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東京藝術大学大学院 映像研究科映画専攻 第18期修了制作上映会

キャストとして参加している作品もあり、もはや例年のごとくではありますが、今年も藝大の修了制作上映会に足を運んできました。

以下、若干のネタバレもありますので、ご注意の上、読んでください。


『いつか逢える』

後半、主人公と新しく出てくる人物との関係性を探るのがちょっと大変だったのと、ラストの方も、時間軸が分からなくなって、ちょっと混乱しました。

ただ、回想シーン(と言っていいのか)をあんな風に表現するのは初めて見ました。

黄彬彬監督の前作の短編映画も拝見させていただきましたが、前作もそうだったけど、新しい「見せ方」にチャレンジしている印象があります。

音声が無ければ、画としては完全に放送事故な感じで、世間一般的なスタンダードにはならないかもしれませんが、黄彬彬監督独自の映像表現が散りばめられていて、見た事のないものに出会えます。

監督には、今後も映像の新しい表現にチャレンジして、見た事のないものを見せて欲しいです。


『ロスト・イン・イメージズ』

勝手なイメージで申し訳ありませんが、平田監督の別の作品を拝見させていただいた事があり、監督がこういうテイストの作品を撮るとは想像していなくて、それ自体が新しい発見でした。

自分が撮っている映画と現実が混ざり合っていき、見ているこちらもちょっと混乱するのですが、それが主人公の感情と一致して、それが作品の中に知らず知らずの内に引き込まれる形になっていて、興味深かったです。

画面の「光」と「影」、特に影の印象が残りました。

キャストが皆さん魅力的な方ばかりでしたが、向里祐香さんの存在感がちょっと飛び抜けていたように感じました。

『イマジナリーライン』

僕は、個人的に「映画で初めて知る事」があると、すごく嬉しくです。
それが、普段知る事のないものであればあるほど。

この作品は、それの最たるものでした。

こんなにも登場人物が生きていて、語りかけてくる映画は、商業作品でもそうそう出会えていないです。
キャスト達の息遣いを間近で感じるようでした。

それには、スタッフ、役者間の事前の準備がしっかりしていた事が良く分かりました。

逆に、一丸とならなければこの映画は完成していなかったのでは、と感じました。

これは、いろんな人に観て欲しい。そして、考えて欲しい。
こんな事はあってはならないけど、こんな事が、僕らが生きているこの国で今も起きている事を。

この映画は、僕の勝手な意見ながら、海外の映画祭にエントリーしまくった方がいいと思います。

こういう事は、海外でもある事だとは思いますが、日本でこういう事になっているとは海外の人も思っていないはず。知って欲しいし、共感も日本よりもっと得られそうな気がします。

『雲ゆくままに』

こちらの映画に出演させていただきました。

ワンカットの長回しが多く、自然とその中で起きている事に意識がフォーカスしていく感覚がありました。

その中でも、主人公のあるセリフにハッとしたりもしました。

この作品の登場人物たちは、とにかく失っていく。

母も、友も、同僚も、職も、お金も、恋人も、親友も、パートナーも。

それぞれの人物の、その失う様がなんとも言えなかったです。

ワンカットが多いので、構図によっては、登場人物の横顔が続いたり、後ろ姿が映ったりするけど、正面を捉えた時より、そういう時の方が、より寂しさを感じました。

一つ、個人的な感想で、主人公が薬物を摂取した時の表現が、僕の好きな『レクイエム・フォー・ドリーム』(監督:ダーレン・アロノフスキー)を思い出させて好きでした。

…いや、作品全体的にもそんな感じかも、とこれを書いていて改めて感じました。

よくよく考えると、ここまで主要登場人物が失うばかりで何も得ないのに、何か最後に一気にいろいろな流れが繋がって、カタルシスのようなものを感じるのが不思議でした。

監督が、今、映画を作るとして選んだのが群像劇という事だったのだと思いますが、どの人物も共通して「失う」事が描かれていたのはなぜか、ちょっと聞いてみたいと思いました。

東京藝大の卒業制作作品は、毎年、同じ年の作品内で似たものが無く、それぞれの監督の個性が遺憾なく発揮されているのに、どこかテーマというか、捉えているものというか、通じるものがあるのが面白いです。

今年も、なかなかの粒揃いな作品が集まったと思います。

特に、『イマジナリーライン』は、今までの藝大にはなかった作品です。

それが、今年の他の作品、そして、今後の藝大の作品に対してどんな化学反応を起こすのかが気になります。

全部の作品を観て、それぞれの作品にしかない魅力を感じていただけたら嬉しいです。

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