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    うたから生まれた考え事。いろんな角度から見た世界。

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ぴよりーの育児奮闘記「そして母は今日も出汁をとる」

料理が圧倒的に不得意な母にとって離乳食を作るという未知の作業は、妊娠中からそれはそれは恐怖だった。 どうやってあんなにドロドロに…?栄養って何…?何にどんな栄養があるの…?と、何もわからなかった為、早々に母は思考の帽子を脱いだ。 それでも時間は等間隔で過ぎていく。ぴよりーのはどんどん大きくなり、すぐに離乳食開始を推奨される5ヶ月になった。 "最初はおかゆをペースト状にしたものをひと匙にしましょう" おかゆをどうやって作るかもわからない。おかゆをペースト状にする方法もわ

    • ぴよりーの育児奮闘記「ぼくらのおむつ交換戦争」

      ※終始汚い話です。 ぴよりーのは新生児時代から快便を貫いている。 新生児期の岩のりのような胎便に驚いていたのももう昔の話。ミルクだけの時期のゆるゆるうんちも通り過ぎ、離乳食中期に差し掛かった今となっては、少しずつ硬さが出てきた。 うんちの色や形状は変わっていっても、変わらないのはぴよりーのの快便。周辺の男性陣はお腹ゆるゆる星人が多い中、ニュー男性のぴよりーのは立派な快便。新生児期にはあまりに出るもんで、下痢なのではと病院に駆け込んだことがある。1日10回くらい出ても普通

      • ぴよりーの育児奮闘記「ABBAとレクサス」

        早いもので、我が息子"ぴよりーの"がオギャーと生まれてきて7ヶ月、もうすぐ8ヶ月が経つらしい。 母は怒涛の切迫早産入院から出産、そして休む間もなく育児スタートのバタバタした日々を長らく過ごして、なかなか疲れている。 しかしよく考えてみると、10ヶ月弱で細胞から急激に人間の形になり、まだ出てこないでねーと言われたり、もう出てきて良いよーと言われたりしながら、狭く暗い道を骨の形を変えて命がけで産まれ、ものすごい早さで人間のシステムを習得しているぴよりーのの方が大変なんじゃなか

        • イヤホンを捨てた日。

          捨てたというと言葉が強すぎるかもしれない。 物理的にそれを捨てたというわけではない。厳密に言うと、まだ家にある。わたしの中でイヤホンという概念を捨てた。ということだろうか。 出産前後の長い里帰りから自宅へ戻ってしばらく経った。何度か土日を過ごし、お父ちゃんも息子のお世話についてある程度知ってもらえたという事もあり、不安はあったけれど、行きつけの美容院へ久々に行ってきた。 スキンケアや化粧品に時間とお金をかけない。知識も興味もさほど無い。だから、髪だけはしっかりと手を入れ

        ぴよりーの育児奮闘記「そして母は今日も出汁をとる」

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        • ネッカーの立方体
          5本

        記事

          もっと大変な人の話を聞きたいんじゃなくて、もっとこうしたらと言ってほしいんじゃなくて、ただ頑張ったね頑張ってるね大丈夫だよと言ってほしい。そんな時もある。しかしそれを求めるあまりどんどん孤独になる。孤独がいきすぎて私は孤独ではないと唱えることしかできなくなっている。はてさて。

          もっと大変な人の話を聞きたいんじゃなくて、もっとこうしたらと言ってほしいんじゃなくて、ただ頑張ったね頑張ってるね大丈夫だよと言ってほしい。そんな時もある。しかしそれを求めるあまりどんどん孤独になる。孤独がいきすぎて私は孤独ではないと唱えることしかできなくなっている。はてさて。

          里帰りから戻ってきて初の大きな病院。さっそく手術の日を決めた。 育児は責任ある選択の連続だなあ。 ああ、いかんいかん。もっと強く立たなければ。

          里帰りから戻ってきて初の大きな病院。さっそく手術の日を決めた。 育児は責任ある選択の連続だなあ。 ああ、いかんいかん。もっと強く立たなければ。

          「何もわからなさすぎて、自分の育児が合ってるのか常に不安です」 と相談すると 「何が正解とかはないけど、強いて言うなら息子くんが笑ってたらそれが正解だよ」 と言ってもらえた区の4ヶ月健診。 頑張って行ってよかった。

