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他者の理解って、どゆこと??⑩"後編

※このシリーズは、他者の理解について、メンヘラ気味のオバさんが、世の中でうまく生きられるようにと、考えを深めていく記事です

※⑩記事は、前編、中編、後編の3つからなります
  この記事は、⑩"後編です

他者とつながりを持つ人々は、
言外の感覚に対して、
まるで同じソファーで、一緒に座ってくつろぐかのような、感覚の理解を見せる
…すごい
だから、余分なことに目がいかず、社会生活の基本的な能力が高いんだろうなぁ……と思う

スピノザは、経験によって体得することが、物事を認識することである、と言っている
もしかしたら、人間同士の会話も、同じことが言えるのではないか……


言葉の説明は大事だ
でないと、まるで分からないし、何も身動きが取れないじゃないか。相手の意図は理解できないし、自分の答えも言い出せないじゃないか。
言葉によって、人間の気持ちも社会の仕組みも、語られなきゃならないじゃないか………

しかし……
醸し出す人間らしさが、なにかにとって変わられているような気が、しないでもない…………

遠ざかっている、視覚的な、聴覚的な、触覚的な、体感覚的な経験
(決してあたまに入れた知識が、自分の実ではない。わたしがここに書くことも、そうだろう。言語の理解が、他者理解の全てにはならないという謙虚さ……それが言外を知る見えないアンテナになっているか……)

身体の感覚に もう一度意識を戻す有用性


身体と他者理解は、これで終わります
次のテーマはまだ決めていません
ですが、書くことがわたしの欲望であり、好きなことなので、別の角度から他者理解を、書いていけたらいいなと思います………