドオが真に彼の父親だと思ふものもあるまいがら打捨てて置くがいい−−と勧告したがアルベルはその記事の事を云ひ出すと、誰れに対しても顔色を変へて突掛るほど憤慨するので、却つて様々な疑惑を招ぎさへした。

 とは云へ、ダングラルがその記事を送つたのだとは少しも気がつかなかつた。モント・クリスト伯爵が手を廻はしてジャニナからさう云ふ報導をさせた事などは、夢にも思つて見なかつた。伯爵はアルベルに対して心密かに哀れに思つてゐる。今後若しモルセル将軍の身の上に驚く可き打撃が生じやうとも、アルベル迄一緒に悲惨な運命に陥し入れてはならないと考へた。

 ダングラルは遂にモルセル将軍家との婚約を破棄する目的を達した。「ジャニナ事件」のやうな不正事件の絡つてゐる家族へ娘のエウゲニイを嫁にやる事は出来ないと断然と拒絶した。そして前から兼ねて内密に決めて置いた例の仮装貴族カワルカンチ小公爵とエウゲニイとの縁談を公然と発表したのであつた。

 アルベルはエウゲニイとの間柄が破れたのを悲しみはしなかつた。唯長い間親交のあつたダングラル家と疎隔して了つたことを、父将軍のために物寂しく思ふだけであつた。

二十七 伯爵の魂膽

 決闘すると迄憤慨をうけたポーシヤンは、アルベルの心持ちに同情し、且つ新聞社の立場として自ら希臘へ急行して記事の真相を調べた。それに二十日許り時日を費すと急いで巴里へ帰り、直ぐにアルベルを訪問した。アルベルは部屋を駆け出さない許りにしてポーシヤンを迎へた。二人は挨拶を取り交はすや否や。

『どうだポーシヤン君。あれは虚構の報導だつたことが分つたらう。』とアルベルは訊いた。

『所が君には何とも気の毒だが。』と主筆のポーシャンは答へた。『あれは到頭事実だつた!』

『何?ぢやあ、あのジャニナ城を売つたと云ふ反逆者は……』

『うむ、その反逆者は君の……お父さんだつたのだ。それを君に云ふのは悲しい事だ。併しその証拠はこれだ。』とポーシャンは急に真蒼になつたアルベルの前に一つの封筒を差し出した。

  ……#041へ続く

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