          「何もわからなさすぎて、自分の育児が合ってるのか常に不安です」 と相談すると 「何が正解とかはないけど、強いて言うなら息子くんが笑ってたらそれが正解だよ」 と言ってもらえた区の4ヶ月健診。 頑張って行ってよかった。

          わたしが我が子に背負わせたものは。

          先日、息子が産まれた。 切迫早産により28週で産まれるかもしれないと言われた我が子は、24時間ずっと点滴の2ヶ月入院を乗り越え、退院後、37週の正期産まで待って産まれてきてくれた。 入院中から「お産になったら早いと思う」とは言われていたけれど、分娩時間は初産としては驚異的な3時間半。想像以上に超絶スピード出産。 微妙な違和感を感じて病院に行った時には退院時と変わらず2〜3センチだった子宮口が、1時間後には8センチになっていた。 あの時、違和感に気付かず病院に行ってなか

          わたしが我が子に背負わせたものは。

          ここまでのことを、少し。

          28週。 里帰り後1発目の妊婦健診にて切迫早産を告げられ、なかなかの切迫具合にNICUなどの設備が整った総合病院へ行ってくれと言われる。 そこで即入院が決まり、あれよあれよという間に車椅子に乗せられ、MFICUのお部屋にて張り止めの点滴2種をぶち込まれ、付き添ってくれていた両親にいろいろと荷物を持ってきてもらい、今の状況や今後のことを説明され、号泣する。 とりあえず30週を目指しましょうと言われる。 点滴の副作用により、嘔吐、動悸、手の震え、究極の体のだるさに襲われる

          ここまでのことを、少し。

          今はボサボサでボーボーでヨレヨレでボロボロだけど、退院したら元気いっぱいのかーちゃんになりたい。

          今はボサボサでボーボーでヨレヨレでボロボロだけど、退院したら元気いっぱいのかーちゃんになりたい。

          ジャンクフードたべたい。 そればかり考えている。

          ジャンクフードたべたい。 そればかり考えている。

          ボロボロとフムフム

          入院生活3週間が経過。 入院が続いているのは良いことだと思いつつ、毎日が不安との戦い。 ちなみに病院のご飯はおいしくない。 この生活にも慣れてきただろうか。リズムが掴めてきただろうか。と、思っていた頃、私の体に思わぬ事態が発生した。 それによって、少し周りがバタバタした。 いろんな先生からいろんな話を聞いた。 夫さんは新幹線で3時間。休みをとって話を聞きに来てくれた。 可能性の全てを教えてくれるということは、理解にもつながるけれど不安にもつながる。 それでも踏

          ボロボロとフムフム

          ふっと気を抜くと、涙がでるね。

          ふっと気を抜くと、涙がでるね。

          点滴に繋がれ、採血で始まる35歳の誕生日。 聞こえてくる先生や助産師さんたちの会話がとても地元言葉で落ち着く。

          点滴に繋がれ、採血で始まる35歳の誕生日。 聞こえてくる先生や助産師さんたちの会話がとても地元言葉で落ち着く。

          乗り越える。とは。

          妊娠をするということも、経過が順調ということも、正期産まで家で生活するということも、自然に陣痛や破水が起きて病院に行くということも、もちろん赤ちゃんが無事におぎゃーと産まれるということも、それが一番一般的であるのではあろうが、本当に奇跡なのだと思う。 そのルートから外れるというのは驚くほど突然で、驚くほど何の前触れもない。 2週間前に「順調です」と言われていたのに 「この状況はうちでは対応できない。紹介状を書いて連絡をしておくので、このまますぐ〇〇病院に行ってください」

          乗り越える。とは。

          里帰り。お母さんの友達や近所の人に会うと「あらまぁ!おめでとう!」「まぁぁ〜!楽しみじゃなぁ〜!」と言ってもらえる。 友達が少なすぎて「おめでとう」とか「楽しみ」とか、あまり言われてなかったんだなと気付いた。 不安ばかりだったのが「そうだ。楽しみなことなんだ」と思えた。

          里帰り。お母さんの友達や近所の人に会うと「あらまぁ!おめでとう!」「まぁぁ〜!楽しみじゃなぁ〜!」と言ってもらえる。 友達が少なすぎて「おめでとう」とか「楽しみ」とか、あまり言われてなかったんだなと気付いた。 不安ばかりだったのが「そうだ。楽しみなことなんだ」と思えた。