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最近、スレッズがいい感じ

最近、スレッズがいい感じ。私はXをやっていて、Instagram、Pixiv、ミラティブもやっている。それぞれ使い分けをしていて、Xは雑多(最近はリンクを張るだけが多い)、Instagramは完成プラモデル写真、Pixivは絵、ミラティブはライブ配信、そして、スレッズは、Instagramと連携しているので、プラモデル制作の進捗報告や、購入したプラモデル報告など、私の日々のプラモデルライフに特化させている。
最近、Xは、呟いても反応がほとんどなく、おすすめに出てくる呟きは人気のあるものが増えた。人気がある(いいねが多い、注目されている)呟きは、時代を読み取る情報としては向いているし、プラモデルフォトもレベルが高いのだけど、レベルが高すぎて親近感が湧きにくく、呟いても暖簾なので、暇つぶしに眺める程度となってしまった。
Instagramは一定程度のいいねがあるし、反応がなくても、完成プラモデルフォトのライブラリーとして活用する意味と価値が私にはあって、Pixivも同様。Pixivにアップした絵は、ほとんどライクが付かないけど、私の絵は落書きなので、気にしていない。ネット内のライブラリーとして、まとめておきたい。

noteは、自分の考えをまとめて、文章で書くことがストレス解消になっている。最近、noteにプラモデル関連の文章を書かなくなったのは、スレッズでプラモデルの日々のあれこれを写真と共に書いているから。
プラモデルに限らず、写真について考えていることも多いし、アンビエントミュージックについても考えている。考えるのが趣味だと言えるかも知れない。
頭の中だけで、自分の考えを溜め込むのはよろしくない。どこかで吐き出そう。noteがあるじゃない? みたいなノリで書いている。

当初、スレッズはイマイチだった。現在、やっている人が増えてきて、タイムラインも改善されてきた。タイムラインで興味のない、積極的に見たくないスレッドが、少しづつ表示されなくなってきている感じがしている。
スレッズはインフルエンサー的な人だったり、人気者だけではなく、「普通の人」のスレッドをタイムラインで見せてくれるようになった。私の場合、「普通のモデラー」のプラモデルフォトを見たいわけで、プロモデラー乃至プロモデラーに匹敵しそうな、ハイレベルのプラモデルフォトばかりを見ていたら、親近感が湧かない。
何となく、内的に、他のモデラーさんと切磋琢磨したい気持ちがあって、ホビーなのだから、上手いだけではなくて、自分の身の丈にあったプラモデルフォトを見ることで、テンションを上げたいし、出来れば、私のプラモデルフォトを見て、親近感やプラモデル・テンションを上げて頂けたら、という気持ちがある。
凸凹している方がいいし、色んなモデラーさんが居て欲しい。

最近、スレッズで嬉しいことがあった。たがみよしひささんにフォローを返してもらったのだ!
私は、小学生時代から社会人になるまで、たがみよしひささんの漫画を買い漁り、愛読していた。どうしてあれほど、たがみよしひささんの漫画にハマっていたのか、今ではよく分からないのだけど、私の子ども時代を象徴するのが、たがみよしひささんの漫画であることは確か。
ちなみに、現在、私が1番好きなのは「メタルハンターズD」で、1番最初に買って読んだのは「GLAY」である。

子ども時代を象徴すると言えば、私にとって、プラモデルは、私の童心であろう。いい大人になって、プラモデルを始めて1年経ち、未だにほぼ毎日プラモデル制作を続けている。
飽きない。
毎日、少しずつ、プラモデルを組み立てて、塗装をして、完成させていく。これは、多分、私の子ども心の発露であろう。無邪気にプラモデル制作をして遊んでいる。

最近、「プラモデル論」がほとんどないことに気が付いた。プラモデルの作り方、歴史などについての本はあっても、プラモデルの思想書は、ネット検索してもほとんどない。語るべきは、キットの元になった現物であり、大概、それは近代兵器、時に現代兵器のことであった。
今はガンダム及び、モビルスーツについて語ることが、ガンプラを語ることになるのだろう。
私は絵画論を何冊か読んだけど、彫刻論を読んだことがない。よく知らないのだけど、彫刻はアートである前に、現物と似ているかどうかという、職人技に近いのではないだろうか。プラモデルも同じだと今の私は捉えている。元に似ているかどうか、時代や原作の考証を含めて、再現度がまずあり、そこにオリジナリティがあるかどうか。

彫刻といえば、学生時代、美術館でたまたま見た智恵子像が記憶に残っている。手のひらサイズ。確か、こじんまりと裸で正座していた。私は智恵子抄を愛読していて、今でも本棚に収まっているが、詩集で読むのと違ったリアリティが、像にあった。

血が通っている。

作者の高村光太郎の息遣いとでも言おうか、魂が乗り移り、多分、何度も撫ぜたのだと思う、そういう風合いを醸し出していた。

プラモデルも含めて、模型とは模造品である。時に、模造品の哀愁があり、ユーモアがあり、愛くるしさもある。そこに郷愁だってある。智恵子像のように。

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