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地域の終活(ディレクターズカット版)

猛威を振るうコロナ禍で自宅作業がスタンダードになりつつあった4月の終盤。友人で元同僚の編集者(最近は文筆家?)武田俊くんからお誘いいただき、秋田の地方紙『秋田魁新報』の中の月イチ企画ページ「ハラカラ」の、リレー型連載コラム「ローカルメディア列島リレー」のバトンを受け取った(ややこしいね)。

『秋田魁新報』は秋田魁新報社が発行する秋田県の日刊新聞。「ハラカラ」は同紙で月に一度展開される特別企画ページで、地元秋田で『yukariRo』というリトルプレスをつくっているyukariRo編集部が企画・編集を担当している。詳しい経緯などは下記の、yukariRo編集部・三谷葵さんによる紹介を参照してほしい。

「ローカルメディア列島リレー」というのは、企画ページ「ハラカラ」の連載コラムで、毎回執筆者が次の執筆者を紹介していくというリレー形式で続けられている。僕は武田くんに紹介してもらい、その第10回目を担当することになったわけだ。

「各地でのローカルなメディアの活動を通して見えてきたローカルメディアとしての役割、メディアをとおして感じる変化などについて書いてほしい」

とのことだったので、現在キュレーターとして関わっている「長崎アートプロジェクト」について書かせてもらうことにした。

以下、2020年6月26日(金)発行の『秋田魁新報』に掲載された「ローカルメディア列島リレー」用に書いた原稿を掲載するが、実際に載った内容をそのまま転載するのもなんだか芸がない。なので「ディレクターズカット版」として最初に書いた内容を掲載することにした(最初の原稿は、指定されていた文字数をワイルドにオーバーしてしまっており、編集担当の三谷さんが頑張って削ってくれた)。

我ながら、なかなか刺激的なタイトルを付けたと思う。でもその背景には確固たる思いがあるので、周囲の危惧をよそに半ば無理やり押し通させていただいた。

それでは、どうぞ。

地域の終活(ディレクターズカット版)

普段は編集者という肩書きで活動しているのだが、この度縁あって長崎市が実施する「長崎アートプロジェクト」のキュレーターを務めることになった。

仕事柄今までさまざまなメディアを扱ってきたが、アートプロジェクトは初めてだ。しかし「情報伝達のための装置」という意味では、なるほどアートプロジェクトもメディアのひとつといって間違いはない。

昨年12月にはさっそく実施場所となる野母崎地区へ赴き、現地を視察。夜には地元の人たちが集まる場に参加させてもらい、盛大に酒盛りをやった。

盃を交わしながら出てくる話といえば、「若者が少ない」「一次産業の担い手がいない」「子供の遊べる場所がない」などなど。地元を舞台にアートプロジェクトが行われるということで、皆さんさまざまな希望を託し、それぞれの思いを語ってくれた。

これら地域の「少子高齢化」に端を発する諸問題に対しては、国の助成金獲得や都市圏からの移住促進といった策がとられるのが一般的だ。その一定の必要性は理解しているが、こうした話を聞くたびにどこか違和感を覚える自分がいる。

なぜなら少子高齢化は、もはや免れることのできない日本の構造的な問題であり、マクロの視点で見れば助成金や移住は単なるその場しのぎにしかなりえないからだ。こういうとき、コンサルならば恒常的にお金と人が流入する仕組みをつくろうと提案するだろう。ではアートプロジェクトに何ができるのか——。

ディレクターともいろいろ話し合った末、今年度のテーマを「エイジング(歳や時間を重ねること)」と設定した。アートプロジェクトに託される役割のひとつに、社会に対して問いを立て、その上で新たな視座を提示することがあるのなら、老いをネガティブに捉えがちな昨今の風潮に疑問を呈し、個人や社会が歳を取ることをポジティブに見つめ直すことこそ、今この場所に必要なのではないかと考えたのだ。

それは「いつか来る終わりを見据える」という意味で、地域の「終活」といえるかもしれない。しかし、歳を重ねることで見えてくる風景や失敗の共有、後世への継承など、この場所の将来における在り方を考えるという点で、とても前向きでもある。

この試みが、直面する痛みを受け止めながらも、この先の未来を少しでも探れるものになればと願ってやまない。


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